3月3日、4日、侍ジャパンがオーストラリア代表と強化試合を行いました。稲葉篤紀監督就任後、初の“トップチーム”編成での試合を2連続零封勝利で飾った侍ジャパンですが、WBCやプレミア12など目標とする大会が直近にないこともあり、注目度はいまひとつ。2012年から常設化された「侍ジャパン」ですが、野球界に「代表文化」を定着させるほどの成果は出せていないのが現状です。作家・スポーツライターの小林信也氏は、侍ジャパンの現状をどう見るのでしょう?
(文=小林信也)

侍ジャパンは日本野球を代表する存在か?

稲葉篤紀監督率いる“侍ジャパン”が、3月3日、4日、オーストラリア代表と親善試合を行い、いずれも相手打線を零封し連勝した。

4日の『サンデーモーニング』(TBS系列)で張本勲さんが、「何のために日本代表の試合をやるのかよくわからないよ」と疑問の声を上げた。それ以外のメディアはおおむね日本代表を応援するトーンで報道している。

今年はちょうど“空白の年”。オリンピックもない、WBCもない、プレミア12もない。だからこそ、できるだけ代表の試合を設定しないと「常設ジャパンの意味がない」「意識、チーム力も上がらない」というのが、NPB(日本野球機構)の思いだろう。

シーズン開幕を控えたこの時期に試合をやる必要があるのか、ないのか。侍ジャパンを日本野球の頂点と位置づけた以上、どんな時期であれ、試合があっても不思議ではないと私は思う。だがもっと根本的な意味で、侍ジャパンが「頂点にあるチーム」に相応しい格を備えているのか、意味を果たしているのか、そこが問題だ。

日本代表は、ジュニア、アマチュア、プロ、すべての日本野球チームの頂点に立つ、トップチームだ。その監督も、同様にすべての野球指導者の“鑑”となるのが本来の姿ではないだろうか。

▪??日本代表が指針になるサッカーと「メッセージを持たない」侍ジャパン

サッカーの代表監督が、サポーターはもとより、選手からも指導者からも厳しい批判を浴びるのは、通常は次のワールドカップまでの間、代表監督の意向が日本サッカー界の指針となるからだ。もちろん、日本中のすべてのチームや選手が、代表監督の求めるサッカーに従う必要はないが、影響力は大きいし、日本代表を愛すればこそ、そのサッカーを追従することが、日本サッカーへの忠誠でもある。

野球の世界で育った私が驚嘆したのは、イビチャ・オシムが日本代表監督に就任し(2006〜07年)、「走れ、走れ」と、シンプルだが明快で熱いメッセージを発信した直後の日本の風景だ。ジュニアのサッカーチーム、高校生チーム、草サッカーのプレーヤーまでが、真剣に走り始めた。サッカーウエアに身を包んで街を走る姿にもしばしば出くわすようになった。彼らがオシムの「走れ」というメッセージの真の意味を理解していたかどうかはまた別の話だが、それが日本代表監督の影響力なのだと、頭が下がる思いだった。

いま侍ジャパンの稲葉監督は、オシムのような影響力を持っているだろうか? 明確なメッセージを発しているだろうか?

選手選考、目の前の試合の勝ち負け、采配ばかりを評価され、「いまのところOK」という支持の集め方をしているように感じる。日本中の野球選手と指導者に影響を与える迫力、明確なメッセージはない。

つづく

3/14(水) 17:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180314-00010000-victory-base

写真
https://amd.c.yimg.jp/amd/20180314-00010000-victory-000-3-view.jpg