ムネさん、見ててください ソフトB松田、元気印受け継ぐ タカナイン思い語る
2018年03月28日 06時00分 西日本スポーツ
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日本ハム戦に勝利し、川崎(右)とジャンプして喜ぶ松田=2011年10月
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日本ハムとの首位攻防戦を3連勝で飾りハイタッチをする川崎(左)と本多=2011年7月
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ムネさん、見ててください−。福岡ソフトバンクを退団した川崎宗則内野手(36)が27日、自由契約選手としてコミッショナー公示された。タカナインはそれぞれに思いを吐露。2011年に三遊間でともにフルイニング出場し、チームの日本一に貢献した松田宣浩内野手(34)は、翌12年に海を渡った「元気印」から受け継いだという声出しを今後も継続していくことを強く誓った。そのプレースタイルに多くの影響を受けたナインらは一様に、川崎の心と体の回復を一番に願った。

開幕へ向けて全体練習が再開された27日、選手らは一様に沈痛な表情を浮かべた。練習休日だった26日に、球団が川崎の退団を発表。ともに長年プレーし公私ともに仲の良かったベテランや主力ですら体調を気遣い連絡を控えていたため、ほとんどが退団の事実を新聞報道などで知ったという。川崎の渡米前に三遊間コンビを組んだ松田は第一に心と体の回復を願い、思い出を語った。

「早く治してほしい思いしかない。連絡も取れなかったしショック。(ともに)フルイニング出場で日本一になった11年は思い出。三遊間を組ませてもらい成長させてもらった。選手としての存在感、こうあるべきという立ち居振る舞い、強いチームにはこういう選手が必要というのを教えてくれたのは、ムネさん」

そう学んだ松田は川崎の穴を埋めた。思い出の翌シーズンに川崎は渡米。「誰がやろうとなって…」。ムードメーカーが抜けたことでそれまでの遠慮を捨て、自らが「元気印」を引き継ぐことを決意した。常に大声を出しベンチを鼓舞。5年以上もその役を背負った自負とともに、川崎の偉大さも痛感させられた。

「(昨年)4月はめちゃくちゃ(状態が)悪くて、5月にムネさんが1軍に来てから雰囲気もすごくよくなった。先輩が築いてくれたものを受け継いでいく。ムネさんがつくってくれたものを継続していきたい」。昨季まで以上の大声で、チームを鼓舞し続ける覚悟だ。

■内川、僕らがやっているのを見て元気になってもらえるように

同じくキャプテンの内川も熱い思いを吐露した。11年にホークスへ移籍。不安だった新天地でのスタートを支えてくれたのが、当時の川崎だった。最初のキャンプでは積極的に食事へ連れ出してくれ、溶け込みやすい雰囲気をつくってもらったことで、移籍1年目から打率3割3分8厘で首位打者を獲得。川崎とともに自身初の日本一も経験した。内川は涙を我慢するようにゆっくり、ゆっくりと、丁寧に言葉を紡いだ。

「普段はすごく明るく、すごく楽しいムネさんだけど、葛藤とか心の中でいろいろあったと思う。まずは元気になってもらいたい。そこからじゃないと僕らは何も言えない。ムネさんにとって元気になってもらう一番の方法が何かは分からない。でも僕らがやっているのを見て元気になってもらえるように、そう思ってやるしかない」

川崎魂を受け継いだ全員が、全身全霊を懸けた全力プレーでV2シーズンに挑む。 (倉成孝史)