“拳銃もあるから” 西部邁さん、ある夜の酒席
社会週刊新潮 2018年2月1日号掲載
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実は亡くなる前日に…(写真はイメージ)

“保守の重鎮”が、突然この世を去った。

 評論家の西部邁氏(78)である。1月21日の早朝、河川敷から多摩川に入り、自殺をとげたとみられる。

 北海道出身。東大経済学部在学中、全学連の指導層として60年安保闘争に参加。その後は、保守派の論客として、東大などで教鞭を執った。
一方、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)をはじめテレビ出演も多く、討論番組『西部邁ゼミナール』(TOKYO MX)の司会も務めていたのだが……。 

「実は亡くなる前日に、いらしていたんですよ」
 とは、西部氏行きつけの文壇バー関係者。
「娘さんと2人でカウンター席に座られ、他愛のない話をしていました」
 しかし、唯一いつもと違った点が。

「普段は薄いウイスキーのお湯割りしか飲まないのですが、この日に限って“ウォッカを飲みたい”と。“強い酒はうめえなあ”と言いながらストレートで4〜5杯飲まれていました」(同)
 娘さんを先に帰し、本人は0時前に退店。その後行方不明になっていたという。

 その店で西部氏とたびたび遭遇した常連客が続ける。
「奥さんが亡くなった4年ほど前から、酔っぱらうと、“俺は死ぬつもりだ”と口癖のように言っていました」
 さらに、
「今年に入って西部さんが、お店で“拳銃自殺を図ろうと思って、知人に手配をお願いしているのだが、その人と連絡がつかなくなった。どうしたらいいのか”と。
それを耳にしたときは、本気なんだと、驚きましたね」

 無論、その話の真偽のほどは定かではないが、
「西部さんは常々、“病院で延命治療を受けながら無理やり生かされるのは自然ではない”と語っていました。ずっと機を窺っていたのでは」(先の関係者)

 宣言通り、最期の決断を自ら下したというわけだ。