【野球】巨人・バーフィールド 打撃不振も鉄砲肩が魅力だった超大物大リーガー平成助っ人賛歌 104試合 .215 26本 53打点 1盗塁
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コンプリート・ベースボールプレーヤー
プロ野球vs.Jリーグ。
『週刊ベースボール』1993年7月5日号の表紙にはそんな見出しが躍っている。
翌週の7月12日号では川上哲治vs.川淵三郎(Jリーグ初代チェアマン)の大物対談まで収録。
それだけ当時の野球界にとって、93年5月に開幕したサッカーJリーグの躍進は驚異だったのである。
ヴェルディ川崎のスーパースター・三浦知良は前年に巨人の原辰徳よりひと足早く年俸1億円の大台を突破し、
サッカー少年のマサオがカレーを食べるとラモス瑠偉になるというなんだかよく分からない永谷園JリーグカレーのCMも人々の度肝を抜いた。
ジーコ(鹿島)、リネカー(名古屋)、リトバルスキー(市原)といった世界的ビッグネームも続々と来日して話題を集めたわけだが、
それに対抗するように12年ぶりに長嶋茂雄監督が復帰した巨人にもドラ1ルーキー・松井秀喜だけでなく、
超大物大リーガーが入団している。メジャー通算241本塁打を放ったジェシー・バーフィールドである。
トロント・ブルージェイズ在籍時の1986年に打率.289、40本塁打、108打点の好成績で本塁打王を獲得した男が、1年契約の年俸170万ドル(当時のレートで約2億2000万円)で巨人入り
。86年の日米野球で来日選手最高の打率.450、4本塁打を残し、90年の同シリーズにはヤンキースのユニフォームを着て参加していた33歳の大砲が東京へやってくる。
手術をした手首の状態が不安視されるも、長嶋監督は旧知のデトロイト・タイガースのスパーキー・アンダーソン監督に直接電話をかけて、
「スパーキーも手首が大丈夫ならかなりやるぞ、と言っていました」と状態を確認した上で獲得にゴーサインを出したという。
「強肩で、盗塁も20個できる。守りでもアシスト(補殺)が多い。すべての人がコンプリート・ベースボールプレーヤーと評価してくれる。よく言わせてもらえば、そういうことだよ」
93年宮崎春季キャンプに合流した際のバーフィールドの自信あふれるコメントだ。
3月24日の西武とのオープン戦では相手エース・渡辺久信の高めのストレートを強振すると、打球は大きな弧を描いて左中間スタンドへ。
渡辺は「確か日米野球でも完ぺきに打たれたんですよ。(横浜の)ブラッグスより上かって? うん、もう全然」なんて脱帽してみせる。
背番号29は守りでもライト線の打球にスライディングキャッチを試み、ダイレクトで捕球したかに見えたが、審判はショートバウンドと判定。
激しく抗議する執念を見せ、隣のセンターを守るブルージェイズ時代からの盟友ロイド・モスビーも思わず駆け寄りヒートアップ。
長嶋監督も来日10打席目のアーチと果敢な守備に「想像以上に仕上がりが早い」とニコニコ顔で新たな主砲を歓迎した(ちなみに注目されたゴジラ松井はオープン戦打率.094、本塁打0に終わり開幕二軍スタート)。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180814-00000005-baseballo-base
8/14(火) 11:01配信
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/takajinking9/20150323/20150323104534.jpg
https://amd.c.yimg.jp/im_siggdb5vaITA3UBcTQUjKCGe9A---x266-y400-q90-exp3h-pril/amd/20180814-00000005-baseballo-000-2-view.jpg
http://img-cdn.jg.jugem.jp/873/721484/20100605_1769603.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=WOGub5hoCKk
1993 桑田真澄 3 完封 バーフィールド ナイスバックホーム
https://www.youtube.com/watch?v=g6Q4uYmfA80
バーフィールド開幕弾(1993.4.10 G+)
https://www.youtube.com/watch?v=c2q6nexAnMM
ジェシー・バーフィールド
http://npb.jp/bis/players/01603887.html
成績 “秘密のテープ”と“秘密のメモ”
始まりはとにかく順調だった。
表紙に清原和博、野茂英雄、長嶋一茂、古田敦也といった面々が並ぶ週刊ベースボール4月19日号『93開幕展望特大号』では、
『ベールを脱いだ怪物バーフィールドの凄味』という特集記事が組まれている。
マイナー・リーグ時代に同部屋で、あの阪急やオリックスで活躍したブーマー・ウェルズに連絡を取り、
「まずはその国の文化を学ぶことから始めなくてはね。カルチャーギャップを克服することによって、結果もおのずからついてくる」と主に生活面のアドバイスをもらう。
そして、日本に馴染もうとバーフィールドは「この味は向こうにはないね。
アメリカに戻るときは必ずまとめて買い込んでいくよ」なんつって三ツ矢サイダーを毎日欠かさず飲むわけだ。
広尾の自宅では毎日のようにセ・リーグ投手が編集された15本の“秘密のテープ”を見ながら、気付いたことを“秘密のノート”へメモをする。
来日中のマーラ夫人も「私もジェシーのビデオ好きはよく知っていたつもりです。
でも『あれ』を見ているときの彼の真剣な眼差しには本当にビックリしています」なんて思わせぶりに照れ笑い。
そんな勤勉な大物助っ人は4月10日の横浜との開幕戦で、のちの“大魔神”佐々木主浩から公式戦初本塁打を放ってみせるのだ。
その強肩にはお茶の間の目もクギづけとなった
二塁へ素早くうなりを上げるダイレクト送球
だが、開幕して1カ月経過すると、週べには『早くも梅雨入り!? G党を悩ませる原&バーフィールドの不快指数』という記事が掲載されている。
15試合連続1ケタ安打で12球団ワーストのチーム打率.226(5月17日現在)の元凶として四番を打つ原、右足親指ねんざでベンチを外れているモスビー、
開幕から75打数12安打の打率.160に33三振で左手首を痛め欠場中のバーフィールドを名指しで批判。
結局、シーズンを通して「期待も吹き飛ばした大型扇風機」とマスコミの餌食になり続け、26本塁打、53打点はチームトップだったが、
規定打席到達者中、リーグ最下位の打率.215、最多三振の127と1年限りで解雇となった。
雑誌『週刊現代』ではリーグV2を達成したヤクルトのジャック・ハウエルから、「ボクが打ててアイツら(バーフィールド、モスビー)が打てないのは監督の差だよ」なんて言われたい放題。
しかし、前年は貴花田と宮沢りえの婚約にスポーツ新聞一面を持っていかれたヤクルトと西武の日本シリーズは、
この年もサッカーW杯アジア最終予選の“ドーハの悲劇”に話題をさらわれてしまう。
結果、翌94年から日本シリーズは人気回復の一環として平日ナイター開催に踏み切るわけだ。
ちなみにオフにはヤクルトの野村克也監督がバーフィールドの獲得を希望するも実現することはなかった。
そして、メジャー241発男をあっさり見切った長嶋巨人は、FAで新たな主砲・落合博満の獲得に動くのである。
打撃では精彩を欠いた元本塁打王だが、大リーグ時代、三度の20回以上を含め、7年連続2ケタ補殺を記録した規格外の強肩は野球ファンの間で今でも語り草だ。
東京ドームのフェンス直撃のクッションボールを素手でつかみ、二塁へ素早くうなりを上げるダイレクト送球で一塁に走者を釘付け。
まだ野茂英雄の渡米前で海の向こうのメジャー・リーグにリアリティがなく、イチローになる前の鈴木一朗はオリックスの二軍暮らしのため“レーザービーム”も世に出る前。
巨人戦の地上波テレビ中継から、ニッポンのお茶の間に外野手の送球をエンターテインメントとして
認知させたきっかけのひとつは、この年のバーフィールドの鉄砲肩“バズーカ”だったのである。 巨人を首になった翌年ヤクルトに来るはずだったんだよなー プライドが高すぎたのか神経が繊細だったのか、ポテンシャルは高かったけど異国の流儀や環境に馴染めないままだったな モスビー
バーフィールド
シェーン・マック
グラッデン
コトー 超大物大リーガーが入団している。メジャー通算241本塁打を放ったジェシー・バーフィールドである。
ジーコ、リネカーに比べたらずいぶんショボいな 元ホームラン王のバリバリのメジャーが来ると聞いて期待していたら糞だった
シェーンマックも期待外れだったな >>9
こう見ると濃いメンツだな、翌年からはルイスにダンカンだもん…マルティネス来るまでは悲惨だった >>11
そらもうジーコはスーパースターだからな
いくらメジャーの大物っていっても「バーフィールドベースボール」みたいな自分の冠つけた野球ゲームは発売されないわな 結局、自前外国人野手で活躍したのはクロマティだけか? バーフィールドはもう1年様子を見るべきだったと今でも思っている 守備が良かったんで巨人を首になったオフに野村が取りに行ったんだよな。
バーフィールドが断ったらしいけど。
川相もバーフィールドの守備を評価していて
爺さん(川相のニックネーム)、婆さん(バーフィールド)のコンビは良かったんだよな
と語っていた。 > 手術をした手首の状態が不安視されるも、長嶋監督は旧知のデトロイト・タイガースのスパーキー・アンダーソン監督に直接電話をかけて、
> 「スパーキーも手首が大丈夫ならかなりやるぞ、と言っていました」と状態を確認した上で獲得にゴーサインを出したという。
やっぱ長嶋って 落ちる球にブルンブルン振っていた記憶があるわ
フォロースルーが印象的 >>25
バーフィールド 1993
マック 1995-1996 >>9
この時期は面白かった
クロマティがいなくなってから
外国人打者色々取り始めたんだよな
FA強奪路線になって以降はつまらん バーフィールドよりメジャーでは格下だったモスビーのほうが活躍した件 >>34
だね、それからは他球団で契約で揉めた奴拾うだけだもんね…ペタジーニ、ローズ、ラミレス、ゲレーロ 一年で打率は低いが26本は評価できるよな
日本の環境や相手ピッチャーに一年で随分なれたはずだから
2年目はかなり期待できたのに
巨人ほど助っ人にバースやブーマーみたいな
変な幻想抱いてる球団もたいがいだけど https://www.youtube.com/watch?v=nQxEqhUNBxg
巨人グラッデンが内角球に激怒!マウントポジションでキャッチャー凹る!【乱闘専門チャンネル】 フィル・ブラットリーは2年目の契約延長を断ってたな
ホームシックだったらしい お前らたまにはグラッデンとコトーの
ことも思い出してやれよ日本一メンバー
やぞ 打率こんなに低かったっけか?
その後のクソ外国人が多過ぎてバーフィールドなんて優良外国人枠だわw 土日の夜に野球見るのが好きだったけど、今はデーゲーム。これってつまらなくしてると思うわ ロペスはクロマティに次ぐ長年活躍する優良助っ人だったのにな ボウカーやアンダーソンは期待したけどダメだったな… 本物はホーナーだけだけどな
あのときの神宮はとんでもなかった アップショーも全然駄目だったな、とwiki見たら一年目は結構活躍していた
人間の記憶ってあてにならんね >>50
マスコミが早いとこ仕事終わらせたがるからね
土日は特に >>18
クロマティもメジャーのクリーンアップだったんだよな。 打席の後ろに立って外の変化球にバットが届かなかったんだよな 三本柱、
香田、木村、松谷、ケアリー、水野
宮本、岡田、谷口、門奈、西山、橋本、石毛 山本昌から流し打ちでナゴヤ球場の場外までカッ飛ばした打席は覚えてるわ
パワーだけは本当に規格外だった
当たらないけどw ズームイン朝の各地方アナウンサーが順位バッジつけてバトルするコーナー好きだったわw 阪神がダメ外人の代名詞みたいになってたけど巨人もすなかなかだったよなあw
クロマティの後だとガリクソンとか?
あんまり当たらないイメージだよね
呂は初っ端のインパクトが120点だったけど ファミスタのぶっ壊れ性能で知っていて
日本に来たから驚いたわ >>68
仁志の穴を埋めようと毎年のようにセカンド外国人取ってたよねエドガーぐらいしか覚えてないが シェーン・マックが好きだったわ
試合前の練習のフリーバッティングの弾道がすごかった ペナントレース やまだたいちの奇蹟では広島に入団してた >>21
正確にはバーフィールドが断ったんじゃない
契約が内定した後にアストロズ(だったかな?)との二重契約が分かって
ヤクルトとの契約が無効になった >>58
家族連れが行きやすいデーゲームは正解だろ
ついでに言うなら、日本シリーズも平日デーゲームに戻してほしい 当時小学生の俺はバーフィールドを真似てケツプリな構えで打席に立っていた。あだ名は当然バーフィー。 1(中)モスビー
2(遊)川相
3(右)バーフィールド
4(三)原
5(一)駒田
6(左)長嶋
7(二)篠塚
8(捕)大久保
9(投)斎藤 バーフィールドのバッティングフォームを真似てた
こどもの頃の暖かい思い出だけが残っている シェーンマック
グラッデンとか元気にしてんのかな。 >>68
ガリクソンはクロマティ晩年でチームメイトじゃね?
他チームから強奪した以外だと、ガルベスとマイコラスくらいかねえ 経歴
プロ入りとブルージェイズ時代
1977年のMLBドラフト9巡目(全体233位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。
1981年9月3日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。
1982年に18本塁打をマークし、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票で8位に入る。
1985年は打率.289・27本塁打・84打点・22盗塁の好成績で、球団創設以来初の地区優勝に貢献。
カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、3勝1敗と王手をかけてから3連敗を喫し、リーグ優勝はならなかった。
MVPの投票では7位に入った。1986年はオールスターゲームに初めて選出される。
打率.289・40本塁打・108打点を記録し、最多本塁打のタイトルを獲得。
自身初のシルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票でも5位に入る。
同時期に活躍したジョージ・ベル、ロイド・モスビーと共に、ブルージェイズの「最高の外野トリオ」を形成した。
当時のアメリカンリーグで最も肩が強いと言われていたのはドワイト・エバンスだったが、その彼に匹敵する肩とまで言われていた ちょっと後にケアリーとかペレスとか使えないピッチャーいたな >>45
井口の國學院久我山高時代の
ニックネームがブラッドリー
リストの強さやパンチ力によるものだが
1番の理由は顔の濃さ 巨人時代
1993年、メジャー通算241本塁打の実績を引っ提げて読売ジャイアンツに入団。
かつての同僚モスビーと再びチームメイトとなる。
開幕戦で佐々木主浩から来日初安打初本塁打を放つなど実力の片りんを見せたが、右手首の手術直後であったことや変化球が苦手という弱点を執拗に突かれ、
チームトップの26本塁打・53打点を記録するものの、打率.215・127三振に終わり、1年で退団。
当時ヤクルトスワローズ監督の野村克也がその強肩と長打力を高く評価して獲得に動き、一旦入団が内定したが、
メジャー球団(ヒューストン・アストロズ)との二重契約問題が発生したため断念した。
巨人退団後
1994年は開幕前、アストロズの右翼手のレギュラー筆頭候補だったが、スプリングトレーニング中に指を骨折して自由契約となった
その後、アストロズ(1995年 )とシアトル・マリナーズ(1998年 - 1999年 )のコーチを務めた。 >>82
ケアリーとペレスは92年でバーフィールドの前年 >>20
1993年第2次ミスター政権1年目ってチーム全体貧打で死んだシーズンだったよなー
駒田と絶好調の不仲が顕在化したり ブラットリー
大学時代までは、野球とアメリカンフットボールで活躍。
1981年のジャパンボウルではクォーターバックとして来日している。
メジャーリーグに入った後はシアトル・マリナーズを中心に活躍。
イチローに更新されるまではマリナーズの新人最高打率と最多盗塁記録も持っていた。
また1988年と1990年にはリーグ最多死球を記録した。
前年に退団したウォーレン・クロマティに代わり1991年に巨人の助っ人として入団。
年俸は150万ドル(推定、当時のレートで約2億400万円)だった。
開幕戦でいきなり初打席初本塁打を放ち、開幕以来14試合連続セーブの日本記録を更新中であった大野豊から逆転サヨナラホームランを放つなど、
打率.282、21本塁打、70打点の成績を残す。
また、守備・走塁もクロマティ以上の実力を見せていたが、暗い性格で上記のサヨナラホームランの際もヒーローインタビューも拒否するなどチームになじめず1年で退団する。
また日本でもリーグ最多死球を記録し、同年4月14日の広島戦で最後の登板となった津田恒実から死球を受けている。
1992年、大リーグ復帰を目指してモントリオール・エクスポズと契約したが出場は無かった。
引退後、1994年にシカゴ・カブス傘下のルーキーリーグ監督を務めた後、現在は大リーグ選手会専務理事特別補佐を勤めている。
息子のカート・ブラッドリーも元野球選手(外野手)で、2006年にロサンゼルス・ドジャースからドラフト33巡目で指名されたが、翌2007年にルーキーリーグで20試合の出場にとどまった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC
成績も安定して良い選手だったんだな >>56
アップショー取り損なった阪神が獲ったのがフィルダー >>29
26本で53打点て・・・酷くない?打点は少なくても70打点はほしいね
できたら78打点 >>99
確かそれでも本塁打と打点がチームトップw 斎藤桑田が不振
チーム打率.230ぐらい
長嶋采配
よくこれで3位になれたな お馴染みのG+のジャイアンツIN東京ドームで
開幕戦で佐々木からホームラン打ってるな
長嶋も試合後に変なガッツポーズして讃えてた >>105>>107
シーズン開幕当初は5番だった
不振で2軍落ちして1軍復帰後7番 このころの外国人だったらモスビーが一番可能性あったかな
ちょっとまえのアンダーソンなんかもそうだったけど、
1年ヘルシーならば、何かのタイトルとってもおかしくない感じだったよな ジョンソン
打撃指標 +67
走塁指標 -11
併殺回避指標 -8
守備指標 +13
ポジション補正 +32
WAR +27.6
ホワイト
打撃指標 +191
走塁指標 +29
併殺回避指標 +12
守備指標 +35
ポジション補正 -83
WAR +46.8
スミス
打撃指標 +311
走塁指標 +11
併殺回避指標 -4
守備指標 +78
ポジション補正 -46
WAR +64.6
クロマティ
打撃指標 +5
走塁指標 -7
併殺回避指標 -2
守備指標 +71
ポジション補正 -45
WAR +16.4
ブラッドリー
打撃指標 +104
走塁指標 +19
併殺回避指標 +1
守備指標 -45
ポジション補正 -32
WAR +18.6
ジョンソン
https://www.baseball-reference.com/players/j/johnsda02.shtml
ホワイト
https://www.baseball-reference.com/players/w/whitero01.shtml
スミス
https://www.baseball-reference.com/players/s/smithre06.shtml
クロマティ
https://www.baseball-reference.com/players/c/cromawa01.shtml
ブラッドリー
https://www.baseball-reference.com/players/b/bradlph01.shtml バーフィールドよりモスビーがえらい不振だったな
前年の効果と言われたのは何だったのか
研究されたんだろうか 漫画の「レジ―」に出て来そうな名前だな。
漫画レジ―自体が古い漫画だが モスビー
打撃指標 +18
走塁指標 +23
併殺回避指標 +7
守備指標 +8
ポジション補正 +3
WAR +27.5
バーフィールド
打撃指標 +104
走塁指標 -9
併殺回避指標 -2
守備指標 161
ポジション補正 -48
WAR +39.4
グラッデン
打撃指標 -22
走塁指標 +17
併殺回避指標 -2
守備指標 +17
ポジション補正 -26
WAR +15.5
コトー
打撃指標 -42
走塁指標 +22
併殺回避指標 +2
守備指標 -4
ポジション補正 -17
WAR +4.1
マック
打撃指標 +92
走塁指標 +7
併殺回避指標 -2
守備指標 +24
ポジション補正 -19
WAR +21.6
モスビー
https://www.baseball-reference.com/players/m/mosebll01.shtml
バーフィールド
https://www.baseball-reference.com/players/b/barfije01.shtml
グラッデン
https://www.baseball-reference.com/players/g/gladdda01.shtml
コトー
https://www.baseball-reference.com/players/c/cottohe01.shtml
マック
https://www.baseball-reference.com/players/m/macksh01.shtml >>45
ブラッドリーは来日当初、東京でステーキを食べたら余りの高さにゼロの数が一つ多いのではないかと店員に真顔で確認したエピソードが印象的。 マツイ
打撃指標 +120
走塁指標 -2
併殺回避指標 +11
守備指標 -30
ポジション補正 -68
WAR +21.2
ロペス
打撃指標 -71
走塁指標 -10
併殺回避指標 -5
守備指標 +19
ポジション補正 +19
WAR +10.0
ジョーンズ(ギャレット)
打撃指標 +25
走塁指標 -9
併殺回避指標 +2
守備指標 -33
ポジション補正 -44
WAR +3.0
マギー
打撃指標 -31
走塁指標 -11
併殺回避指標 -12
守備指標 -20
ポジション補正 +6
WAR +1.5
ゲレーロ
打撃指標 -4
走塁指標 -1
併殺回避指 0
守備指標 -5
ポジション補正 -1
WAR -0.6
マツイ
https://www.baseball-reference.com/players/m/matsuhi01.shtml
ロペス
https://www.baseball-reference.com/players/l/lopezjo01.shtml
ジョーンズ(ギャレット)
https://www.baseball-reference.com/players/j/jonesga02.shtml
マギー
https://www.baseball-reference.com/players/m/mcgehca01.shtml
ゲレーロ
https://www.baseball-reference.com/players/g/guerral01.shtml ミスター、松井、一茂、バーフィールドと、この年の巨人は話題満載だった HR24本打ったのにマギーのせいで職を失ったギャレットまだ使えたと思うけどなクルーズはウンコだった >>114
溝口の強心臓とフロントの小鍛冶のコバンザメっぷりが印象的 この頃はヤクルトが今の広島並に強かったよな
古田、広沢、ハウエル、池山の中軸打線は脅威的だった
投手も伊藤智、西村、岡林に抑えは高津
他にも色々いたが忘れた まあ衰えてからつれてきてもね。
年齢考えると頑張ったほうでは? ヤクルトのホージーも大活躍した翌年に突然打たなくなったな
モスビーといい謎だよ ノムさんは「20本打てて守備力もあるから8番なら問題ない」って言ってたね
代わりにロッテからミューレン取った モスビーの打ち方良かったよな、最近の外人は可愛すぎてダメだ >>15
ジーコサッカー・・・SM調教師瞳・・・うっ、頭が >>124
飯田、稲葉もこの時代じゃね?
豪華だわ。 可愛かずみを抱いた巨人キラー、川崎憲次郎を忘れるとは… >>131
稲葉は95年入団だからちとずれてる
稲葉全盛期はオマリーとか宮本の頃 まあこのくらいならマシな方、トンマなマントや台湾のイチローとか
シャレにもならない選手がやってくるとは思わなかったね ちょっと前にシカゴの大学に交換留学行ってた時、
ホームステイ先の親父さんが
「おれのいとこはトーキョーでもプレーした元メジャーで、その息子はいまコリアで野球やってるんだ」とか自慢してたが、名前を思い出せない。もしかしてこの人? すべての動きがかっこよかった記憶がある
打撃フォームも好きだったわ >>121>>127
モスビーは明らかに故障の所為 人間扇風機 ディアーは触れちゃいけない助っ人って阪神ファンが言ってた 趙村民はカッコ良くて好きだった
スンヨプと呂はそこそこ活躍したね モスビーは打席でもだが守備中も落ち着きがなかったな 呂はデビュー直後だけの活躍やんw
郭源治、郭泰源、あとは地味に荘勝雄なんかは息長く活躍したけど バナザードは選手会の役職ついてホワイトカラーなったけど部下に暴行してクビ切られたな >>40
なぜかアリアス。元阪神の。
旬が過ぎたのに、何故か獲得 >>12,>>18
シェーン・マックは肩がクソ弱かったことを除けば
優良だったろ >>56
アップショーもバナザードも田豚のせいで・・・ >>92
いたなw
なんかカワイイ顔の黒人だった記憶 速球には当時としては規格外で強かった
大魔神佐々木のストレートもピンポン玉の様にスタンドに運んだ。
外へ逃げていく変化球が全く打てず選球眼も悪かった。 1993年は原辰徳がサードコンバートで故障、
駒田徳広がバカ畑清との対立で絶不調という
最悪の年だった >>9
結局バリバリのメジャーリーガーより他球団で活躍してる外人を引き抜いた方が手っ取り早いってことになったんやなぁ >>57
フライボール打法全盛の今なら今中はサイヤング賞取れるな 最初外スラ打てなくてそれが知れ渡った頃阪神バッテリーが3球続けて外スラ投げたら流石に最後はスタンドに持って行った >>46
1番印象に残ってるのは
3位 ダングラッデン
2位 ヘンリーコトー
1位 クロウ >>77
出塁しなさそうな上位からテレビ中継始まると打てない4番
前が弱いと打力に疑問のでる5番(鈴木、ローズ、駒田なら良いんだけど)
これで勝負になるかっていうと… バーフィールドについて愚痴を言ったら阪神ファンに「まだいいだろうちのディアーは」って必ず返される
ほぼ同時代だね 出塁率.350以上あるんだから今ならそれなりに評価されそう >>3
そういや巨人の外人は広尾のマンションだったな
マルチネスは高級マンションの広尾のアークヒルズだったらしいが バーフィールドが40本塁打でアメリカンリーグ本塁打王(の表彰はメジャーにはないが)だった1986年のブルージェイズでの打順
1番 … トニー・フェルナンデス107試合、モスビー27試合、アップショー1試合
2番 … トニー・フェルナンデス27試合、モスビー29試合、アップショー28試合、
3番 … モスビー90試合、アップショー6試合、バーフィールド1試合
4番 … アップショー33試合、バーフィールド11試合
5番 … アップショー24試合、バーフィールド91試合
6番 … アップショー32試合、バーフィールド49試合、フィルダー6試合
7番 … アップショー22試合、バーフィールド4試合、フィルダー8試合
8番 … アップショー5試合、フィルダー5試合
9番 … トニー・フェルナンデス25試合
1986 Toronto Blue Jays Batting Orders | Baseball-Reference.com
https://www.baseball-reference.com/teams/TOR/1986-batting-orders.shtml >>146
アリアス巨人に在籍してたのか?!
今の今まで知らなかった。
当時はそれなりに野球観てたのに チームも打撃も調子良いときにキャッチャーの中西?殴って骨折したグラッテンを当時マジぶっ飛ばしたくなった バーフィールド、グラッデン、コトーあたりは同じような世代? グラッデンは37歳くらい
コトーはまだ30くらい? >>173
読売は1994年はあれで貯金を増やしやがった
前年はヤクルトの巧みな試合運びに手も足も出なかったが
ヤクルトのまるで将棋のような繊細な配球+時に打者スレスレにも投げてみせる度胸あるピッチングスタイルを
グラッデンが殴り潰した
ネットの盛んな2000年以降なら社会問題になってただろう
後は左投手の内角低目に来る球のみ定期的に得意になるコトーが面白い存在だった
日本シリーズもコトーが2本の本塁打で貢献したな マックは1995年初出
1996年シーズン限りで落合とともに契約終了
2人で100打点くらいあったのかな
それ全て清原で賄おうとして失敗
斎藤雅樹酷使もあってここから5年くらい優勝から遠ざかる >>177
1994だけ古田敦也が不調だった
そっちの方がヤクルトには痛かったと思う
コントロールのそこまで良くないヤクルト投手陣の
内角高め攻めも今なら問題になると思う ホークスだって打点王のミッチェルに殿堂グース・ゴセージ
セーブ王シグペン、選手会議長のバナザードだっていたぞー
ミネソタの奇跡のカービー・シェーンの外野好きだったな シェーン・マックもMLBでバリバリの頃はすげーライフルアームだったんだよ
何で日本にと思ったら完全に壊れてたw
横浜のレイノルズだっけヒゲのあれも肩強かったな マックとグラッデンは91年WS優勝時のチームメイト
ついでに西武に居たパグリアルーロも >>186
マックは捕球は良かったが、前年に肘を故障してしまい日本に来て1年目はまともに投げられなかった
2年目の途中からなかなか良い返球が出るようになったが2年目の最後は腰まで痛めてしまった
打撃も1年目は内角に弱くて凡打が目立った
2年目は頑張ったのだが4億円に見合う活躍は出来なかった マックは捕球が上手くてよく解説が褒めてた
試合前の練習姿勢とかも真面目だったらしい
好感持てると言われてた >>179
石井浩郎も獲得してるよ
打線そのものは悪くなかったんだけど抑えが確立
出来なかったのが低迷した主要因だろうね >>193
石井は清原より評価高くなったけど
結局ダメだったな
怪我かなんかかな >>6
OPS.834だから守備考えれば全然悪くない
当時はまだ打率信仰が根強かったということか マック退団の翌年に来たのがあのルイスだからな
多くの巨人ファンが「シェーン、カムバーック!!」
と叫びたかったんじゃない? とにかく外角の落ちる球がまるで打てなかった印象しかない バーフィールドはファミスタ87'のMチームの7番打者「ばふぃ」だよ
打率320ホームラン52の超強打者 開幕戦で佐々木から本塁打したかと思ったら次の名古屋シリーズで
巨大扇風機であることが露呈してしまった >>46
打率ホームランはたいしたことなかったが
コトーが一番リーグ優勝日本一に貢献したから印象に残ってる クロンボの分際で日本を舐めすぎだよ
実力がないから打てなかったんだよ >>201
シーズン通して見るとグラッデンかなり大事なんだよ
松本がダメになって1番バッターにずっと苦労してた マックは稲中卓球部のネタの印象が強い
A「今日うちにマックが来るんだー」
井沢「(……なぜAのうちに巨人のマックが?)」
B「井沢くん、そのマックじゃないよ。マッキントッシュのことだよ」
井沢「……日ハムにいた?」
B「そいつは球拾いして帰った」 >>171
アップショーはダイエーにいたアップショー?
乱闘で退場処分になったのに、再び乱闘騒ぎになったときに
しれっとグラウンドに戻ってきたのを覚えているw >>203
話はループするかもしれんが、それこそそれほど大事なグラッデンが中西ごとき程度の選手殴って骨折するなんて、ほんとに愚行 この動画の最初の打者がヘンリー・コトー
https://www.youtube.com/watch?v=aFkEhhy8V60&t=462s
デーブ大久保 涙のサヨナラ本塁打 1994年 巨人 vs 阪神 >>206
古田敦也の不調とグラッデン骨折で打力低下した事が相まって
あの名古屋決戦に繋がる
わからないものだ Drコトーも巨人にいたコトーにちなんだにちがいない >>94
駒田1962と中畑の仲が1993オフの横浜行きとは スーパーファミスタ3は落合とバーフィールドが同時に巨人在籍というカオス
因みに駒田は既に横浜だった >>214
バレンティンもそれを達成した
しかも規定打席未満なのに本塁打王になった >>205
そう
>>214
1987年ホーナー 355打席 31本塁打
1988年ブライアント 302打席 34本塁打
ホーナー(ヤクルトスワローズ) | 個人別年度成績 | NPB.jp 日本野球機構
http://npb.jp/bis/players/31033864.html
ブライアント(近鉄バファローズ) | 個人別年度成績 | NPB.jp 日本野球機構
http://npb.jp/bis/players/91493866.html >>76
その前のケツプリ打者は大洋のミヤーンだな >>55
バリバリの現役という意味では最初で最後かもしれんな。格で言えば巨人のレジースミスが凄かったらしいが、もはや晩年だった ホーナーと言えば、「地球の裏側にもう一つのベースボールがあった」という名著があったな
多分それを元に高倉健のミスターベースボールが作られたんだろう >>196
マックと比較すべきは広澤
外野で、マックが1996年に22本塁打広澤が1997年に22本塁打
打率はマックは..293 広澤が.280で一見穴を埋めてるように思えるんだが
打点はマック75広澤67
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%BE%A4%E5%85%8B%E5%AE%9F
今の知見だと、OPSでマックが.842 広澤が.818で大きく開いてしまう
で、1997年にヤクルト相手にここで負けたら目の前で優勝されるって試合で
広澤が思い切りエラーしたのを覚えているw
その後で無理やりのようなファインプレーをしたが時すでに遅し テレビ放送前に打つ原と放送後に打つ広澤言われとったなw >>9
ちょっとだけいたブラントリーも思い出してあげて(´・ω・`)
息子は今インディアンスのレギュラーで頑張ってる
そういやバフィーの息子もメジャーリーガーだったなあ >>193
>>194
石井浩郎ってガンガンウェイトトレやるで有名だったな
その結果かがどうかは分からないが叩きつけるようなバッティングフォームが印象的だった
ウェイトトレーニングの量減らして自重トレだとかゴムチューブトレーニングだとか
質を見直してやれば違った結果になったかもしれんね。まあ当時の自重トレと言っても腕立て腹筋背筋
程度のもんだけど >>221
>多分それを元に高倉健のミスターベースボールが作られたんだろう
あれは中日のゲーリー選手と星野監督の話じゃないかなあと勝手に思っている
あの映画で、日本にはシュートという魔球があると紹介されているのが後に話題になり
2010年代前半のMLBで2シームのフロントドアやバックドアだらけのピッチングが流行したのにも繋がってくる、らしい >>194
鈴木啓示がフル出場を強要してぶっ壊れた
だからフル出場なんて何の価値もないんだよ 「ジェシーバーフィールド!!ノーバウーーーンド!!」
未だにこの実況が耳に残っている。 >>9
懐かしい
この頃の助っ人は見ててワクワクしたなぁ 巨人打線が誰も打てなかった佐々木からあっさりホームラン打ってたな 大物自慢になると四国アイランドリーグに入ったマニーラミレスが一番という悲劇 >>201
コトーのシリーズ第6戦ダメ押しホームランが印象深いね
直前の8回裏2アウト満塁で西武がダブルプレーでチャンスを潰し
その後の2ランだったか3ランで制覇をきめたんだった
ちなみにグラッデンはツインズに来た1987年と最後の年になった1991年、両方とも優勝した人なんだな
1991の第7戦先頭打者として2塁打を打ち、サヨナラのホームを踏んだのがこの人
ジャック・モリスのシリーズ3試合目の先発(!)を10回完封(!)に大いに貢献したんだよ 松山商業の有名なバックホームを見てた中日のパウエルが「まるでバーフィールドだ!」って叫んだ、みたいな記事が載ってたのを覚えてる モスビーは今年カナダで野球殿堂入り
今のところバーフィールドは入ってない
Lloyd Moseby goes from California kid to Canadian Baseball Hall of Famer | The Star
https://www.thestar.com/sports/baseball/opinion/2018/06/18/lloyd-moseby-goes-from-california-kid-to-canadian-baseball-hall-of-famer.html
Inductees | Canadian Baseball Hall of Fame and Museum
http://baseballhalloffame.ca/inductees モスビーは打った瞬間よくヘルメット脱げそうになってた 長嶋の主砲集めがアレなのはわかるけど、
もし93年に長嶋が就任せず、ドラフトで松井が引けなくて、自前育成に舵を切ってたら…今以上にカオスになってたと思う
翌年の選手成績でも3位とか長嶋以外では無理だろうし 俺が知ってる大物メジャーで日本ではポンコツだったのは、ユーキリス。阪神のグリーンウェルは最初は活躍したからまだマシだった。 ヤクルトのハーパーとデシンセイ
中日のジェームス
とかは?
まあ個人的はダイエーの出戻りライトとか… メジャーでストがあったからってのもあるけど、
現役バリバリってことではロッテのフランコが一番全盛期に近い時期に来たんじゃないかな フランコは年齢詐称だし、さすがに最初の来日の時でも全盛期は過ぎてた印象だけどな
オリンピックの為に中日に来たディンゴなんかは活躍しなかったけど、まだ現役バリバリの印象だった 中日のハズレ外人と言えばディンゴ
完全にシドニー五輪の腰掛けにされたからな >>245
フランコは年齢的にも全盛期がいつなのかわからない… ディンゴって来日前年は3割20ホーマー打ってたんだよな
まあ来てみたら酷いモンだったけどw ストライク、ボールの判定にしょっちゅう文句つけてたよな
まあ日本の審判は確かにレベル低かったけど
審判不信が重なって、結果日本人不信にもなってた感じだったな
完全に不貞腐れながら試合してたからチームでも孤立してたな
帰って日本のことボロクソ言ってると思う 大洋のシーツは?
ストで1年メキシコだかでプレーして
大洋でいきなり打点王とって翌年退団 中日のディンゴは前年にMLBで3割20本を記録してたのに全然ダメだったな
ケビンミラーというバリバリの選手も契約したのにレッドソックスに横取りされてまさかの入団拒否
その代わりに来たのがメジャーで守備堅めをやっていた強肩のアレックス モスビーの方が好きだったわ
あの独特のバッティングフォームがめっちゃ好きだった 外野守備がまともにこなせる今年のデスパイネのような選手と思うと悪くない選手だな
まあ打率215だとチャンスで全く頼りにならないから当時の巨人ファンはイライラしただろうけど >>244
ライトって大物なのか?
最近だとブラッド・ペニーがけっこう近々まで活躍してたんじゃね
言われてた通りのクソ野郎だったけどw おっさんのお前らに聞きたいんだが、ポーンセーポーンセーここまで飛ばせーってのなかったっけ?
誰かと勘違いしてるのかもしれんが 巨人は何で助っ人外国人獲るの下手なんかな
西武は今も昔も打ちまくる外国人獲るの上手いのに
巨人のスカウトは西武のスカウト見習えや ジャイアンツタイムマシーン見てるとたまに出てくるな
マックと間違えてるかも知らないが 日米野球で来た時にライトフライで二塁から三塁にタッチアップした
高沢を刺して「彼は走るべきではなかった」と
言ったのを今でも覚えてる
巨人を退団後に野村が評価してヤクルトが獲得に動いてたけど
レッドソックスと二股かけてたから破談になったんだよな >>254
俺もモスビー好きだったな
豪快かつ大袈裟な動きが良かった good morning
Tokyo Japan ??
from ex‐team mate
Jessi Barfield and Mel Hall ??
1993年5 月のFENのメジャーリーグ中継!
ほとんどの日本時間にはわかるまいw ちなみに、ヤンキースのジョンステアリングがプレイバイプレイをしていたな。 呂のヤクルト戦でのサヨナラホームランで解説のミスターと
ゲストの柴田恭兵が凄く興奮してたの覚えてるわ ものすごくベースから離れて立ってて解説者が文句言ってたのを覚えてる 初めて東京ドームに見に行った時に練習でセンターのフェンス際から
ヒョイと投げてキャッチャーにノーバンで届いたのに衝撃を受けたわ >>274
ゲスト解説に柴田恭兵が来てたなんて珍しいね >>9
ここぞというところでの点差を広げるコトーの一撃 >>277
呂がサヨナラ打ってことは巨人が後攻の主催試合ってことだろうから
日テレの野球中継でおそらくはあぶない刑事とかの柴田主演ドラマか映画のプロモーションだったんだろうな >>242
落合博満の獲得は正解(松井秀喜のプレッシャーが
軽減)だったけど広澤克実は要らんかったね
関根潤三監督時代は外野手だったからズブの素人
じゃないんだけどそれでもマイナスの方が大きかった アメリカ野球殿堂入り資格取得初年度の選考投票結果
デービー・ジョンソン 0.7%(1984年)
ロイ・ホワイト 0.0%(1985年)
レジー・スミス 0.7%(1988年)
ウォーレン・クロマティ 予備審査落ち(1997年)
ロイド・モスビー 予備審査落ち(1997年)
ジェシー・バーフィールド 予備審査落ち(1998年)
ビル・ガリクソン 0.2%(2000年)
シェーン・マック 資格未取得(10シーズン未満)
ヒデキ・マツイ 0.9%(2018年)
ラリー・ドビー 2.3%(1966年)
ドン・ニューカム 2.3%(1966年)
フランク・ハワード 1.4%(1979年)
ボブ・ホーナー 0.0%(1994年)
ラリー・パリッシュ 0.4%(1994年)
リッチ・ゴセージ 33.3%(2000年)
ケビン・ミッチェル 0.4%(2004年)
ビデオ・ノモ 1.1%(2011年)
フリオ・フランコ 1.1%(2013年)
アンドリュー・ジョーンズ 7.3%(2018年)
※75%以上で殿堂入り
※ゴセージは2008年に85.8%で殿堂入り
※ドビーは記者投票ではなくベテラン委員会による選出で1998年に殿堂入り クロマティとかWiki見るとなんでこんなのが日本に来たんだ?ってレベルだもんな
年俸面でメジャーと勝負できてた時代もあったんだな >>19
上から読んでもスミス
下から読んでもスミス
どこから読んでもスミス
ホームランホームランスミス でもまあ
ブーマー
バース
デストラーデ
タイロンウッズ
くらいの順かね助っ人ドラフト
ヤクの外人はどうもインチキくさくて好かん
あとカブレラもちょっと好かん >>280
でも他の外野手がいない…外国人くらい
というか駒田(退団)原(引退)緒方(怪我)吉村(怪我)、あとは西岡四條くらいしか残ってない
内野も川相以外は岡崎(スランプ)篠塚(引退)残りは元木上野吉岡一茂後藤くらいしかいない
長嶋監督抜きだと松井落合取りそこねそうだし、残りで育成に舵切ってたら盟主凋落で今みたいになってたかも >>281
スミスみたいな何度もAS出場してる選手でも瞬殺か。
やはり殿堂の壁は高いな。 打率は低いが四球を選べたからopsは高かった。もう1年置くには年俸が高すぎたか >>293
高いっつっても2億2千万だからなあ
その頃より儲かってなさそうな今でも3億円のギャレットを飼い殺しにできる球団だし…
あの長打力にはロマンがあったからもう1年ぐらい様子見て欲しかったよな どっちもどっちw
ミセリだっけ?浅草で人力車乗って帰った奴も居たよなw 長嶋は日本人選手を見る目はあったが
助っ人選手を見る目は皆無だったな >>294
出場2人の頃だからなあ
それに、当時は落合が2億くらいはもらってたけど、
今よりも2億円で求められるハードルはだいぶ高かったから
それに変化球にほぼタイミングが合わないってのも夏頃からばれてたしね >>297
台湾のイチローことルイスの守備も問題ないとか言ってたけどひどいもんだったよねw 外にスライダー投げられてクルックル回ってたイメージしかない >>290
当時は広澤克実が外野を守ってたことを知らない人
ばっかだよ
だからファーストの落合博満が居るのに広澤を獲得
したことには批判的な声ばかりだったし外野の守備
に就かせたことには狂ってるとまで言われた
翌1996年の優勝は広澤(の欠場)のおかげ呼ばわり >>301
1986年(ブルージェイズ)170安打 146三振 打率.289
オールスター選出 40本塁打 シルバースラッガー賞
↓
1989年に三振が安打を上回る
↓
1992年(ヤンキース)13安打 27三振 打率.137
1993年(読売巨人軍)74安打 127三振 打率.215 >>39
それはグラッデン
外国人打者
93年 モスビー バーフィールド ブラントリー
94年 グラッデン コトー
95年 マック ハウエル
96年 マック マント
97年 ルイス カステヤーノ
98年 ダンカン
>>155
そのブラウンとジャック・ドーテーをはかりにかけて取ったのがブラウン >>190
2ハーパー(横浜にいたハーパーの親父)
3ハーベック
4ノブロック
5パグリアルーロ
6ギャグニー(ド軍移籍後野茂の後ろを守ってたショート)
7グラッデン
8パケット
9マック
DHデーヴィス
>>214>>218
89年のデストラーデも6月に途中加入して359打席で32本塁打してる >>258
ライトは若くしてメジャーでレギュラーを取って結構パンチもあったが
ものの数年でがた落ちして来日前年はマイナーでプレー
5年後の再来日時は帰国後もメジャーでは1度もプレーせず
すでに35歳になったロートルだった >>280
外野はズブの素人どころか、
88〜91に3年連続外野でベストナインの選手なんだけどね 変化球がからっきしのイメージしかない。
相手投手が逆張りでストレート投げて打たれると
解説の江川「どうしてストレート投げるんでしょうね?」
と苦言呈するとこまでお約束 たしかに一度は輝いたけれども対策立てられてそれを乗り越えることなくメジャーお払い箱になった選手を「超大物」扱いは
ある意味、おじいちゃん連れてくる以上に詐欺と思うが…
詐欺の加害者と被害者が同じ人たちだから別にいいのかw
この無意味さも野球の魅力といえば魅力だし 逆にフィルダー、ルイス、マイコみたいに日本帰りてわ成功する奴も居るやん
ソリアーノ、チェコみたいなカープアカデミーコースもあるし 巨人じゃないけどブコビッチはよく覚えてる
よりよって日シリでなんでこいつがって 西武→広島に行ったバンバークレオ好きやった
広島→ヤンキース行ったソリアーノはビックらこいたわ >>114
レジーの主人公は立花
そんな印象しかない。
あんな強烈なキャラはフィクションでもそう出て来ないw >>312
ソリアーノのwiki改めて確認したけど
2014年の引退まで本塁打バカスカ打っててワロタww
2001年デビューで(イチローと同期か)
通算412本も打ってた
>>266
イケメンじゃねぇよ
ただの外人顔だろ 他球団ファンとしてはバーフィールドはあまり怖くなかった、モスビーのほうが不気味な怖さ
があった、なんか動きもキモかったけど>モスビー。 緒方
川相
松井
原(落合?)
バーフィールド
岡崎
吉村
村田
斎藤-桑田-槙原
一切ググらずに記憶だけで書いてみた
確かこんなスタメンだったはず 2001年アメリカンリーグ新人王選考投票結果
@イチロー
Aサバシア
Bソリアーノ
Cエクスタイン(当時エンゼルス、のちに移籍して田口がカージナルスで優勝したときのショート)
2001 Awards Voting | Baseball-Reference.com
https://www.baseball-reference.com/awards/awards_2001.shtml
ただソリアーノは新人王資格は2001年まであったけど
メジャーデビュー、メジャー初本塁打ともに1999年
Alfonso Soriano Stats | Baseball-Reference.com
https://www.baseball-reference.com/players/s/soriaal01.shtml
Alfonso Soriano Stats, Fantasy & News | MLB.com
http://m.mlb.com/player/150093/alfonso-soriano モスビーの試合前に投げ入れたサインボール持ってるわ
小学生のオレにヒョイっと投げてくれたナイスガイ 初代パワプロにいたけど、その年に本塁打王とった江藤より何故かパワーが上に設定されてたな たぶん今の俺が投げたスライダーでもアウトコースにいけば空振りしてくれると思う。 前半は三振マシーンだったけど、後半はかなり打ってたんだよなあ
苦手のカーブに手を出さなくなって、本塁打も量産してた
もう1年見てみたかった
ヤクルトの野村監督が「あの肩だけでも獲る価値がある」と惚れ込んで
一度はヤクルトと契約したってニュースまで出たけど、結局は向こうに帰ってしまった もう一年見たかったよね。
外角の変化球をどう乗り越えるかも含めて。 その1、2年前、ヤクルトはウィンフィールド
を取ろうとしてたなw シェーンマック好きだったわ
悪くはない成績残してた印象 巨人の助っ人はみんなが知ってた時代ならではのスレだな
今はマギーとか言われても顔がわからん >>333
パリーグの4番打者よりも巨人の二軍選手の方が世間の知名度ははるかに高かった時代の(ry >>327
ファミスタのメジャーリーガーズの
ういんふい >>311
メジャーで3割打ったこともある実力派で、西武でもスタートはよかったんだけどね
すぐに研究されて成績を落とし2年間そのままだったな >>338
ブコビッチが3割打った1984年、
インディアンスは162試合してる(75勝87敗)
規定打席は502打席
ブコビッチは474打席
この年インディアンス全打者の右投手、左投手との対戦打席数は
対 右投手 4469打席
対 左投手 1906打席
(4469+1906)÷1906≒3.3
3.3打席に1回、左投手と対戦
ブコビッチ(右投げ左打ち)の右投手、左投手との対戦打席数は
対 右投手 411打席
対 左投手 63打席
474÷63=6.524≒7.5
7.5打席に1回、左投手と対戦
ブコビッチ
対 右投手 打率.321 OPS.831
対 左投手 打率.193 OPS.551
したがって、「メジャーで3割打ったこともある」はちょっとマユツバ
数字出典(計算の部分はは電卓叩いたwのでミスあったらすまん):
1984 Cleveland Indians Batting Splits | Baseball-Reference.com
https://www.baseball-reference.com/teams/split.cgi?t=b&team=CLE&year=1984
George Vukovich 1984 Batting Splits | Baseball-Reference.com
https://www.baseball-reference.com/players/split.fcgi?id=vukovge01&t=b&year=1984 >>171
表彰がメジャーにないってどういう意味? >>340
「本塁打王」や「最多本塁打」のタイトルがない
本塁打の本数が一番多かった選手をメジャーリーグ機構やアメリカンリーグ、ナショナルリーグが認定したり表彰したりすることがない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています