宮原は京都・立命館小6年時に「アメリカへ留学」と将来の夢を記した。両親の仕事の都合で4歳から約3年間は米ヒューストンで過ごした。
同じ3階建てのアパートに暮らす日本人とは英語で話すが、外国人には口ごもる内気な少女だった。

 7歳で帰国すると立命館小に編入。
5、6年の担任だった中西美佐教諭は「どれだけスケートが忙しくても、宿題を絶対にやってくる優等生。本当に、本当に努力家」としながら
「宮原さん、ごめん。もうちょっと大きな声で!」と訴えかけた授業を思い返す。

 その性格は昨春の1カ月間を過ごした東京の国立スポーツ科学センター(JISS)で変わった。

スピードスケート女子団体追い抜きで金メダルを獲得した高木菜那や、卓球の石川佳純らとリハビリを支え合い、笑顔で前を向くことの大切さに気付いた。
「明るく過ごせば、後々に自分の人生にもいい影響を与えてくれると思いました」。

選手村では他国の選手と交流し、試合後は海外メディアの質問に英語で対応。五輪ならではの学びも、今後の血となり肉となる。

https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/figureskate/news/201802240000179.html