>>211
負けてなんかいねえよデタラメばっかり書き込みやがってwww

70年代終盤の世に言う「漫才ブーム」到来というのは、先ず三球照代が
口火を切る これがとてつもなくブームになって売れて「地下鉄ってのは
どっから入れるんでしょうか、それ考えると寝られなくなっちゃう」フレーズは
大流行語に で彼らに続けるスターはいないかと彼らをテレビに出して
視聴率をとれたテレビマンは次を演芸場に探す そこにいたのが若かった
セントルイスで、これは演芸場界隈でもう有名になってたほど面白かった
でテレビに出したら大当たり 「田園調布に家が建つ」他大流行語排出、
で彼らもまた、売れてしまうとネタの供給が追い付かなくなり飽きられ始め、
テレビマンは当たる程次をと探す で当時関西の漫才師は関西でスターに
なっても全国区でなれている組は殆んどなかった 特に若手コンビなど
でやすきよが面白い関西でも何組か面白い組がいるので試しに出してみよう、
そこでキー局に呼ばれた組で最初に売れたのが「ザぼんち」次が「B&B」、
彼らは爆発的に売れるんだが、ネタがなくて1年持たず直ぐ下火に その頃
東京で誰か他にと探され少し遅れてTVに抜擢されてきたのが、ツービート
ツービートも売れ、彼ら纏めてパッケージで若者向けに番組やってみたらで
始まるのが「笑ってる場合ですよ」笑っていいともの前進 で共に始まるのが
「ひょうきん族」これが時代を変える ドリフも萩本も1年で消え、ここから、
現代の即興掛け合いでの司会だの、喋りが立つ漫才師らの笑いがバラエテー
のみならずテレビ司会の中心になっていく 漫才ブームの下火でぼんちBB
やすきよも陰ったが、たけしは単体でこれで大人気、さんまというスターも生み出す