また、みね子の初恋の人は佐賀の御曹司で、おしんの夫も同じ。おしんは身分違いを押して嫁ぎ、姑からひどい目に遭う。みね子の場合、熟考の末、自ら身を引いた。もし彼女ががんばって嫁いだら、ひどい目に遭っていたかもしれない。彼女は初恋を諦めた分、ヒデという気の合う伴侶と結ばれることができたのだ。

 成功するが波乱万丈なおしんと、地味だが安定した幸せを得ているみね子。どっちがいいだろう。波乱万丈も悪くないが、地味で安定も悪くない。

 昨今の朝ドラが、波乱万丈で大きな事業を成し遂げる主人公の物語のほうが主流となっているのは、そのほうがドラマチックだから無理もない。だが、一方で、みね子的な地味路線も模索していたのだ。例えば『ちりとてちん』(07年)では、ヒロイン(貫地谷しほり)は、専業主婦のお母さん(『ひよっこ』の、一家にひとり欲しいと言われる愛子さんを演じた和久井映見)の生き方を一度は否定するものの、最後の最後に、その道を認め、自らそちらを選ぶ。『つばさ』(09年、次の『わろてんか』と同じ後藤高久が制作統括をつとめた)の序盤、ヒロイン(多部未華子)が、家を出てしまった母(高畑淳子)の代わりに家庭をきりもりし、主婦とは毎日同じことをすることだと悟っている。『まれ』(15年)のヒロイン(土屋太鳳)も、序盤、夢見がちな父を反面教師とし、夢など見ずに公務員になろうとする。だが、これらのトライはあまり受け入れられなかったのか、視聴率的には低いまま終わった。

 『ひよっこ』のヒロインは、家族優先で、自分のことは後回しにして、その分、わずかなお給料で毎月、洋食屋のメニューを一品ずつ制覇していくというささやかな目標をもって日々暮らしていて、その慎ましさは受け入れがたいと感じる視聴者の声もあった。だが、彼女は、家の事情もあって、ふつうよりもやや地味な暮らしをしているだけの自分を、決して悲しい人間だと思わない。ささやかなプライドだけは失わなかったヒロインの堅実さは、やがて、安定した呼吸のように心地よいリズムとなって、毎朝、なくてはならないものになった。最初は、超えられなかった視聴率20%の壁を、中盤から超えて以降は、安定の20%台となり、最終週では、自己最高を更新し続けた。毎朝の定期的なランニングは、最初は辛いけれど、毎日、やっていると慣れてきて、やらないほうが気持ち悪くなるようなものだろうか。

 決して、卑屈にならず、嫉まず、自分も他人も肯定しながら生きてきたことで、朝ドラの伝統に少し風が吹いた。地味なヒロインの成功。おめでとう。そして、ありがとう。