「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」「機動戦士ガンダム」「装甲騎兵ボトムズ」……。
かつて日本中の子どもを熱狂させ、大人たちも巻き込んで大ブームを起こしたアニメーションのメカニックを手がけた大河原邦男さん。

45年にわたって第一線で活躍し、後進のデザイナーにも影響を与えている大河原さんですが、必ずしも好きで選んだ仕事ではなかったといいます
。誰もが知る大ヒットアニメが生まれた時の秘話や、仕事の極意などについて話を伺いました。

■転身のきっかけは結婚

(仙石)大学時代にテキスタイルデザイン科で学ばれ、デザイナーからスタートされたそうですね。

大河原
学んだことを生かそうと、大手アパレルのオンワード樫山に入社し、紳士服の企画をやっていました。ただ、やることはほぼ決まっていたので、
さほど面白い仕事でもないなと感じていました。
そこで、おとぎの国という子ども服ブランドに転職したのですが、そこで出会ったデザイナーの一人が私の妻です。
「結婚するのに同じ会社にいるのも不都合があるのでは」ということになり、私が辞めました。

結婚式で仲人から「新郎は無職」と紹介されるのも切ないと思い、新聞広告の求人欄を見てタツノコプロに応募し、美術課というところで、背景を描く係として採用されました。

(仙石)結婚が理由でタツノコプロに入られたのですね。その後、メカニックを描くようになるまで、どのようなことを経験されたのでしょうか?

大河原
入社1年目に、当時、美術課長を務めていた中村光毅さん(後に『機動戦士ガンダム』『風の谷のナウシカ』などの作品で美術監督を務めた。故人)から、
「10月から始まる『科学忍者隊ガッチャマン』のタイトルロゴをやってみるか」と声を掛けられて、やってみたらすんなり通ったんです。

その後は、メイン以外の「敵メカ」や乗り物など、すべて任されました。「見よう見まね」です。ガッチャマンは、平均視聴率21%と意外に評判が良かったこともあって、
8クール105本という作品になりました。次に『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』という作品を手がけました、気が付けば45年間もメカデザインをやっています。

■ガンダム秘話

河原 その頃はもうフリーになっていました。タツノコを辞めた中村さんと「デザインオィス・メカマン」という会社を設立しました。
そこでは仕事量が少ないのに中村さんと同じ金額の給料をいただいていたんですが、なんだか申し訳なくて、居づらくなっていました。
そんなときに、サンライズに転職したタツノコ時代の知り合いが、私を呼んでくれたのです。
以降、『無敵鋼人ダイターン3』を経て、『機動戦士ガンダム』のモビルスーツのデザインをすることになりました。

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