【プロレス】垣原賢人が語る UWF入門前に藤原組長“大根テスト”の洗礼 [無断転載禁止]©2ch.net
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コラム【今あるのはあの人のおかげ】
子供の頃から憧れはUWFに入門すること。
ところが、何度、願書を出しても書類選考で落とされて、やむにやまれない気持ちで上京したのが16歳の時。
直談判も2回したけど、まったく相手にされず、落とされ続けました。
だから、入門するために必死でした。
そんなある日、意を決して3度目の正直で道場に行ったら、めったにお目にかかれない藤原組長がいらして、練習後にちゃんこを食べていた。
そして「おう! 坊主もこっち来いよ」と気さくに声を掛けてくれたんです。あの時はものすごく緊張しました。
でも、UWFに入りたいと伝えるのは今しかない、入門のチャンスだと思って「入門テストを受けさせてほしい」と懇願しました。
酔っていて気分がよかったんでしょうね、組長が「今からテストしてやる」と。
それからちゃんこの鍋にフタをしてグズグズ煮始めた。
「後ろを向け。今からおまえの背中に大根をのせる。もし熱さに耐えられたら入れてやる」って。
当時、テレビで熱湯に入るバラエティーもあったけど、その時の組長は一切、手加減なし。
ほんとに鍋から熱々の大根をつまんで背中にのせたんです。こっちは入門するために大まじめで「熱い」とも言わずに執念で我慢!
それを見た組長が「ホントに根性あるな」と認めてくれて10日後に入門テストを受けることができ、憧れのUWFに入門することができました。
それからは厳しいトレーニングの毎日。
体が小さく身長はUWFの規定の180センチ以下。とにかくしごかれました。
スクワット1000回は当たり前で、自分の汗で目の前に水たまりができるくらい。本当に殺されるんじゃないかって思いました(笑い)。
実際せっかく入門したのに、毎日の特訓が厳しすぎて夜逃げする人もいました。
それが1年2カ月続いてやっと90年8月にデビューすることができました。
場所は横浜アリーナ。毎日の厳しい特訓に耐え抜いて残ったのは結局、僕と冨宅飛駈だけ。新人同士でデビュー戦を戦いました。
ところが、やっとデビューしたのに4カ月後にUWFが解散。
僕はUWFインターナショナルに所属することになり、組長と稽古することもなくなり、バラバラに。それが今までの長い間、とても心残りでした。
http://news.livedoor.com/article/detail/13470572/
2017年8月14日 10時26分 日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.youtube.com/watch?v=BBePt-uQ6Zo&t=19s
藤原喜明のテーマ
http://www.igf.jp/wp-content/uploads/2011/05/fujiwara_l.jpg
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20150603/20150603-OYT8I50343-N.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/3c/6f2771d497471518072bf572d1530cf8.png
http://scontent.cdninstagram.com/t51.2885-15/e35/10518289_1475416859418527_1177336723_n.jpg そして組長と再会したのが2年前。悪性リンパ腫で闘病中の僕を応援してくださる方が有志で開催した試合「カッキーエイド」に出演してくださった。
その時は「大丈夫だ。おまえの目を見ればわかる。がんになんか負けるなよ」と励ましてくれました。
医師に悪性リンパ腫のステージ4といわれた時は正直言ってうろたえました。
もしかしたらこのまま死んでしまうのかなって。組長も胃がんを克服された経験をお持ちなので余計にありがたさが身にしみました。
それから1年3カ月抗がん剤の治療。
その後は気分的にも体力的にも攻めに転じたいと思って力が湧いてきました
。リングに上がるぞ! 元気な姿を見せるぞ! って。
そんな時にちょうど大日本プロレスの登坂社長から「うちのリングを使って復帰戦」との話をいただきました。
8月14日に復活戦、スパーリングマッチをやることになりました。しかも、藤原組長にお願いをして対戦相手になってもらうことになったんです。
組長にお願いする時はドキドキものでした。だって、入門のきっかけをつくってくれた方で雲の上の存在です。
なのに電話をしたら、二つ返事で快諾してくれた。感謝、感謝です。
本当のところ、医者から激しい運動を止められています。
だから、スパーリングなのですが、それでも前代未聞の「無制限」。1分で終わるかもしれないし、1時間続くかもしれない。
でも、念願かなってついに“関節技の鬼”と呼ばれた藤原組長と対戦できる。気合入っています! 組長も病院から復活したんだよな
垣原さん 東京ドームでSKに勝ってるんだよな あの10・9の東京ドーム 柿原は高山に勝った選手ってことで歴史に名前が残るよな >>1
なんか後半画像がちげえけどなw
若元一徹は山本小鉄や デビューが横浜アリーナってUWFってやっぱバブリーな団体だな
昔の新日とかならデパートの屋上とかだろ 藤原に恩義があるのに何で藤原組じゃなくてUインターに行ったんだ?
選択の余地なく高田のとこに所属になったかもしれんが。 藤原慕ってるならUインターじゃなくて冨家と一緒に藤原組行けばよかったのに。 >>14
もし俺がカッキーの親ならインター行けっていうわ
前田とか、船木鈴木みたいなアクの強い先輩より、山ちゃんとか一見常識人の宮戸がいるところ行けって
実際はどこ行ってもマトモじゃないけどねw 組長がタップして
「ポカやらかした」
ってコメントしたら完璧。 坊主同士で似たような色のパンツにレガースでどっちがどっちなんだっていうデビュー戦ね。
その他の試合は前田vs安生、藤原vsフライ、高田vs船木だったかな。 初めて見たプロレスが垣原と冨宅がローキックペチペチ蹴りあってた試合 1984年のUWF、さっき読み終わったところ。
ガキの頃タイガーマスク好きだったし、佐山がUWFやめた頃はもう興味なくなった年頃だったが
けっこう面白くて一気読みできた。 パンクラスのプロレスラー離れしたボディメイクが話題になっていた頃
船木が『真面目に練習している人は体を見れば分かる。垣原選手と田村選手はウチに来て一緒にやればいい』と言っていたな
確かにあの二人の体はいつも研ぎ澄まされていた
でも格闘路線ではダメだったな
あまり詳しくないんだけどやっぱり病気とかの影響かな
元気なら田村や金原くらい出来たとか UWFは解散分裂しなかったら、豪華な団体になってたよね
カードを想像するだけでもワクワクする >>20
テーテテ テテテテ テーテーテテテー
テテテテテーテー テーテーテー 頭が禿散らかった平ナオユキのブログの方が面白い
あれタダじゃもったいない >>1
ファイプロ画像w
ブラック・カジワラと梶原丈かw 藤原よしあきがセミナーで
高田は租チン、前田は包茎って言ってた パンクラスってUインターから分裂したんだっけ?最初の分裂はリングス、藤原組、Uインター? あの頃冨宅が大阪プロレスに上がることを予想していた人はノシ Uが一番楽なプロレス。
もちろん勝敗は予め決められている。 >>33
藤原組から分裂
新生UWFからUインター、藤原組、リングスに分裂
藤原組にいったのが船木と鈴木とその下数名 一旦Uインターに行ったけど、すぐにリングスに移籍したのは長井だっけ?
UWFは人間関係がややこしそう >>35
お前田村だろ、そういうこと言うから友達少ないんだよ あんまし関係ないけどガチホモというかゲイのイメージしかないアレクが結婚公表したってびっくりしたわ 掌底、掌底って浸透してきた時期だったけど
この二人のデビュー戦は大振りのビンタにしか見えなかった。ビンタとキックで15分引き分けだったっけ。 いつも第1試合は垣原VS冨宅だったな
ほとんど冨宅が勝ってた記憶だけどあれも勝敗決まってたのかな 蝶野「巡業で移動中に組長がうるさいからと言って坂口さんの車のスピーカーにブスっとアイスピックを突き刺したの見てヤバイとこ来ちゃったなと思いました」 昨日なぜか冨宅のこと思い出してた俺にとってタイムリーな気がするスレ >>12
経費使いすぎて、利益全然だったらしいね
それを前田が金使いこんでんだろって不正経理疑ってフロントと揉めたのが崩壊の始まり >>45
なお、新日は垣原の呪いも邪道外道の直感も乗り切った >>24
証言UWFは読んだ?
1984年のUWFの後に読むとかなり楽しめるよ こいつが関わった団体ほとんど潰れるか潰れる寸前まで没落してるんだよな
あっち行ったりこっち行ったりの日和見主義で今じゃ最後のよりどころUの名で売名 >>27
新日なんて何度その波があったことか・・・ 組長にアツアツの大根を入れられた事で背中の細胞が変性したって説はないの? >>26
田村はユーダブルエフインターでパンクラスぽい内容でとカキハラと事前に折衝して試合した
が、田村いわく、カキハラはガチ向いてないと。 結局ノアの開幕でのあれは何だったの?
小川に軽くあしらわれてたけど。 >>1
一応プロフィールでは183cmになってるのに
さらっとサバ詠みカミングアウトしとるw
まぁいっか あの長州襲撃は今でも鮮明に覚えてる
垣原も好きだった 10.9の垣原と健介の試合ってブックだったのかな?
健介がふて腐れた表情で入場してきたのにも理由がありそうだね カッキーカッターとか言い出してから、ファンが激減したよな なぜ大外狩りをカッキーカッターとかSTOとか別名で呼びたがるんだろうな >>58
入団当初16歳時の身長が180p以下だったのかなと自分は読み取ったけど… >>20
独自に歌詞付けてるんだろ
パワーホールで、ちょーしゅーりきー足が短い♪みたいな >>62
プロレスの試合の99.9%はブックあり勝敗決めあり。 何だよ、大根テストって てっきり組長の大根を入れられたのかと U系も従来のプロレスと何も変わらずブック有りヤオな事は
シューティングの選手(朝日昇、佐藤ルミナ等)が堂々と雑誌のインタビューで喋ってたな あのときの格なら健介が垣原に負けるのは番狂わせだけど、今考えるとガチでやったら健介が垣原に勝てるわけねえもんな
Uインターはみんな強かった。高田と安生宮戸中野以外 Uインター借金返済の為、カネの為に我が身を売り武藤のドラスク足4の字でギブする高田に大熱狂していた輩はなんだったのか?? 佐山と高田のキック合戦で客が凄いものを見てる感出しまくってたのも懐かしいw >>20
わかる 途中でガラスの十代とメロディがそっくりな部分があるからその歌詞で歌えるんだよな Uインターの練習で高田が丼で氷水がぶ飲みしてる映像見た事あるわ
練習中何度も何度も 垣原は曲がりなりにも復帰できて良かったな
高山も無事戻ってきますように 紙プロか何かのインタビューでグラウンドでの殴り合いは
子どもの頃に見た両親の喧嘩を思い出すから嫌いって言ってたな
キングダム以降の低迷は幼少期のトラウマも一因だったのかも UWFに入りたかったと言ってる割には、Uインター、キングダムが崩壊したら高山とスタイルが真逆の全日に上がってたよなw
馬場さんは他団体は自分が認めた選手しかあげないって方針だったみたいだけど… >>77
船木が格上撃破し続けたときは、掌底を使いまくって、ブック破りみたいなもんだった。
前田戦で、船木が負けてから、禁じ手になったけど。
まあガチでやったら月一興業さえ
無理ってのはあるだろ。 >>87
意味深な発言して皆がとうとうカッキーがプライド出るんかと思わせといての全日本でズコーだったわ >>88
晩年は仲直りは無理と思われてたのに今ならあのときの前田のことが理解できるとか言ってるからな、世の中わからんわ 高校生なのにお金くれなきゃやりませんって最初っから言っちゃうんですね
http://kabu.btels.com/0815.html >>86
キングダム以降の低迷は、目が原因だろう
新日との対抗戦で橋本にやられたやつ >>77
しかしライトヘビー以上はU系が圧倒的だったな
須田ボコったヒンクルなんか坂田程度に負けてるし Uでスパーが強かったと評判の高田が
ビバリーヒルズ柔術クラブの白帯に腕ひしぎとられて「ギャ〜」って絶叫しちゃうって
Uって何なんだろな プライドでの八百長コールマン戦が全世界でいまだに馬鹿にされてるし
海外で「タカダ」と言えばfixed fightで通じる
いったいUって何なんだ >>87
たぶん
Uが割れて藤原が「メガネスーパーが引き取るから来い」と言われても
船木と袂を分かつ形になってもUを選んだのは
藤原が嫌だったんだと思うw
>>1にもあるように慕ってるようには見えない 高校生なのにお金くれなきゃやりませんって最初っから言っちゃうんですね
http://raswe.maxsyma.com/0815.html 何かよく旅番組に出てたけど、どういう人選で出てたんだろう 漢字のおけいこ φ(._.)
修斗で誰も勝てなかったエリックパーソンにカーロスニュートンがスカ勝ち
川口もニュートンにかすりもしないボロ負け
しかしUの桜庭はニュートンに快勝 大森を秒殺したのってブック破りなの?
それともプロレス内??
マニアさん教えて。 >>104
桜庭に圧勝したニーノ・シェンブリが最強てこと? カッキーがステージ4だったのか・・・
話題にもならんかったな リンパ腫ならばまだステージ4でも助かる可能性はある。高くは無いが >>1
「背中に熱い大根を乗せる」
これはつまり何かの比喩表現だろ? カッキーカッターって何?
ひぐちカッターみたいなもん? >>115
大体合ってる
そこから少し捻りを加えてマエケン体操が入る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています