【音楽】ベンチャーズのギター奏者、ノーキー・エドワーズさんが日本に残したもの
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「テケテケサウンド」で1960年代にエレキギターブームを巻き起こし、音楽面でも風俗面でも日本ではビートルズをしのぐ影響を及ぼしたのが米国のロックバンド、ベンチャーズだ。その中心的ギター奏者だったノーキー・エドワーズさんが3月12日、82歳で亡くなった。生前何度も日本を訪れた。親交を結んだ音楽家らが、「ギターの神様」の足跡と素顔を振り返る。(※3月29日にアップされた記事を再掲載しています)
哀愁
タレントのエド山口さん(69)は、「東京ベンチャーズ」と命名したバンドを率いてギターの腕前を披露している。ベンチャーズ愛の深さを物語る。
エドさんは、「ノーキーの演奏はしっとりとしていて哀愁を漂わせている。短調の曲に合う音色が、『わび・さび』を愛する日本人の胸に響いた」と日本で彼らが突出して愛される理由を分析する。
ビートルズ旋風が吹き荒れる依然、ベンチャーズを含めギター演奏を売り物にしたバンドが多数いた。にもかかわらず、ベンチャーズが日本で圧倒的に支持されたのは、その哀愁の音色に秘密があるというわけだ。
http://www.sankei.com/entertainments/news/180407/ent1804070002-n1.html
http://www.sankei.com/entertainments/news/180407/ent1804070002-n2.html
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船上でほほえむ加山雄三さん(左)とノーキー・エドワーズさん(C)加山プロモーション
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ノーキー・エドワーズさんの略歴
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ノーキー・エドワーズさん(右から2人目)らと共演する加山雄三さん(手前)(C)加山プロモーション
http://www.sankei.com/images/news/180407/ent1804070002-p4.jpg 自分も弾きたい!
ベンチャーズ人気が頂点に達したのは、ビートルズが東京・日本武道館に立つ前年の1965(昭和40)年。東京・新宿厚生年金ホールで行われた来日公演と、その模様を録音したライブ盤レコード「ベンチャーズ・イン・ジャパン」によってだ。エドさんもホールに駆けつけた若者の1人。
「ライブで接した、ノーキーの軽妙な即興演奏に衝撃を受けた。彼らが使った米モズライト社製のベンチャーズモデルのギターが欲しくて、楽器店に見に行きましたよ」
エドさんだけではなかった。若者がこぞって楽器店に走った。自分でエレキを弾く! 日本人がロックバンド結成に目覚めたのはこのときだったといってよい。テレビではエレキギター演奏の腕前を競う番組「勝ち抜きエレキ合戦」が放送された。コンテストなども盛んに行われた。
例えば、作家、芦原すなおさん(68)の「青春デンデケデケデケ」(平成3年)は、そんな香川県の高校生たちの姿をみずみずしく描いた小説だ。 大きな別れ
俳優、加山雄三さん(80)が主演した映画「エレキの若大将」(40年)も当時の若者たちのエレキ熱を描いた。
加山さんは、ノーキーさん愛用のモズライトのギターを譲り受けるなど、生前親交を結んだ1人だ。
「この別れは僕にとって、とても大きい別れです。同世代で音楽を牽引(けんいん)してきた仲間ですから」。ノーキーさんの訃報に接した加山さんはコメントを発表した。
「今では当たり前のように多くのバンドがエレキをかき鳴らし、演奏をしています。あなたの功績は世界の音楽シーンに多大な影響を及ぼしたし、その遺志を僕は継いでいきたい」
また会えると思っていたのに
ベンチャーズが日本にもたらしたエレキブームは、「寺内タケシとブルージーンズ」など和製のギターバンド登場、さらにはグループサウンズ(GS)ブームへと流れていく。
「日米エレキ大合戦」などのレコードをノーキーさんとともに制作したギター奏者の寺内さん(79)は、「最初に会ったとき、身体がでかくてびっくりしたことを今でも強烈に覚えている。彼なしにはエレキギターの歴史は語れないし、会うとエレキギターの話が尽きなかったよ。また会えると思っていたのに本当に残念だ」とコメントを寄せた。
共演といえば、ノーキーさんはエドさんの東京ベンチャーズ公演にも度々参加した。「アドリブを増やすのかな、と探りながら、ノーキーの顔を見るのが楽しかった」とエドさんは振り返る。
都内でふらり
60年にベンチャーズに参加したノーキーさんだが、68年に脱退してしまう。その後は復帰したり、また脱退したり、絶縁状態が続いたかと思えば、90年代後半に「客演」という形でベンチャーズの来日公演に参加したこともあった。記者が都内の飲食店でノーキーさんと偶然会ったのはその頃だ。ノーキーさんは、1人でふらりと店に入ってきた。今何をしているのかと尋ねると、「米国で自分の作品を録音したり、時にライブをしたり、あと牧場で競走馬を育てたりしている」と話した。
そこは演奏ができる店で、客に請われたノーキーさんは、店のエレキを抱えると2曲披露した。わずか2メートルほどの場所に立ってギターを弾くノーキーさんの、指の運びの美しさに見ほれた。演奏の心得がある客が「カントリーギターの奏法が基礎にあるから、われわれなんかとは動きがちょっと違うんだ」と解説してくれた。
ノーキーさんは2016(平成28)年、東京・赤坂のライブハウス「赤坂エルカミーノ」などで来日公演を行った。これが最後の来日となった。オーナーの戸田健治さん(67)は「そのときは座って演奏していました。昔のような若々しさはなかったけれども、心に染みるような円熟した弾き方だったことをよく覚えています」と振り返った。
7月から来日公演を行うベンチャーズは、ノーキーさんの追悼企画を検討しているという。
(文化部 竹中文、石井健)
ノーキー・エドワーズ 1935年、米オクラホマ州生まれ。自著「ノーキー・エドワーズ 自叙伝」によるとインディアン部族の血をひいている。59年に結成されたベンチャーズに60年に加入。同年の全米デビュー曲「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」ではベースを弾いた。リードギターはボブ・ボーグル(1934〜09年)だったが、その後2人は担当楽器を交代。「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「パイプライン」などを残す。68年にベンチャーズを脱退。72年に復帰し、85年に再度脱退。99年以降、正式復帰はしないものの、客演の形でベンチャーズと共演。2016年の単独公演が最後の来日になった。
_ノ乙(、ン、)_青春デンデケデケデケ ←若干妖怪ぽい >>2
高橋ユキヒロのお兄さんは勝ち抜きエレキ合戦に優勝したんだっけ 一昔前までは大概地域にひとつくらいは
寺内タケシとベンチャーズのコピーを徹底してやってるおっさんバンドが居て
やたらあちこち出しゃばって幅を利かせてたもんだが
さすがに今は絶滅したかな >>5
いい話だよね。今でもたまに読むわ。映画も悪くない。 >>3
ブルージーンズはベンチャーズブームより前からあるんだよなぁ >>9
ひと昔じゃなくて、30年ぐらい前だろ
10万規模以上の市ならどこの町でも
夏祭りやビアガーデンで
ベンチャーズを演奏するバンドがいた ベンチャーズのビジネスはボブ・ボーグルとドン・ウィルソンの独占状態
楽曲の権利はほとんど上のふたりが持っていてノーキーにはない ベンチャーズはYoutube時代になってから
世界中で再評価されてる ベンチャーズを徹底的にバカにした奴等も、昔から一定数いたね。 >>17
そういや町内会の秋祭りでしか見たことがない、そこそこのテクニックのオッサンバンドっていたな モズライト。。。
父が2本持ってますが
いまでも大事にしてます。
たしか一つはノーキーさんに
サインしてもらってたはず。
ブルーノートに来ていたときに
サインしていただいたみたいで
大切に持っておかなきゃ。 >>7
ベンチャーズのアルバム「カメレオン」に収録されてる「スイミングスクールの美人教師」は高橋幸宏の作曲 ウルトラセブンのエレキングを見て衝撃を受けたノーキー・エドワーズがエレキギターを開発した
豆な エレキブームという一大ムーブメントだろうな
これが後の日本の音楽界に与えた影響は他の何よりも大きいだろ
お蔭でエレキが弾けたビートルズ等にかぶれたヤングもスムーズにボーカルバンドにに移行できたし >>26
長野県って何があったっけ?
フジゲンとアコギだとモーリスとかだよね ベンチャーズ作曲名義の曲で、実際の作曲者名は公表されてないのかな?
「京都慕情」は大好きな曲です アン・ルイス(ユーミン作曲)甘い予感はトゥモロウズ・ラブの盗作 >>37
海外で日本の昭和歌謡が再評価されてるという噂があるけど
京都慕情についてはどう受け止められるのか興味があるね
曲の認知度も含めて >>11
ドラムソロまでも再現していてワロタ
半端ねーわあれ 後任ギタリストに速弾き若手を入れたコンサートやってファンの反応を見てみたい クラプトンが空港ロビーでノーキーを見つけて歩み寄って握手を求めた 寺内タケシは三味線の家元も息子、その流れで早くからエレキを手にした
ノーキーは既出だけど京都慕情等の歌謡曲のメロが日本人の琴線に響くいい曲だよな
白人ブルースバンドのキャンドヒートは弟達のバンドだよ >>45
エレキを手にするどころか自作(厳密にはクラシックギターの改造、まぁ数年後にマジでソリッドボディ自作したが)したからなw
元々母親の三味線への対抗で音をでかくする手段として考えたと話してる。
さすがにその頃は実際海外で同じシステムのギターが存在していたことは知る由も無かろうけど。 ビートルズはジョン作の「I want you」 でベンチャーズの弾きかたをマルパクしてたな >>9
いやいや「○○ベンチャーズ」(○○は地域名)は、まだまだ全国に健在です
それらが地区ごとに集まった支部組織みたいのもあるし
メンバーには子世代だけでなく、孫世代もいます 勝ち抜きエレキ合戦が無ければ居なかったミュージシャン多過ぎだもんな。 >>54
ジョージはチェットアトキンスファンだから 1960年代のいわゆるギターヒーローたちよりノーキーとかのがテク高いのは当たり前 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています