◆日本人監督は「代役」なのか

振り返れば、2010年の南アフリカ・ワールドカップで采配をふるった岡田武史監督も、イビチャ・オシムが病に伏したことによる緊急登板だった。
ワールドカップ予選開幕まで数ヵ月というタイミングでは日本人こそが適任で、1998年のワールドカップで采配をふるったことのある岡田しかいない、との論理が正当性を持って浸透していった。

今回も構図は同じである。ワールドカップまで時間がないから内部昇格こそがベストで、岡田に三度目の登板を頼むのはさすがに芸がないので西野に頼んだ、というのが真相だろう。
1996年のアトランタ五輪やJリーグでの実績は眩しいものの、西野はワールドカップで采配をふるったことがない。

緊急事態だったとしても、日本代表監督の条件が大きく変わった事実は重い。つまりそれは、アギーレとハリルホジッチにチームを任せた時間を、否定することと同意だからだ。
6度目のワールドカップ出場にもかかわらず、指揮を執った日本人監督は岡田氏だけ(photo by gettyimages)

日本人監督の登用が悪い、と言うつもりはない。ワールドカップの歴代優勝国は、すべて自国の監督に率いられている。個人的にはブラジル・ワールドカップ後から、日本人監督にするべきだと考えていた。

西野監督にも期待している。日本人の強みと弱みを知る日本人監督なら、日本人選手の特徴が発揮されないサッカーは選ばない。ハリルホジッチの解任理由となったコミュニケーションについても、
通訳を必要とする外国人監督との違いは歴然だ。気持ちの通った意思の疎通ができる。

今回の監督交代にもっとも失望しているのは、日本人の指導者たちではないかと思う。日本人選手の特徴をしっかりと生かしながら、Jリーグで結果を残している日本人監督はいる。
解説者や評論家の立場で海外のサッカーを熱心に観戦し、そのトレンドを蓄積している指導者も多い。

ところが、日本サッカー協会はそうした人間の抜擢に前向きでなく、困ったときばかり力を借りようとする。「日本人監督は結局のところ代役でしかないのか」との思いが、日本人指導者に広がってもおかしくない。
西野監督がロシア・ワールドカップ後も続投するとしても、新たな監督を選ぶとしても、サッカー協会は代表監督の選考基準をいま一度明らかにする必要がある。何よりも、「外国人ありき」の選考は必然性に乏しい。

今後も外国人監督に日本代表を任せたら、いつまで経っても日本らしいサッカーは確立されない。日本人が心の底から応援できるチームにもなれない。それは、日本代表の在るべき姿ではないはずだ。