「女」が「女」としてでなく、ただ人として生きることの困難や苦しみが、『かぐや姫の物語』には描かれている。
世の中の人は若く美しい女に人生の苦難なんかないと思っている。
美しく生まれた女には人生は楽勝で、生まれながらに勝ち組だと思っている。
そこにどんな絶望があるか、こんな鮮やかに描き出されるなんて思ってもみなかった。
醜い女は「お前なんか女じゃない」と「女」を奪われ、美しい女は「人」であることを奪われる。
かぐや姫は「人」であることを奪われる側の人間だった。
表現というものは、ここまでのことができるのか。
何かを作るということは、何かを伝えるということは、ここまでのことなのか。
今まで誰にもうまく説明できたことのない感情を、なぜこの作品は「知っている」のか。
映画館の暗がりの中で歯をくいしばって何度も何度も泣いた。
高畑勲は、「女」は、人間だと、言っている。なんでたったそれだけのことで
こんなに心が震えなければならないのか。
http://mamiamamiya.hatenablog.com/entry/2013/12/02/100005


『かぐや姫の物語』は雨宮まみのレビューが好きだな
本人死んでしまったのもまた皮肉で