【テレビ】矢野顕子、バックバンドを務めてくれたYMOは「最高のダンスバンド」 [無断転載禁止]©2ch.net
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2017年9月30日15時9分 スポーツ報知
矢野顕子、バックバンドを務めてくれたYMOは「最高のダンスバンド」
歌手の矢野顕子(62)が30日放送のTBS系「サワコの朝」(土曜・前7時半)に出演し、元夫で音楽家の坂本龍一(65)が所属する「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」は、「私のバックバンドだった」と語った。
矢野は高校生の時、ジャズ研(ジャズ研究会)に所属、当時はジャズを演奏している軽音楽部があるのは青学大だけで、「ここだ」と決め、猛勉強の末に進学したという。
YMOのメンバーとは「みんな音楽仲間だった」と矢野。「最初は私のバックバンドだったんですね。YMOの人たちは。それが、2〜3か月たったら逆転しまして私が後ろに。でもそれは、分け隔てない関係でした」と語った。
矢野は「私にとって、YMOは最高のダンスバンドだったんです」といい、「あれだけのリズムを作り出すバンド。テクノで、みんなコンピューターを使ってデジタルとか考えていますが、実はもっともっとアナログで、人のマンパワーのバンドだったんです。3人ともうまかったし、今でもそうですけども」と続けた。
矢野顕子
http://www.hochi.co.jp/photo/20170930/20170930-OHT1I50083-L.jpg
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170930-OHT1T50129.html >>6
ピアノの名曲いっぱい作ってますわ
演奏も上手い デリックの次にアコースティックバンドをやろうとしたが無理だったので浮気をやった リトルフィートのメンバーは最初は彼女の実力に懐疑的だったのにいざ一緒にやったらびっくりしたってね >当時はジャズを演奏している軽音楽部があるのは青学大だけで
そんなわけあるか??? >>13
それ違うw
矢野さんは春咲き小紅だから。 YMOはもともとマーティンデニーの曲を、
ディスコカバーする所からはじめたから、
ダンスバンドで正解。 しかし何となくこの女は偉そうな物言いだよな。
この女のバックバンドだけやってたわけじゃないだろ。
昔からこの女は失礼な感じが。。。だから嫌われるんだよ、σ(゚∀゚ )オレ君からも。 >>18
ミュージシャンや玄人の一部からの評価が高いから天狗・・・と言うか一般受けしないし、もうそれしか拠り所が無いんだろうな >>6
散々ステージこなしてる訳だが・・・・
誰かと間違ってない?w YMOのファイヤークラッカーを
初めて聞いた時は衝撃的だった はっきりいってYMOのどのメンバーより矢野の方がずっと才能あるからなあ 誰も微動だにしないYMOの演奏の中で ピョンピョン跳ねる矢野顕子は可愛かった >>23
昔から何やってんのかわからない人だったし。
今の騒動で色々聞いて、なんか納得した。 >>27
バンドだろ
薬や戦メリ程度で弾けると言わない
ちなみに久石譲もへたくそなので相手しないように。あっちは音楽もひどい >最初は私のバックバンドだったんですね。
1979年4月末のPit inn矢野顕子5days
>2〜3か月たったら逆転しまして私が後ろに
1979年8月始めのグリークシアター
このことかな >>18
医者の娘だし、育ちから来るんかね。
上野千鶴子とか こんなやつらが東京五輪の音楽監督を務めるのかと思うともうね今からちょうたのしみ バックバンドから始めたみたいな言い方やな
ただお手伝いしてただけやん 「きらいなものはありますか?」
坂本「ドラムセットの形に組み上げるタイプの打楽器が嫌い」はいはい 昔は女をリードボーカルにするの流行ってたよな
なんかの影響だったのかな ダンスバンド≒タンスバンド
字も似ているしこれでもいいじゃん。
By ロジッ苦☆松武 >>51
これでも最初はアイドル路線で売り出そうとしたんだぜ
でも売れるわけなくてしかも作曲家の矢野誠とすぐ結婚しちゃった
アグネスチャンのバックバンドやってたからよく見たわ >>49
ミュージシャンも業界も声域というのを知らなくて、おれが作った曲はなんで誰も歌えないんだろと思ってた
しかも「おれは歌えるのに」と思ってた >>28
ペンタトニックの沖縄音階だと、てきとーでもそれなりに >>31
機材メインで動くからな。モノ売るメーカーとしてはこっちが使いやすいし有用 青学の高校中退じゃないのかよ
アメリカに住んでるなら日本での仕事をメインにしなくていいから >>18
「ウソをつくのは良心が咎めるから正直に言うけど私って超天才」ってキャラだから仕方ない 天然美少女と整形アイドルの卒アルの差www(画像あり)
https://goo.gl/e9Pza4
サカイ引越センター
社員ボコボコのパワハラ動画
動画撮影者を脅すも#週刊新潮にスクープされる。
トレードマークのパンダを強調した東証1部上場の業界大手
動画 ↓
https://twitter.com/ayarin14/status/913193299460026368
「 ア イ ツ ら は バ カ だ よ 」
自分のパソコンのカメラをテープで塞いでいる、ということは、
向こう側から自由に個人のパソコンを覗けると言っているに等しい。
マーク・ザッカーバーグが、フェイスブックの利用者に対して、
「アイツらはバカだよ」と言い放ったとか。
https://twitter.com/kininaru2014111/status/914111815675633665
イ ル ミ ナ テ ィ の メ ン バ ー だ っ た
レディ・ガガ:魂をイルミナティ暗黒勢力に売ったことを後悔
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=136115 …
NHKが紅白歌合戦にゲストで招いた人でよね
⇒レディ・ガガは、イルミナティのメンバーだったことを初めて公然と告白
苦痛を伴う線維筋痛症候群(FMS)に苦しんでいるそうだ
https://twitter.com/junko_in_sappro/status/912857748907245568
幸 福 の 科 学 は 反 ・ マ 人 ト レ ー ヤ
今は30年以上前に死去した高橋信次について見直している
幸福の科学が大川隆法を正当化するためGLに幹部を送り込んで、
ネット上の高橋信次の講演をすべて削除したと聞いているが、
隠されてしまったおかげで聞けば聞くほど凄みがある
「習わなかった国の言葉を、何故しゃべるのでしょう。
日本語しか知らないのに、何故しゃべるのでしょう。
もしみなさん、これがデタラメであるならば、
勝手に自分でしゃべってみてください」(a18_2a 23分〜)
「マ人トレーヤという人をよく知っている、その人から教わりました。
ゴータマ・シッダールタの時代に、
弥勒菩薩と呼ばれたマ人トレーヤから、いろいろな事を学びました。」(25分〜)
http://東海アマ.minim.ne.jp/takahasisinji/takahasisinji=a21.html 40過ぎてスナック()でアルバイトしてる親戚の人元気?
色々グレーな噂が絶えないけど >>14
「高校軽音楽部で」だよ。
そのために青森の中学から東京の青山学院の高校に進学した。
東京で面倒を見てくれたのが父親の友だちの安部譲二。 俺にとってYMOはクラフトワークに影響された
フュージョンバンドと言う印象 >>42
おじいちゃんが役人でタイタニック乗ってたんでしょ。
その頃の役人なら日本人オンリーだったんじゃないの? >>18
なぜかこの番組ではその偉そうで嫌な感じが全面に出ちゃってたね。冒頭から
「ニホンデワー 矢野顕子(62) というように、カッコ内年齢を必ず付けるけどー
アメリカデワー絶対ないーぐだぐだあああ」
と不満たらしてたところを
佐和子に「ここもニホンデスカラー」とバサリ斬られたのが後をひいたか 原坊がサザンは私のバックバンドって言ってるようなもんだろ 顔が平安顔やから
現代ポップスに乗ったいにしえテイストなんだな
曲全部が、江戸時代以前の匂いプンプンで 清水ミチコは矢野顕子の初期から現在まで真似できるのはすごい
清水ミチコに、ユーミンと矢野顕子の今にもケンカになりそうな
才能自慢の対談をやってほしい リトル・フィートをダンスバンドなんて言ったらアメリカ人に殺されるよな
上から目線だよな >>1
ユキヒロのドラムが聴こえてくるとついつい踊っちゃう
って言ってたね
でもほんと、テクニック的には知らんけど
高橋幸宏のドラムは凄い特徴あるし踊りたくなる気持ちは分かる >>82
娘のラジオ番組にゲストで出た達郎が
キミのお父さんがお母さんに負ける姿をよく見てた
みたいな話をしてたね ドンカマは走る by矢野顕子
自己中にも程があるな
合わさなきゃいけない連中は大変 >>85
YMOの海外ツアーで、
YMOの曲では観客がみんな静かにしてるんだけど
この人の曲になると凄い反響があって
メンバーは嫉妬してたらしいねw >>87
実際反応あったのは坂本龍一のbehind the mask
マイケルジャクソンもエリッククラプトンもカバーした クマを録るときリトルフィートに
何度も練習させたそうなw >>89
それ「も」反応あった。
イギリスでね。
その曲になったらオシャレなカップルが踊り出して
「おれカッコイ〜」って思ったって話 >>18
それで、坂本龍一の浮気になやみつつ娘つれてものみの
布教活動してたという姿を思えばよけいに笑えるじゃないか >>91
それthe end of Asiaな
ザイカントンはガセ むかしユーチューブにYMOの面子がファンクを演奏している音源があったけど、
もうなくなっちゃったかな? >>93
それは確かにthe end of Asiaだけど、
在広東少年がウケってのも事実だよw
坂本がインタビューで「すっごいウケた」と応えてる。
けっこう僕ら三人ともショックだったかもしれないですねw
と言っている 早く坂本龍一をふっ切ってくれないかな
何かいつまでも引き擦ってる感じがして痛々しい >>69
>>70
高校の話か。
俺の高校にもあったけどなジャズ研。
札幌南高校。後から知ったけど小西康陽がOBだったみたい。 >>72
いやそうじゃなくて・・・
井桁って精神異常者がいつも音楽関係のスレに「細野晴臣は朝鮮人」てなこと書き込むので
そいつのレスかな?と YMOも嫌いじゃないけど、やっぱ今聴くと古臭いし当時でも世界的に見たらクオリティは低い?
YMOの何年も前のトッド・ラングレンのシンセ使った曲とか遥かにポップでクオリティ高い。 >>103
でもラングレンは今もたいして進化してないかというか…
対してHASYMOとか聴くと還暦過ぎたおじいちゃん達がこんなおしゃれなことやんのかと驚く >>23
検索して見たけど、本当ならショックだな…
色々積み重なって告発になったんだろうけど。。 坂本は誤解されてるよな なまじ「アーティストの坂本龍一」ってことだと
出来上がったイメージの中だけで演奏してる部分あるから
スタジオミュージシャンとして残してる演奏聴くと、もっとファンクな
今の人で言うと、森俊之みたいな演奏もいっぱ残してて、そっちもなかなかのもん
だから矢野も>>1みたいなこと言うし、吉田美奈子は今は森俊之起用してるけど
MCで「(ファンクな鍵盤は?)昔なら坂本、今なら森さん」みたいに言ってたわ >>103
昔の音楽だから古臭い音がすんのは分かるけど
テクノデリックは普遍的だと思う。
生楽器でテクノっぽくなるなんて想像してなかった >>107
プロフィール見たら、やたら偉そうな肩書ばっか増やしてるみたいね。
ああいうタイプに「人格的に尊敬できる」のはいないと思う。
だってそうだろ?w
上下関係を徹底的にして偉そうにできちゃう人っていうのはもう直らない。 僕、何もしてないのに、酔っぱらった4番目から飛び蹴りやパンチ喰らった事があるんですよね。
↑
これとかヒデーな >>113
そういうのは教授もよくやってそうだけどw YMOの海外公演では終盤は観客踊りまくりだろ
国内だと今でいうヲタクみたいのしか来ないから終始地蔵だが 中期以降は幸宏が歌い出す場面が増えてドラムを叩かなくなったのが痛かったな
Dパーマーのドラムは嫌い 矢野のファーストアルバムのレコーディングメンバーが
リトル・フィートってのがすごい >>96
在がウケた説は、
他の英詞曲と変わらん
アジア女子が歌ったのが珍しい
を混ぜてアルファが捏造しただけ。
証拠は海外在アゲ証言が一切ないこと。 矢野顕子は昭和30年2月生まれ
高校受験は昭和45年の冬かな
青山学院、成城学園、学習院を受験して学習院は落ちたらしい
青山の軽音部を入ったら、みんな下手でがっかりしたとか
正直というか遠慮がないというか
反面、安部譲二宅に居候して当時の安部奥さんに
岩海苔の瓶のふたはちゃんと閉めなさいと注意されて
そんなことを初めて教えられたというから
よくわからんわ >>72
タイタニック号に乗船してた唯一の日本人だから
しかも江戸っ子(三代続く江戸住み)だぜ
ちなみに父親は橋を作ってたらしいから爺さんの鉄道省といい理系の役人の固い家系だよな
細野さんの音楽の才能は母方かららしい >>121
なんで医者の娘がヤクザの家に住むんだ? >>4
mjd
両方大好き
日清製粉のCMで歌声聞くたび涙でそうになる テクノなのに、ドラムがいるって
今なら、逆に新しいと思う >>125 安部譲二が抗争で怪我したとき矢野顕子の父が手当てしたのが縁だったとか
ネットで見たことがあるけど、真相は知らん
安部譲二はただのヤクザじゃないよ
三島由紀夫の複雑な彼のモデルだし、育ちはいい
どう見てもゴリラだけど >>125
wikiによると
安部譲二はそれなりのお坊っちゃま育ちで、麻布中(橋本龍太郎と同級生)、この時にやくざの舎弟になって麻布は高校から断られロンドンへ留学。
向こうでも事件をおこし帰国後慶応高校へ編入もばれて高校を転々。高校卒業後日航に客室乗務員で入社。ヤクザであることがばれて退社。日航時代を三島由紀夫がモデルにして小説かいて映画化もされてる。
1964年に安藤組が解散し、日本航空を退社した後は、新宿の暴力団の小金井一家にヘッドハンティングされる。同時にキックボクシング中継の解説者、ライブハウス経営、プロモーター、レストラン経営、競馬予想屋などの職を転々とした。
特に1960年代後半から1970年代にかけて青山でジャズクラブ「ロブロイ」を経営していた時期は本店を当時の妻の遠藤瓔子に任せ、赤坂と六本木と三田の支店をそれぞれ愛人に任せ、
白いキャデラック・フリートウッドを乗り回し、ドーベルマンを飼い、東京都大田区鵜の木の敷地700坪の豪邸に住むほどの勢いがあった[10]。
この当時、「ロブロイ」でピアノを弾いていたのが当時高校生だった矢野顕子で、後に遠藤瓔子が当時を回想して書いた「青山『ロブロイ』物語」はテレビドラマにもなった。 歌上手いと言われようが
演奏上手いと言われようが
全然いいとは思えない婆
音楽って上手さじゃないんだっていう見本 >>104
パシフィコ横浜で演ったHASYMOってもう10年前なんだな アオキだか青山のテレビCM一瞬で終わったな。
ぱよちんがスポンサー連れてすっ飛んで来たんだろう。 はっぴいえんどで名を残してた細野晴臣と
サディスティックミカバンドで名を残してた高橋幸弘
芸大の作曲学部を首席で卒業したと言われる坂本龍一
青学軽音楽部の話は、逆にスケールを小さくしガッカリ感が半端無い・・・ >>29
矢野は絶対音感を持ってるからね。相手の技量の判断は容易いだろう。 歌唱力が0以下の杉浦幸に、転調しまくりの『花のように』を提供した
矢野顕子さんはまさしく鬼であった >>131
むしろわかりやすい上手さとは反対でしょう
技巧に惹かれてファンになってる人すくなそうだが >元夫で音楽家の坂本龍一
結婚してたことに衝撃なんだが >>139
お若いんだね。
1990年の前後で計10年くらい月刊カドカワで日記みたいなことを連載してたから美雨ちゃんがデビューした時は小学生だったのにと歳月を感じたが、教授とのことを知らない人もいるのか。また歳月を感じてしまった。 >>135
お前は絶対音感をなんか勘違いしてるなw エディー!細野と、高橋と坂本三人そろってきてるよぉ〜 たまにはREI HARAKAMIのことも、思い出してあげて下さい。 ウィルリーとかアンソニージャクソンとかに比べたら細野なんて雑魚だもんな
これでもきをつかってるよ >>139
俺は離婚してたことに驚いたぞ
まあうまく行きそうな組み合わせではないな >>139
昔、ほとんどTVなんかでないたけしの嫁とうわき夫どうしというていで対談番組でてた 離婚してたのか
今知った
矢野顕子の矢野って
最初の旦那の名前なんだよな >>50
氷室さんからだったか誰からだったか
坂本龍一がいいともテレフォンショッキング出たときに
花が来ていて
坂本龍一に、こんなひと知りません的なこと言われてた 矢野さんの曲は心地よくてよく聴いた
アルバムは「ごはんができたよ」から「LOVE LIFE」の期間が好き
特に「WELCOME BACK」の“It's For You”は何百回聴いても飽きない
今世紀に入ってもう枯れたかなと思ったら、今年発表の”Soft Landing”で驚かされた >>142
確かさんまのまんまに出た中谷が坂本じゃなきゃやんないとか言ってたら実現したうろ覚えな記憶
んで、いかにも坂本さんらしいなあと思ったわ…サクッと終わったけどw はるさきこべにでYMOをバックバンドに従えてザベストテンに出演
そんなことがあったようななかったような 【整形女王】明日花キララのバージョンアップがヤバすぎwwwwwwww
http://wp.me/s7LbHP-20 1955年、東京生まれ。
医師である父の開業にともない、3歳で青森に転居。中学まで青森市で過ごす。青森市浪打の青森明の星高等学校付属ピアノ教室でピアノを習い始める。
既にこの頃から「その日起きた楽しかったこと」などを、即興のピアノと歌で表現していたほか、発表会では既定の曲を即興でアレンジすることもあったとされている。
ザ・ゴールデン・カップスのファンになり、しばしば当時居住していた青森から、彼らがデビュー以来出演していた横浜市本牧のバー「ゴールデン・カップ」まで見物に行っていたという。
1971年 - 軽音楽部に憧れて単身上京し青山学院高等部に入学。
高校生の部活動では満足できなくなっていたため、15歳のとき、父親の知人である安部譲二と当時の妻であった遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」に初めて訪れ、のちに安部家に下宿しながら夜な夜なセッションを繰り広げた。
これが業界人の間でたちまち噂になり、やがて高校を2年の夏休みに中退してプロの道を選ぶ。
1973年 - ファーストアルバム発売を前提に、細野晴臣、林立夫らキャラメル・ママ(のちティン・パン・アレー)の主要メンバーと共にスタジオ録音を行う。
結局アルバムは発売されず、一部の録音がアルバム『JAPANESE GIRL』、『いろはにこんぺいとう』、及び1996年発売のベストアルバム『ひとつだけ/the very best of 矢野顕子』に収録された。
1974年 - バンド「ザリバ」名義で、トリオレコードよりシングル『或る日』をリリース。筒美京平が作曲、矢野誠がアレンジを担当。
デビュー当時18歳。レコード会社は矢野にしか興味が無かったので、シングル1枚を発売しただけですぐに解散となる。
長男の妊娠を機に矢野誠と結婚。当時19歳。
1976年 - デビューアルバム『JAPANESE GIRL』を発表。
デビュー作にして、米国のロックバンド、リトル・フィートをバックバンドに迎えてアルバムの片面で渡り合っている。
もう一方は、あがた森魚、細野晴臣、鈴木茂、駒沢裕城、ムーンライダーズの面々。自作曲のほかに、故郷青森の民謡と、歌謡曲を矢野顕子流に料理した傑作。
そのアメリカ録音の逸話として、リトル・フィートのリーダー、ローウェル・ジョージは矢野の音楽のレベルに対して自分達が十分サポートしきれなかったことを、プロデューサーに泣きながら詫び、演奏代金を受け取らなかった
1977年
4月より1年間、NHKのAMラジオ番組「若いこだま」のパーソナリティを担当。
8月発売のセカンドアルバム『いろはにこんぺいとう』において、シンセサイザー・プログラマに松武秀樹が参加。
翌年には次作『ト・キ・メ・キ』でも松武が参加し、さらに矢野、松武ともどもイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)にサポートメンバーとして参加することになる。
矢野はその後坂本龍一、ジェフ・ボヴァ、レイ・ハラカミと共同作業者を変えながらも、電子音楽への傾倒を継続することになる。
1978年
9月26日、「ト・キ・メ・キ」ツアーにYMOのメンバー3人が参加。YMOメンバーとの共同作業の開始。
1979年
矢野誠と離婚。 坂本は還暦くらいからの老化が細野と同レベルに酷かったね
癌進行の影響が大きいんだろうけど10年前と比べて別人のようだ このオバさんヒットきょくもないのになんで偉そうなの? この人は、プリンスが亡くなった時のレポートで、「david(bowie)は,
どうちゃらだから、アメリカでは、こんなに騒がれない。」とか言ってて、
あんた、そんなにbowieと親しかったっけwと思ったわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています