本田圭佑の兄、代理人として ミラン幹部に「10番を」
6/21(木) 21:16配信 朝日新聞デジタル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180621-00000107-asahi-spo

本田弘幸さん=2018年5月24日、東京都品川区、山本裕之撮影
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180621003622_comm.jpg

本田兄弟の歩み
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180621003588_comm.jpg

サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の初戦、本田圭佑(32)はコーナーキックで勝ち越し点を演出した。3度目のW杯。「世界一を目指す」と公言し、輝かしいキャリアを築き上げてきた。それを代理人として支えたのは、兄の弘幸さん(34)だった。
コロンビア戦で、本田の出番は後半25分にやってきた。香川真司(29)に代わってピッチに入り、歴史的な勝利に貢献。試合後「ここからようやくW杯が始まる。この勝利で、いい意味で冷静に調子に乗れればなと思う」と語った。

4年前の1月。スーツ姿の本田は世界の注目を集めていた。イタリア1部リーグ、セリエAで18度の優勝を誇る名門・ACミランへの移籍会見。200人以上の報道陣を前に、本田は英語で記者の質問に答えた。

「夢が実現しました。12歳の時、『いつかセリエAで背番号10をつける』と作文に書いていたから」

会見場の脇には、弟の雄姿をそっと見守る兄の姿があった。この移籍は兄、弘幸さんの存在なくしてはなし得なかった。

その1年以上前、弘幸さんは1人、イタリア・ミラノにいた。目の前に立つ建物は、通称「ミラネッロ」。ACミランの練習場兼クラブハウスだ。周りにはファンやマスコミが集まり、選手らの出入りに目を光らせる。

弘幸さんは迷わず、その中を進んだ。「ジャポネーゼ、何してるんだ」。いぶかしがる守衛にこう言った。「移籍交渉に来た」

10分ほどの押し問答。その末に現れたのは、ACミランで強化を担うスポーツディレクター、ブライダ氏だった。カウンターでエスプレッソを飲み干すと、奥に通された。「何をしに来たんだ」

交渉は難航した。当時、ACミランには世界トップクラスのFWが7人。「圭佑は中盤の選手。ボランチでもいい」。毎月のようにブライダ氏の元へ通った。

■「背番号10にしてくれ」

部屋に通されないこともあった。状況を打開するため、弘幸さんは狙いを変えた。現地のベテラン代理人と親交を持ち、ガリアーニ副会長に近づいた。ベルルスコーニ名誉会長(元イタリア首相)の右腕として、長くクラブを支えてきた大物だ。この面会を機に、交渉は前に進み始めた。

ある日、弘幸さんはガリアーニ副会長に言った。

「背番号10にしてくれ」

「ミランの10番。その意味はわかってるのか?」