【テレビ】加藤茶が明かす、志村けんドリフ加入秘話…決まりかけた有力候補の存在
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2018年4月15日(日) 19時34分
加藤茶が明かす、志村けんドリフ加入秘話…決まりかけた有力候補の存在
加藤茶が、14日放送の『たけしが行く!わがままオヤジ旅3 古都金沢…爆笑珍道中』(テレビ東京系)に出演。ビートたけしと、ドリフターズ秘話に花を咲かせた。
1974年、メンバーだった荒井注が体力の限界を感じて脱退。その後、付き人だった志村けんが正式メンバーに昇格した。ここでたけしが、ブルース・リーのモノマネをしていたことで知られたもう1人の付き人・すわ親治(旧芸名すわしんじ)の名を挙げ、「あの当時ブルース・リーのほうが笑いを取ってたような気がする」と回想。
ここで加藤が語ったのは、リーダー・いかりや長介が入れようとした最有力候補の存在。それが、ジャズオーケストラ「豊岡豊とジョークエリントン」の指揮者、豊岡豊(2012年没)。当時いかりやは、荒井と同い年で、普段から仲も良く、面白かったという豊岡をドリフの新メンバーに入れると決めていたのだとか。
それに「待った」をかけたのが加藤。「一緒に回っていて作り方も知っているし、考え方も同じ奴」ということで、当時付き人で兄弟子だった志村をいかりやに推したのだという。
たけしは、こうした加藤の行動について「自分を脅かす奴をよく入れたなあ」と感心。すると、当時のドリフの笑いを一手に引き受けていた加藤はその理由として、「あの時キツかった。しんどくてネタもあまり出なくなってきた」とし、「年中ふざけあっていた志村だったら面白いかもしれない」として推挙したという。
また加藤は、荒井注の代名詞「なんだバカヤロー」秘話にも言及。指が短かった荒井がピアノ演奏をミスした際、その失敗を笑った客席に向かって「なんだバカヤロー」と罵倒していたことから、あのギャグがきていると明かすと、周囲も驚いていた。
https://www.rbbtoday.com/article/2018/04/15/159813.html >>230
カラスの勝手でしょうやってたときに緊張してるって言うか
ウケるか不安そうな顔してたような記憶 >>230
志村「俺あんまり馬にいい思い出ないんだよな」
加藤「あの時俺ずいぶん働いたよね」
タイガーマスクのコントの一場面。
偽りのない気持ちだったのね。。。 すわ親治は孤独のグルメにゲストで出てたな
言われないとわからないほど目立たなかったけど ドリフを勝手に飛び出して、また戻ろうとしていかりやに門前払いされてた
志村だったが加藤が「長さん、もう一回チャンスやろうぜ」と復帰させたのも加藤なんだってな 志村が加入した時の回はリアルタイムで見た。
…正直、すわしんじが後釜だと思ってたので、「誰こいつ?」と思ってたし、東村山音頭まではさっぱりだったと
記憶してる。 >>196
バカ殿がそれを聞いて突然ブチキレるギャグ
他の人でもやってた記憶あるけど相手が由紀さおりじゃないとイマイチだったな カトちゃんけんちゃんには愛があるんだよ
単にライバルを追い落とすとか、そんな事は考える必要がなかったんだよ
才能に優れていたから >>239
志村の著書では
「一人でいかりやさんのところに行くのが怖かったので
かわいがってくれていた加藤さんに一緒に行ってくれるように頼んだ。
で、加藤さんが「こいつがまたやるから」と話を通してくれた」と書いてあった。 >>106
いしのようこ、小柳ルミ子あたりもよかった
いしのようこなんか本物の夫婦にみえた
渡辺美奈代や優香は相棒言うより先輩面だったが 長さんは荒井の代わりだから
ピアノ弾けて、荒井に似たタイプの豊岡さんを入れようと考えたんだろうけど
たぶんミーティングかなんかで
「いよいよ荒井の脱退が避けられないからどうしようか。次は豊岡なんかどう?」
くらいだったんじゃないか
そしたら茶が「志村にしてよ」って来たと
長さん的にも志村入れて本格的にコントグループにするか
豊岡さんで音楽的なものを補強するかは悩んだだろうね
結果的に前者選んで大正解だったわけだが、当時は上手くいくかどうかはわからないわけで
そこは志村の才能、努力も良かった 加藤茶いつの間にか小さいお爺ちゃんになってた
志村とは20歳くらい歳離れて見える >>230
謹慎してた仲本・志村よりキツかったと思うよ
子供は志村が出ないことに不満だしその負担は
加藤一人に覆いかぶさってくるわけだし >>226
人をバカ呼ばわりする前に簡潔に物事をまとめられる最低限の文章力を身につけた方がいいよ
冗長な文章は頭の悪さを証明してるようなものだから >>215
やっぱ「ひょうきん族」だろ。
さんまと組んだ事で本格的に輝いた。 荒井注がいた頃のドリフを覚えているのは50代以上だよな >>1
すわしんじって、永六輔に気に入られて左翼劇団やってたよね >>240
長髪のさえない男がなんかやってんな
そんな覚めた感じで見てたな >>161
今もそういうのしたくてテレビ局に入るテレビマンは多い
でも直にサラリーマン化して雛壇で楽を覚えるから たまに顔を出してたミイラ役の人、めっちゃ恐かった
ほんと志村うしろって感じで >>253
大橋巨泉がたけしの
「お馬鹿も演じられるし上手にボケできるけど本当は頭がいい」を引き出せたのも大きいな
ハウマッチとかでは石坂が優秀役、外人がたまに大当たりのボケ役が指定席で
ゲストふたりがそこそこ出来るときはたけしがボケて
ゲストがお馬鹿なときはたけしはけっこう真面目に答えてた >>86
>終盤にとんねるずとDT、ウンナンだね
それは第二次じゃないのか?? >>211
負けてなんかいねえよデタラメばっかり書き込みやがってwww
70年代終盤の世に言う「漫才ブーム」到来というのは、先ず三球照代が
口火を切る これがとてつもなくブームになって売れて「地下鉄ってのは
どっから入れるんでしょうか、それ考えると寝られなくなっちゃう」フレーズは
大流行語に で彼らに続けるスターはいないかと彼らをテレビに出して
視聴率をとれたテレビマンは次を演芸場に探す そこにいたのが若かった
セントルイスで、これは演芸場界隈でもう有名になってたほど面白かった
でテレビに出したら大当たり 「田園調布に家が建つ」他大流行語排出、
で彼らもまた、売れてしまうとネタの供給が追い付かなくなり飽きられ始め、
テレビマンは当たる程次をと探す で当時関西の漫才師は関西でスターに
なっても全国区でなれている組は殆んどなかった 特に若手コンビなど
でやすきよが面白い関西でも何組か面白い組がいるので試しに出してみよう、
そこでキー局に呼ばれた組で最初に売れたのが「ザぼんち」次が「B&B」、
彼らは爆発的に売れるんだが、ネタがなくて1年持たず直ぐ下火に その頃
東京で誰か他にと探され少し遅れてTVに抜擢されてきたのが、ツービート
ツービートも売れ、彼ら纏めてパッケージで若者向けに番組やってみたらで
始まるのが「笑ってる場合ですよ」笑っていいともの前進 で共に始まるのが
「ひょうきん族」これが時代を変える ドリフも萩本も1年で消え、ここから、
現代の即興掛け合いでの司会だの、喋りが立つ漫才師らの笑いがバラエテー
のみならずテレビ司会の中心になっていく 漫才ブームの下火でぼんちBB
やすきよも陰ったが、たけしは単体でこれで大人気、さんまというスターも生み出す >>231
簡潔?事実を正しく記すのに必要最低限の量だよこれは 母ちゃん腹へった ご飯作って
母ちゃん子ども作って
いいか けん 子どもというのは
男と女が布団の中で >>263
>さんまというスターも生み出す
たけしが生み出したような言い方だなぁ〜
違うけどな。 すわしんじって誰かとググったらよくドラマとかに出てる人だな 「8時だよ全員集合」を潰したのが
「オレたちひょうきん族」だったわけだが
やはりかなり意識して観てたんだな 志村は元々 萩本欽一の弟子になろうとしていたんだよね 志村けんてアドリブで小学生が言いそうな一面を時々見せる小学生の心を持ってるよな
ワイは小学生の時、志村で大爆笑してたわ
中学になってブームの漫才を好きになり、志村をまだこんな事やってんのかとバカにしてた
大人になって志村の意図がわかる気がする
ワイは時代に流され成長したけど志村けんはずっと志村けんだった
ワイが志村をバカにしてた頃、漫才の刺さらない小学生の心を掴んでいたんだろう 志村の朴李コントが深夜に放送された翌日、NHKで元ネタのMr.ビーンが放送されたのは笑ったわ
あれで志村は終わった >>211
漫才ブームの頃は中堅ベテランなら別やすきよ、若手ならB&Bがトップだったよな >>220
あれで本物のブルース・リーを見る前に嫌ってしまったガキが結構いたみたいで。 >>116
>>146
DTは最後のほうで
やすきよと一緒に
花王名人劇場に出とったよ
もちろん漫才で
今思えばあれが事実上の
吉本第一線の引き継ぎだった
>>120
>>168
志村が今で言う
ヒップホップやラップみたいなもんか
かなり納得できるわ >>106
10位内には入らないだろうが、森さんとの水曜スペシャル大家族コントも良かったよ
あれはドリフターズ全体の相方と言ったほうが適切だろうが 俺の印象として、入りたての志村は一人浮いてたけどな
暫くして見たら、加藤を凌ぐほどの存在になっていて驚いた
その後、独り立ちして活躍するようになってからまた驚いた >>143
茶がどうぶつ王国でついて行けるかなってこと
志村はあくまでも一人だけで世界観を決めたいから
>>156
今思えばくだらないナベプロ許認可制度だったね
天地真理やキャンディーズごときが
アイドルの代表になってしまった
ほかにもっといい素材がいっぱいいたのに >>263
お前さんはツービートは後から出てきたから負けてたわけではないと
言いたいんだろうが、「THE MANZAI」には、
やすきよもツービートもB&Bもぼんちも出てた。
その中ではB&Bやぼんちの方が人気があったわけで、
結局言いたいことは同じだ。
「笑ってる場合ですよ」だって、最初はB&Bが毎日出演、
他のコンビは週1の出演だった、 >>169
もう志村じゃなくて
アプリのゲームを意味するわな
>>172
いかりやの分析力あっての社会ネタな そっかー、あのアチョーって人はすわ親治さんって言うのか
子供の頃誰だか分らなかったけど
今謎が解けた 志村は昔コンビ芸人。マックボンボン。
それで一度ドリフの付き人を離れてる でも志村をおした加トちゃんも結局決めた長さんも見る目あったね
志村けんは天才だよ >>174
女ウケはジュリーとマーシーの2トップ
スマップに通じるモテ芸だね
>>198
検索しても白黒がほとんどだけど
当時はすでにテレビや映画でも
カラーで拝めたからね
名前は茶だけど
ガチで美白だった >>277
そうそう。
志村はブラックミュージックが大好きで、
ヒゲダンスや早口ことばの音楽は志村が出したものだったらしい。 >>253
そもそもさんまは関西ではあんなキャラでも芸風でもまったくなかった
ただの若手で女の子には多少キャーキャー騒がれてたが、それはただ
「若くて多少見られる顔」というだけ 持ちネタは小林繁の形態模写程度で
当時関西の大スターだった三枝のヤングおーおーなんかの1番下っ端で
賑やかしをやってる程度だった ひょうきん族でタケちゃんマンなるヤケクソ
漫才ブームの勢いだけでwというコントが始まって、始めは相手役が高田
純次だったが、病欠ななにかで収録にこれなくなって別コーナーに端役で
出ていたさんまを起用したらコーナー自体が大ヒットし、さんまは半年で東京
歩いていても誰も知らい状態だったのが表歩けなくなるほど売れていく
で収録番組なんで世間の反応を感じれるのは遅い さんまは始めはデレクター
先輩で相手役のたけしの指示通り大半やってただけだが、そのうちもう先に
大スターになりかけて(他局での冠など何本か当たり業界では、次の天下は
たけしと言われて始めて)いた相手役を先ずコントの中で笑わそう、笑わそうと
必死に色んなネタ仕込んできたりするようになって、今のさんまってはそこで
できていくの ひょうきん族初期から見てる子供はみーーんな知ってる事 長介と志村の確執がドリフが集合できなかった原因だろ。
晩年の長介は完全に役者だもんな。 ネタを考えれる志村を入れたことがドリフのさらなる活躍につながり、同時に分裂につながる。 >>3
いかりやが亡くなった後にその繋がりで踊る大捜査線出てるよ >>286
小野ヤスシに付いていかずにいかりやのもとに残る選択した加藤まじでヤバイ >>243
「16の女が楽屋で年金の話などするか!」 >>267
知らねえんじゃんwww
さんまなんかひょうきん族出始めの頃なんざ全国区やと関東での知名度ほぼ0
今みたいにネットなんかある時代じゃねえの >>220
ピンクパンサーのケイトーのパクリにしか見えなかった 人生は所詮運とは言うが
引きこもってちゃ運を掴み取れるわけがないわけで
やっぱ成功するやつは成功するべくして成功してる 長介工事のバカ兄弟の秘話はないのか
なぜ長介さんがアノ役を引き受けたのか気になるw 豊岡豊の話は初めて聞いたわ
志村加入の話とかは何度か聞いた事があるがこういったところは加藤は鷹揚だよな カトちゃんケンちゃんって不仲記事もあったけど
そもそも加藤が8歳年上で
志村は普段敬語なんだよね さんまはヤングおーおーも途中からは司会で、ヤングタウンも駐在さんも三枝から受け継いで関西では大人気タレント。ひょうきん族より前にもそれなりに東京でも若い奴には人気あったぞ >>226
元を辿ればドリフターズは音楽バンドだった。
そこにナベプロが60年代に青島幸夫プロデュースで
映画進出するほど大成功した同じバンドマン出身の
クレージーキャッツの二匹目のどじょうを狙ったもの。
構成、脚本、演出など専門家が担当してメンバー各人が
そこにアイデアを出すところもクレージーと同じ。
役割分担が決まっている分業体制で全体が成立していた。
だから時代が変わっても新しい笑いには対応できなかったし、
受けなくなってもそれを続けるしかなかった。
フリートークの時のいかりや、加藤、志村は面白くない
って事ですね。 >>187 小松政夫はそこそこ人気有ったんだよな。あれは小松本人目線の話で出来てたからすわだとしょぼしょぼかも >>282
時系列が違うんだよ
ツービートは負けていたのでなく、世に出て売れてくのが彼らの中では
最後であっただけで、ぼんちBBなんざ1年でもう誰も見向きもしなくなってく
ひょうきん族にだって最初はぼんちBBも出ていたが半年で端っこ2年で消えてく ダチョウとか女つれてリーダーやってる志村けんよりドリフで末っ子やってる、加トちゃんの弟やってる志村けんのが好き >>304
バカ兄弟はドリフのコントの中でも傑作だな すわは個性はあるけど志村ほどの国民的な人気は獲得できなかったと思う
笑い声だけの出落ちキャラでちょうどいい塩梅 >>299
またそういう嘘をつく
初期ひょうきん族のメンバーはほとんど笑ってる場合ですよ!のレギュラーだぞ
0の訳ないだろ >>299
笑ってる場合ですよがあるのに何言ってんだこいつ この番組チョロチョロ見てたけど
創価ババアの下品なガヤりが煩くて鬱陶しいからチャンネル変えたわ すわしんじって子供心に「この人、特殊学級の人?」と感じる怖さがあった。 8時だよ
欽ちゃん ハイスクールララバイの奴
が幼少期から低学年で見てたなぁ
ドリフ、欽ちゃん
たけし さんま
とんねるず
夢であえたら
と、年齢的にドンピシャだったな
今考えると >>289
紳竜はちょうどひょうきん開始時関西で若い女子に人気があったが
売れ方はぼんちBBツービートの半分だよ 上手さはサブシロだったし ドリフもいいんだけど俳優いかりや長介ももっと見てみたかったな >>318
笑ってる場合ですよスタート時のさんまなんざ小朝のサブ
おまけで、全然目立たなかった存在だあほww >>299
ヤングおー!おー!のおかげで、東京でもさんまは余裕で知ってた さんまは体調不良の高田純次の代役で入ったブラックデビルがハマり、ダウンタウンはたけしが事故で元気が出るテレビを休んでる間にごっつが数字を伸ばしたり、運はある。 >>304
馬鹿兄弟が始まったころって完全に
加藤、志村といかりや、高木、仲本に分裂してたよな
大爆笑でも不自然に両グループが絡まなくなってて
なんか空気が変わってた
でもその中で馬鹿兄弟とかブーの雷様とか今まで目立たなかった2人の
新キャラが生まれたからけがの功名って感じだね >>289
思わず笑っちゃうくらい酷い文章だなw
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