世界各国のリーグやマイナーリーグに「野球旅」をしていると、思いがけない人物に出くわすときがある。
かつてメジャーで活躍したビッグネームや日本でプレーしていた助っ人など、これまで実に多くのプレーヤーと意外な場所で遭遇してきた。

■最底辺よりも下。「プロ野球難民」が集うペコス・リーグって何だ?

日本でプレーしていた選手は口を揃えて、「日本は素晴らしかった」と言い、その印象の良さからか、片言の日本語で向こうから声をかけてくることが多い。
彼らは、野球で稼ぐことができる限り、バットとグローブを片手に世界中を飛び回っている。

“野球不毛の地”と言われていたヨーロッパでも、そうした“ジャーニーマン”はいるもので、ふらっと足を運んだイタリアやオランダでも懐かしい顔に出会った。

イタリア・ノヴァーラ。はるか彼方にアルプスを望むこの町の球場に、200キロほど離れたパルマからやってきたビジターチームのなかに、かつて日本でプレーした“元助っ人”がいた。

「オレは日本でもやっていたんだぜ。えーと、ヨコハマとあとは何だっけ……セ・リーグだと思うんだけど……チームを順番に言ってくれないか」

そう言うので、セ・リーグのチームを順番に挙げてみるも、その選手は首をタテに振らない。
それではと、パ・リーグのチームを挙げると、「ロッテ」でようやく頷いた。

ホセ・カスティーヨ――この名前を覚えている人は多いだろう。
2010年に元メジャーリーガーとして鳴り物入りで横浜ベイスターズ(現・横浜DeNA)に入団し、打率.273、19本塁打と、まずまずの成績を残した。
特にメジャーでも評価の高かった守備は二塁手として持ち味を発揮したが、チームの低迷もあり、1シーズンで解雇となった。

翌2011年はメキシコで開幕を迎えるも、シーズン途中でロッテに入団し4番を務めた。
しかし打率.269、5本塁打と振るわず、この年限りで退団。
その後は、夏はメキシコ、冬は故郷のベネズエラでプレーを続けていた。

昨シーズンもメキシコでプレーしていたが、出場機会に恵まれず、シーズン途中にトレードも経験。
結局、メキシカンリーグでは37安打しか放てなかった。
それでもメジャーリーガーが多数参加するウインターリーグでは、二塁のレギュラーとして打率.332をマーク。だが、今年の春、どこからもオファーがなかった。

そこで選んだのがイタリアだった。イタリアの野球関係者は「このリーグにはいろんなヤツが流れてくるよ」と言うが、その言葉通り、ほかでプレー先のない選手が多数在籍している。

「どうしてイタリアまで来たのかって? まだまだやれるからさ」

メジャーという野球の頂点を極めた選手が、日本円にして月給数十万円の、しかも球場内にある一室に住み込んでまで野球を続ける理由がわからなかった。
しかし、彼の答えは実にシンプルだった。実際、36歳の今も華麗なグラブさばきは健在。
まだまだ現役として十分にプレーできることを見せつけている。

カスティーヨにとってイタリアは、7カ国目のプレー先となる。ちなみに、いま在籍しているパルマは自身20チーム目。
これだけ多くのチームでプレーしたならば、半シーズンしかいなかったロッテのチーム名を思い出せなかったのも頷ける。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171116-00010001-sportiva-base
11/16(木) 8:20配信

http://www.nikkansports.com/baseball/news/img/bb-110618-07-ns300.jpg
https://iwiz-spo.c.yimg.jp/c/sports/text/images/2011/0721/201107210005-spnavi_2011072100006_view.jpg

http://npb.jp/bis/players/01605131.html
成績

https://www.youtube.com/watch?v=AKZ4Las9gv4
ロッテ・カスティーヨが今度は貴重な同点2ラン 7月5日 ロッテ-日本ハム

https://www.youtube.com/watch?v=Se8NtJx2Co8
千葉ロッテマリーンズ ホセ・カスティーヨ 2011 応援歌

https://www.youtube.com/watch?v=YiD14wAhRxg
YB:カスティーヨ:フルカウントからホームラン