ざっくり整理します。

・稽古中に鈴木砂羽が出演女優二人(同じ事務所)に練習早退を告げられ、キレた鈴木砂羽が土下座して謝れと言った。

・舞台公演二日前に女優二人が降板という異常事態。

・ブログに女優がその事を書いて炎上。

・ワイドショーなどでコメンテーターが舞台監督とはそのようなものという論調を展開(しているように見える)

・鈴木砂羽が舞台初日を終えて、土下座強要を否定

・女優の所属事務所関口社長がテレビ出演して土下座強要はあったと反論

鈴木砂羽と関口社長の言い分が真っ向から分かれています。

確かに人前で演技をするなどということは、人と違った際才能がなければ出来ないはずです。我々とは違う世界に生きているのです。
異界の住人と僕などはとらえています。それほど芸事の世界は厳しい。
だからこそ、人格否定されようが罵倒されようが、良い作品を残し、ファンの前で演技をし、喜んでもらうというとても想像のつかない世界です。

が、今回、問題となっているのは実は、鈴木砂羽か土下座を強要したかではない気がしています。
本質は、土下座もやむなしの世界が演劇界だと援護する同業者と業界内の抗いがたい空気だと思っています。

テレビでのコメンテーター達の「俺たちのころは」「私たちの時代は」のあとに続く言葉は「それが当たり前だった」。
そのあとに「それはいけないけれど」とエクスキューズをつけるのですが、これは視聴者の反感らに対するとってつけた予防線である事は視聴者もバカではないから。気づいているでしょうに。

恐らく、我々の脳裏にあるのは故蜷川幸雄監督の演技指導です。物を投げて、怒鳴る激しい演技指導に我々は「やはり世界的監督ともなるとこのくらの指導をするものなのだな」と、懼れるがごとく眺めていました。

アレに甘んじていないでしょうか。

その世界にいる自分たちに酔ってはいないでしょうか。芸能村の皆さんは。

http://dailynewsonline.jp/article/1355096/
2017.09.15 08:30 東京ブレイキングニュース