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松浦武四郎『知床日誌』 「安政5年(1858年)5月8日 舎利(斜里)にて」

斜里場所、網走場所では、アイヌの女性は16〜17歳の結婚適齢期になると国後島に送られて、
日本全国からやって来た漁師や船乗りのために、身体を好き放題にされ、
アイヌの男性は結婚適齢期になると国後島へ送られて、昼夜の別なく責め使われて、
その壮年期を遠く離れた島で過ごすので、生涯未婚で暮らすアイヌが多く、
様々な病気で病人になっても、働ける間は5年も10年も故郷には帰されなかった。

また、夫婦で国後島へ送られた時は、夫は遠い漁場へ送られ、
妻は(交易と行政の拠点である)会所または(警固役の藩の組士・足軽が数人配置されている)番屋などに配置されて、
日本人の武士や商人の慰み者にされ、いつまでも夫婦が離れ離れのままにされた。
それを拒否すれば辛い目にあうので、ただ泣く泣く日々を送った。

このような無道なアイヌの使い方のせいで、斜里のアイヌの人口も、寛政年間(1789〜1801年)は2000人余り有ったが、
(文政5年(1822年)に360軒・1326人、安政5年(1858年)に173軒・713人。)今では半分の人口になったのは酷いことだ。
このままでは今から20年も経ったら、アイヌが滅びてしまうのではと心配している。