プロ野球選手、高額年俸ばかりが幸せじゃない
2018/1/7 6:30 日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25308240U8A100C1000000/

プロ野球ストーブリーグは後半戦にさしかかっている。最大の目玉の大谷翔平は米大リーグ、エンゼルス加入が早々と決まった。契約更改が一段落した日本球界では日本一を奪回したソフトバンクの大盤振る舞いが目を引いた。大幅アップが相次ぎ、外国人を含めて推定年俸(以下同じ)4億円以上がなんと8人。1億円以上は17人を数える。

■50歳まで現役続けられたのは…

柳田は3年の大型契約を結んだ=共同
https://www.nikkei.com/content/pic/20180107/96958A9F889DE0E7E1E2EAE0E6E2E2E6E2E3E0E2E3EAE2E2E2E2E2E2-DSXMZO2530828004012018000001-PN1-5.jpg

野球選手がお金で評価される以上、高額年俸は選手の憧れ、目標でもある。提示額に満足できず保留したり、フリーエージェント(FA)権を行使して年俸の高い球団に移籍したりするのも理解できる。だが長い目でみれば、破格の年俸をもらうことばかりが幸せとは限らない。私自身がそうだった。

最多勝と最多奪三振に輝いた1997年、初めてFA権を得た私はFA市場の目玉として注目された。人生最高の脚光を浴びてみると、マスコミに追い回される非日常的な時間をしばらく楽しんでみたくなった。「他球団の話も聞いてみたい」「家族と話して決めたい」。移籍する気もないくせに、思わせぶりなコメントを発信して周囲の反応をうかがっていた。

そんなさなかの横浜遠征。駅の売店で夕刊紙1面に「巨人、山本昌」の見出しを見つけた。買ってみると具体的な年俸まで書いてある。興味津々で読んでいた私がふと目を上げると、星野仙一監督が立っていた。「すみません」と反射的に新聞を隠し、大慌てでゴミ箱に捨てた。

しばらく態度を表明せずにいると、シーズン終了から間もなく、星野監督が私について語った談話が新聞に載った。「そういう教育はしとらん」。まずい。監督を怒らせてしまった。恐れをなした私はすぐに球団に電話し、向こうの言い値であっさりとサインしてしまった。アップ額は3千万円。夕刊紙が報じた巨人の額より1億円ほど低かった。

周囲にはもったいないことをしたと笑われた。確かにタイトル2つにFA権まであるのだから、やりようによっては上積みを勝ち取れたのだろう。だがいま振り返ると、私が50歳まで現役を続けられたのは、こういうことの裏返しだったと思う。

球団による年俸格差があることは否定しない。同じ成績を残すなら、裕福な球団の方が報酬は増えるだろう。特にFA前の選手にとっては不公平といえば不公平だ。しかし、である。成功した人の多くが感じていることだと思うが、活躍の場が与えられるかどうかは実力だけでなく、チームの状況やそこでの出会いに大きく左右される。偶然入団したチームでなければ活躍できなかったかもしれない可能性を忘れてはいけない。そう考えればある程度の格差は割り切れる。

私は現役時代、お金でもめた記憶がない。もしもFAで他球団に行ったり、年俸をつり上げたりしていたら、力が落ちた途端に契約を打ち切られていただろう。中日一筋だった私はあまり感じなかったが、FA組は生え抜きとの待遇の違いをこぼすことがある。