“原宿の母”に誘われ…島田秀平が「占い芸人」になるまで
2017.11.13
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/217405
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“原宿の母”との出会いが人生の転機(C)日刊ゲンダイ

 手相を見る“代々木の甥”として人気のお笑い芸人・島田秀平さん(39)。漫才コンビ時代は外国人だらけのアパートで貧乏暮らし、解散後は“原宿の母”から占いの道に誘われて……。

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 最初は「号泣」というコンビでやってたけど、「爆笑オンエアバトル」(NHK)に出るくらいで、仕事がほとんどなくて貧乏でした。電気、電話、ガス、水道と全部止まりましたよ。
時々、地方の仕事が入って新幹線のチケットをマネジャーから受け取ると、すぐ金券ショップでお金に換えて。名古屋くらいだと往復が2万円で1万円くらい浮く。
時間はあるから、早朝から鈍行で半日かけたり、前日から夜行に乗ったりして仕事に行きました。

 押上の家賃4万円のアパートは風呂とトイレとキッチンと部屋を全部入れて4畳半。窓を開けると隣の家の壁だから日当たりゼロ。
芸人は入居審査が厳しい物件には入れないから審査が緩いそのアパートにしたけど、15世帯の中で僕が105号室、相方が201号室に住み、他の部屋はほとんどがイラン人。

 当時はちょうど、サッカーの日本代表が初めてW杯出場を決めた1998年フランス大会のアジア最終予選の最中。最終戦の日本対イラン戦で日本中が盛り上がってた日は僕らだけ、アパートで完全アウェー。
岡野がゴールを決めた瞬間、壁が薄いので、あちこちの部屋から「あああ!」と悲鳴が聞こえてきて。僕は歓喜の声を上げられませんでした(笑い)。

■「あんた、手相を見る力がありそう」

 お金がないので、バイトしてたカラオケボックスでは、部屋を片づける時、お客さんの食べ残しがあると捨てる前につまみ食いしてました。チキンナゲットとか。
ファミレスのバイトの時は賄いがあって、ショウガ焼きとか豪華。バイトのみなさんが「おまえ食えてないんだから」ってご飯を大盛りにしてくれたり。

>>2以降へ続く