「もうこれ以上やってもきりがないし、同じ質問ばかり繰り返されているので。これで会見は終わりにします」

「(会見を)見てても、見ていなくてもいいですけど」

「(日大ブランドは)落ちません!」

「日大ブランド」はTwitterでトレンド入り

 5月23日に行われた日大アメフト部・内田正人前監督と井上奨コーチの緊急記者会見。注目を浴びたのは、強引な“仕切り”で報道陣とのバトルを繰り広げた司会者だった。
大炎上したことで「日大ブランド」はTwitterのトレンド入りも果たした。

 この日の司会を務めたのは、日大広報部の米倉久邦氏。もともとは共同通信の記者だった人物だ。かつての同僚が語る。

「共同では経済部長やニュースセンター長、論説委員長などのポストを歴任するなど、記者としては有能だとされた人です。ただ、当時からは風貌が変わっていたので、
ニュース番組で見たときには、すぐにわかりませんでした。記者会見での司会ぶりが話題になっていますが、もともとプライドが高い人で、『自分が仕切る』という意識が
強いのでしょう。

 関学への謝罪に出向いた後に伊丹空港で行われた内田監督の辞任会見の場にもいました。広報マンとしては“汚れ仕事”のような業務も多く、OBの間では『よせばいいのに』という
冷ややかな声も聞こえていました」(共同通信OB)

日大広報部にはさまざまな新聞社のOBが

 共同通信退職後は、趣味である山登りを書籍としてまとめたこともある。そんな米倉氏を日大に引き入れたのは、日本大学のトップに君臨する田中英壽理事長だったという。
事情を知る日大広報部関係者が語る。

「日大にはさまざまな新聞社のOBがいて、広報部としてプレスリリースを出したり、日大新聞の面倒を見たり、機関紙の編集をするような仕事です。みんな定年で
新聞社を辞めて、65歳ぐらいまで働く。ただ、日大広報部自体は100人ぐらいの大所帯で、課長や次長などのポストは生え抜き職員が占めています。

 米倉氏は他の広報部員とは一線を画していて、田中理事長付きのようなポジション。採用も独自ルートでした」

中略

「文春オンライン」編集部が米倉氏を電話で直撃取材したところ、会見時とはうってかわって腰の低い対応だった。

――記者会見での司会ぶりが話題になっているが、いま振り返ってみてどうか。

「それは私の対応がまずかったと思っていますよ」

――結果的に「日大ブランド」に影響があったと思うが。

「それは……(苦笑)。下げてしまったことは大変申し訳なく思っています」

――今後もアメフト部の問題、広報対応に関わるのか。

「こういうメディアの個別の対応には関わっていますけどね。司会は『もうするな』と言われていますから、しばらくしないと」

――それは、どなたから?

「そんなオーバーな話ではなくて、あれだけ失敗したので、しばらく自重するしかないかなというだけですね。さらにやれとは言われないだろうし」

――田中理事長から、アメフト部に関して対応を指示されたことはあるのか。

「全然ありませんね。理事長が出てくる話じゃないんで。つまり学長をトップにした教育関係、部活動の問題です」

――広報部の中でも、米倉さんは田中理事長周りのことを担当していると聞いている。

「そういうことはまったくありません。そんな細かい担当、すごい組織なら別だけど、お問い合わせがあれば何でも対応するというだけです」

――日本大学に職員として入ったのは、もともとは田中理事長の紹介?

「全然関係ないですね、まったく。もともとうちの広報には、共同とか読売とか産経とか、いろんな新聞社のOBが定年後の仕事として入っているんですよ。その中の
一環みたいなものですね。手伝ってくれと言われて。すごい特別な関係だと言われているようですけど、そういうのは迷惑です」

「監督の役割は選手を守ること」

 前出の日大理事会関係者が嘆息する。

「一連のアメフト部問題は、みんなが自分の責任を下に押し付けて、ここまでひどくなった。本来、監督の役割は選手を守ることですから。そういう意味では、
米倉氏も矢面に立った被害者の一人なのかもしれません」

 司会者の叫びもむなしく地に堕ちた日大ブランド――。再建への道のりは険しい。

「文春オンライン」編集部
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180529-00007584-bunshun-soci&;p=1
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