0001ストラト ★
2017/12/02(土) 11:06:07.03ID:CAP_USER911月に紫綬褒章を受章したばかりで、1970年結成のバンド・はっぴいえんどでデビューから音楽活動47周年を迎えた松本氏がこれまでをヒット曲とともに対談で振り返る。
これまで手掛けてきた曲の総売り上げ枚数が5000万枚をこえる稀代のヒットメーカーである松本氏だが、はっぴいえんどで作詞を始めた頃は「作詞家になるとは全く思っていなかった」と告白。
バンドはわずか3年で解散した後、本格的に作詞家として名を知れわたらせたのは太田裕美の「木綿のハンカチーフ」。
改めて「作詞家は天職だなと思った」という。
そして80年代には近藤真彦、松田聖子という2大アイドルを手がけることに。
近藤に至ってはデビュー曲からミリオンヒット。
さらに、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」では、はっぴいえんどの細野晴臣と再びタッグを組むすることとなった。
当時コント番組から生まれた曲にもかかわらず本格的な4つ打ちのテクノポップで最先端を行き、大ヒット。
「僕と細野さんがやるのだから、本気のものになりましたね」と懐かしんだ。
松本氏は1980年代の終わりからおよそ10年の休養期間に入り、それが明けて手がけたのがKinKi Kidsの「硝子の少年」だった。
当時は「まだ僕に賞味期限があるのか不安だった」と心配していたが、これが自身最大のヒット曲となり衰えることのない才能を世の中に知らしめることに。
中山は「天才・松本隆」に歌詞が思いつく瞬間を質問。
常人では思いもよらない回答に驚かされる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171130-00000345-oric-ent
12月3日放送の日本テレビ系『シューイチ』で中山秀征が松本隆氏にインタビュー
http://amd.c.yimg.jp/amd/20171130-00000345-oric-000-1-view.jpg