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2017/07/08(土) 00:11:09.02ID:CAP_USER9黒澤館長は極真空手の強豪として知られ、1984年第16回全日本選手権大会で優勝、1991年第5回全世界選手権大会で
3位などの実績を残した。また、PRIDEやK-1などプロのリングでも活躍。1998年には極真会館から独立し黒沢道場
(後に聖心館空手道に改称)を設立。近年は後進の指導と空手の普及のため尽力していた。昨年、膝の手術を受け、
リハビリ中であったが、3月25日に急性心不全のため他界。54歳だった。
葬儀告別式は近親者のみで執り行われたが、故人の生前の極真会館を始めとする空手・格闘技関係者らへの感謝の
想いを伝えるべく、今回の偲ぶ会が開催された。
会にはかつて黒澤館長と共に“極真三強”と呼ばれた松井章奎・極真会館館長、増田章・IBMA極真会館師範をはじめ、
七戸康博・社団法人極真会館理事長、PRIDEやK-1で戦った角田信朗など約80人が出席。
増田師範は「大山倍達総裁存命時に、極真空手を広めるため共に戦った戦友だったと思っております」とスピーチ。
松井館長は「20年が経過して残念ながらこういった形での再会となってしまいました。もし握手が出来ていたならどんなに
嬉しかっただろうか。大山総裁がよく言われていましたが、虎は死んで皮を残す、人は死んで名を残す。黒澤君はまさに
そういう生き様をした男だったと思います」と評した。
黒澤館長と全日本ウェイト制選手権大会で対戦した七戸代表は、「黒澤師範は強いです。全日本ウェイト制選手権で
試合をした時、黒澤師範は指を折ってしまい、本当なら棄権するところです(折れた指が皮を突き破って外に飛び出ていた)。
でもそれでも戦い続けました。本当に凄いと思います。気持ちが凄いと思います。本当に黒澤師範は強かったと思います」と
かつてのライバルを称えた。
また会では新たに聖心館師範に任命された水島良治氏号令のもと、子供達の元気な演武が披露された。黒澤館長に
弟子として長く仕えた水島氏のことを黒沢は常々「時期師範は水島で俺は影で支える」と言っていたという。
会の最後には黒澤館長の妻・弘美さんの、聖心館の代表就任が発表された。
弘美さんは黒沢館長他界後、聖心館から身を引こうとしたが、道場関係者、道場生、父兄の勧めもあり代表に
就任することを承諾。「空手家ではございません私ですが、黒沢が遺しました大切な道場生たちを守り抜きながら
大切な道場を守っていく所存でございます」と弘美代表が挨拶。水島氏は空手の指導、弘美代表は経営と
黒沢館長が遺した言葉を伝えていくと言う。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-00000007-gbr-fight