決勝が終了した直後に電話をすると、アシマ夫人が「セレモニーを見たいからあとでかけ直してください」という。
結局、この日は話が出来ず、翌日に改めて電話をすることになった。
ところが次の日も、夕方に起きるとクロアチアの凱旋の様子をテレビで見たいとのこと。実際に話が聞けたのは、さらにその翌日だった。

――人々の心にこのワールドカップは深く刻み込まれました。

「君らも何か変わっていくものに触れた方がいいかも知れない。いろいろなこと、金の問題や選手と金の関係、
金とスペクタクルの関係などを考えるために。とにかく莫大な金がかかっている。その金が様々なものを助けているのもまた事実だが。

 ワールドカップを開催すれば、その国の大会後の生活その他が完全に別のものになる。その変化を見た他の国も、
触発されてサッカーに力を入れるようになる。サッカーのもつ力を理解する。

 サッカーだけに限らない。それはスポーツ全般にいえることだ。またサッカーだけでなく政治や経済も学ぶ必要がある。
現実のリアリティなどもだ。自分たちの幸せが、他の人々の生活を脅かしていることもあることなどを」

「私は事実から考察できることを話した。ここサラエボでも人々が街頭に出て『世界チャンピオン』などと叫んで喜びを爆発させている。
しかしそうした喜びの陰で、ときにネガティブなことが生じることもある。

 私が今、見ているのはクロアチアのあるジャーナリストが刊行したワールドカップの資料に関する番組だ。
この大会のすべての記録が記されているとても便利なものだ」

――注意深くなる必要はあります。

「金を常に最優先にはできないが、必要であるのも間違いない。今日では金なしにはサッカーは成立せず、
金がサッカーに対して優位に立っている。金はサッカーを静かにだが確実に殺している。金が入って来なくなったらと考えると、
サッカーは金に脅かされているともいえる。

 しかし莫大な金がすべての問題を解決しているわけではない。多くの人々は、
巨額なサッカービジネスとは無縁の貧しい生活を送っている。貧困にあえぐ世界の人々の生活を救う。
同じ金の使い方としてはこちらの方がずっとシンプルで素晴らしい。

 スポーツのアートで生活を向上させていく。極上のアートで日々の生活の苦しさを忘れさせる。
それで人々は普通に食べていけるようになる。

 スポーツ、とりわけサッカーは、そうしたことの力になれると私は思っている。野球であろうと何であろうと、
世界選手権を見ればわかる。ボールは常に走ることや戦うことを求め、それは常に興味深い。

クロアチアの分析をおこなっていた人物はもう画面にいない。番組が終わったのだろう。今はかつての名選手たちが出ている。サリュ」

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