監督人事の是非すら論争にならない“無風”の侍ジャパン

例えば、女子レスリングでいま騒ぎになっているパワハラ問題。その温床は野球界にも通じる。野球の指導者はいま徹底して「上から目線」の指導を改め、選手との接し方、自分の立ち位置そのものを猛烈に反省し、変える努力が求められている。頂点にある侍ジャパンの監督がそれを発信すれば、野球界の明確な方向性となり、「日本中が変わる」可能性がある。だが、そもそも、球界はそんな影響力やメッセージの発信を稲葉監督に求めていない。

小久保裕紀前監督もそうだった。現役引退後、一度も監督を経験していない元選手が、監督を務める。通年で契約できる人材となると、候補が限られるといわれる。多くのスポンサーを集めるために、若々しくクリーンなイメージの人が優先されている感もある。

消去法ではなく、もし確信を持って稲葉監督を起用しているなら、球界はもっと明確なメッセージを出すべきだろう。
「もう古い人に任せる時代じゃない。監督の実績がないことをプラスにする。新しい監督像をつくり、日本中に発信するため、自信を持って稲葉篤紀監督に託しました!」
とでも言えば清々しい。だが、そこまでのメッセージはない。

フレッシュでよい、選手と年齢が近いので風通しがよい、といった利点もあるけれど、これがサッカーならば、「だったら『23歳以下の日本代表』やユース世代のチームに相応しい」という声がきっと上がるだろう。

「頂点」である侍ジャパンの監督が「未経験者」という人選はありえない、と息巻く声も個人的には耳にする。だが、こういった疑問の声は、球界ではほとんど大きくならない。メディアが音頭を取って、改革への動きを進める姿勢もない。これがサッカーなら、大きな疑問の声がすぐ上がるのではないか。

ファンが議論を諦めた野球界に未来はあるのか?

それが野球ファンのお行儀の良さともいえるが、長年、ファンの声などほとんど通じない、プロ野球は読売を中心とする長老たちに、高校野球は高野連に支配され、普通なら「おかしいぞ」と思うことでも黙って受け入れ、ただ目の前の試合を楽しむことに終始し続けてきた『野球界の空気』『ファンの習性』。そのために、選手たちや野球界全体が多くの不利益を被っていることも、見殺しにされている。『江川事件』『選手会によるストライキ』『近鉄消滅に伴う球界再編問題』の時はさすがに球界も議論に揺れた。高校野球では『特待生問題』があった。だが、いずれの場合も、結局は何事もなかったように、ほとんど旧態依然の態勢は変わっていない。

そんな歴史もあって、ファンもメディアも見事に飼い馴らされ、物を言わない忠実な被支配者になっている。だが実際には、そのような馬鹿馬鹿しさを感じるファンの多くは野球から気持ちが離れていった。

このままでいいのだろうか?