7月26日の日本サッカー協会理事会で承認されれば、日本代表の新監督に森保一U−21日本代表監督の就任が決まるのだという。喜ばしいニュースか、憂うべきニュースかといえば後者。日本サッカーのガラパゴス化が進みそうで心配になる。

 西野朗前監督の場合は仕方がなかった。本来ならもっと早く舵を切り、ハリル式から脱却すべきだったが、残り3カ月を切った段階でも、筆者は代えないより代えた方がいいと思った。究極の選択になるが、協会のその決断は評価できた。ハリル式から脱することが一番。西野式への不安より勝っていた。

 だが、それはハリル式との比較という二択に基づく正当性だ。その結果、ロシアW杯で日本はラッキーに恵まれながらもベスト16入りを果たした。サッカーそのものも考えられる範囲のなかで最上のものを見せた。しかし、監督選びの貧弱な過程を踏まえれば、これはただの結果オーライ。偶然の産物になる。

 今回は、選択肢も探す時間もたっぷり与えられている。監督候補は無数に存在するなかで、あえて森保氏が選ばれようとしているのだ。なぜ再び、近い場所にいた人物に、求めようとしているのか。

 探す能力に欠けるからだ。W杯が終了したいま、世界を見渡したとき、協会として魅力的に映る監督はいないのだろうか。世の中には候補者はごまんといる。田嶋幸三会長は、日本にアプローチしてきた人物が複数いたことをほのめかしたが、日本側から人材を求めようとしないのはなぜなのか。

 ただ、これまでの田嶋会長の言葉を聞いていれば、予想されたことではある。2010年南アフリカW杯を戦った岡田武史監督以降、代表監督に就任したアルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチの3人は、すべて小倉純二会長、大仁邦彌会長時代に招いた監督で、招聘の中心になったのは原博実氏(現Jリーグ副理事長)だった。

 その原さんとサッカー協会会長選挙を争い、勝利したのが田嶋現会長になるが、世界のサッカーへの造詣は、原さんの方が圧倒的に深かった。協会に入る前から欧州各地を単独で幾度となく旅行し、多くの試合観戦や、関係者との接触を通して、日本のそれまでの指導者に欠けていた世界観を備えるに至っていた。

 その結果、招いた監督がハリルホジッチだったとは笑えない話になるが、それでも監督探しのスケールが、原さんの協会入りとともに大幅に拡大したことは事実だった。会長選挙に敗れた原さんは常務理事の座にとどまるものの、代表監督探しに関わる立場にはない。

 つまりサッカー協会は、ジーコ、オシム、岡田という近場の人材に求めざるを得なかった2010年以前に逆戻りした状態にある。西野監督に続いて森保監督となれば、その傾向はいっそう浮き彫りになる。

 探す能力に欠けるだけではない。そもそも目指すサッカーが不鮮明だ。田嶋会長は西野ジャパンに賛辞を送った際、そのサッカーを「ああいうサッカー」と、称した。ハリル解任会見の席上でも、目指すサッカーの方向性について問われると「コレクティブな……」とひと言。さらに突っ込まれても「パスを繋ぐサッカー」と小さな声で述べるに止まった。

つづく

7/25(水) 6:20配信 スポルティーバ
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