1952年のオリンピック開催地であるヘルシンキについた時点で、ザトペックは荒廃した
東欧のへき地出身の、頭髪の薄い、自己流で走る30歳のアパート暮らしだった。チェコの代
表団は層が薄く、長距離の競技を自由に選ぶことができたため、ザトペックはすべてを選択す
る。まず5000メートルに出場し、オリンピック新記録で優勝した。つづいて1万メートル
に挑み、またもや新記録でふたつめの金メダルを獲得した。過去にマラソンを走ったことはな
かった。でも、それがどうした。首にはふたつの金メダルがかかっている。失うものはない。仕
事の仕上げに、ここで挑戦して何が悪い?
ザトペックの経験不足はすぐに露呈する。その日は暑かったため、当時の世界記録保持者、英
国のジム・ピーターズは、暑さを利用してザトペックを苦しめることにした。10マイル地点に
達したとき、ピーターズは自己の世界記録のペースより10分速く、他を大きく引き離していた。
こんな猛ペースを維持できる者がいるのだろうか。ザトペックにはわからなかった。「失礼」
と彼はピーターズの横に並んで言った。「これが初マラソンなんだ。ちょっと速すぎないかな?」
「いや」とピーターズは答えた。「遅すぎる」
質問するほどの間抜けなら、どんな答えを返されても真に受けるだろう。
ザトペックはびっくりした。「遅すぎるって」と彼は聞き返した。「ほんとにペースが遅すぎる
んだね?」
「ああ」ピーターズは答えた。今度は彼が驚く番だった。
「そうか。どうも」ザトペックはピーターズの言葉を信じ、猛然と飛び出した。
 トンネルを抜けてスタジアムに突入したとき、ザトペックはどよめきに迎えられた。ファンだけ
でなく、トラックに殺到した世界各国の選手たちからも歓声が飛んでいた。ザトペックは3つめの
オリンピック記録でテープを切った

「Born to Run 走るために生まれた」クリストファー・マクドゥーガル著 より