脚本家の岡田惠和氏(58)が心温まる世界を紡ぎ出し、半年間にわたって日本の朝を彩ったNHK連続テレビ小説「ひよっこ」(月〜土曜前8・00)は9月30日に最終回(第156話)。インターネット上には放送終了を惜しむ“ひよっこロス”が広がった。近年多かった朝ドラ王道パターンの「ある職業を目指すヒロイン」「偉業を成し遂げる女性の一代記」とは異なり、実在の人物をモデルにしないオリジナル作品。派手さはなくとも、視聴者の心をつかんで離さなかった理由は何なのか。「みんなの朝ドラ」(講談社現代新書)などの著書で知られるドラマ評論の木俣冬氏が総括、分析した。

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 朝ドラ96作『ひよっこ』は、女の大河ドラマ化が進んでいた朝ドラの伝統に、小さな革命を起こした。

 大河でなくていい、地味でもいい、そこに幸せはある。ということを描いて、多くの支持を獲得したのだ。

 「この世は悲しいことばかり」

 これは、『ひよっこ』最終回にて、主人公みね子(有村架純)が『家族みんなで歌自慢』に出場して歌った「涙くんさよなら」の一節だ。恋をしたから、しばらく涙とお別れ宣言するという歌を歌いながら、涙するみね子は、ほどなく、2番目の恋の相手・ヒデ(磯村勇斗)と結婚する。

 1964年から68年にかけて、ドラマで描かれた4年間に、「悲しいことばかり」があったかというと「ばかり」かどうかは別として、確かに「悲しいこと」はあった。

 高度成長期に取り残された地方(架空の地・奥茨城村)の農村の家計が楽ではないこと。出稼ぎに東京に行ったお父ちゃん(沢村一樹)が行方不明になってしまい、2年半後にみつかったときには記憶喪失で、美人女優(菅野美穂)の家に居候していたこと。初恋の相手(竹内涼真)とは身分違いで別れざるを得なかったこと。家に仕送りをしているため、なかなか欲しいものが買えないこと。

 ……と、こんなふうに、家のために働くこと優先で、自分の目標や夢をもつ余裕がなく、彼女をモデルに漫画を描いている漫画家たち(岡山天音、浅香航大)には、人生が「地味」だとダメ出しされてしまう。

 だが、『ひよっこ』では、「泣くのはいやだ 笑っちゃおう」だとか「悲しいことを、人の力によって打ち消す。マイナスをプラスにする」だとかいう言葉が折につけ出てきて、「悲しいこと」を転化するトライが行われてきた。みね子は常に、悲しみをちょっとだけずらして回避してきたのである。

 そこで比較したいのは、朝ドラ絶対王者であり、波乱万丈、女の一代記のロールモデル『おしん』(84年)との、パラレルワールドのように、少し似ていて、大きく違う点である。

 『おしん』のヒロインは東北の出。奥茨城村からさらに雪深い山形で貧しい暮しをしていたおしんは、奉公に出た町でつらい目に遭う。祖母に持たされたお金を、盗んだお金と間違えられ、責めを受けるエピソードは目を背けたくなる。『ひよっこ』の序盤、みね子も、東京に行く際、祖父(古谷一行)から1万円をもらう。それが倉本聰の『北の国から‘87 初恋』のオマージュではないかと感じた視聴者もいたが、朝ドラ好きとしては『おしん』を思い出し、「悲しい目」に遭うフラグでないようにと祈ったものだ。そのお金が、最終回の1話前で、『歌自慢』のために家族が上京する資金となったときには、ほんとうに胸が踊った。

つづく

10/1(日) 8:00配信 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171001-00000069-spnannex-ent

写真
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