高嶋)学校の先生が、「高嶋は相撲取りの四股名に出てくる難しい漢字だけはよく書ける」と褒めてくれたくらいで(笑)。まぁ私の話はさておき、杉山先輩の長い長い相撲実況生活の中で、いちばん印象に残った力士といえば、誰になりましょうか。

杉山)初代若乃花です。若乃花は晩年は豪快な呼び戻しで“土俵の鬼”と呼ばれるんですけど、若い頃は結構、下の者に負けてたんですよ。ところが上の者、横綱にも勝つんです。これが何より魅力的でしたね。

高嶋)あの一族の血筋というのは凄いものがありますね。

杉山)若貴のお父さん、貴ノ花が昭和40年に入門を志願したとき、お兄さん(※初代若乃花)が猛反対したというのは有名な話ですがね。体型的にいうと、あの一族は、ぜんぜん太れない体質なんです。

高嶋)息子の貴乃花関は大きくなりましたが。

杉山)無理して太ったんですよ。ですから、相撲をお辞めになったあと、別人のように痩せちゃった。お兄ちゃん(※二代目若乃花)も頑張ったけど、120キロがせいぜいで。ですから、花田一族は、強いけど太れないんです。

高嶋)なるほど…。変なこと訊きますけど、そもそも杉山さんは、相撲アナになりたかったんですか。それとも、たまたまなっちゃったんですか。

杉山)私は小倉生まれの小倉育ち、田舎者です。東京から流れてきたラジオの相撲中継に魅せられたのが、1937年、小学校1年の時。双葉山の全盛期ですよ。まだ見ぬ双葉山、玉錦の雄姿、両国国技館の光景…。これらを語ってくれるアナウンサーという職業は素敵だなぁ、と思いましてね。
『玉錦のべんべんたる太鼓腹が波打っております!』なんて聴いてもね、小学生の私には「べんべんたる太鼓腹」なるものが、具体的にどういうものなのか、よくは分からないんだけれども(笑)、なんとなく伝わるものがあるじゃないですか。

高嶋)非常によく分かります。そこまでは私の小学生時代とまったく一緒で(笑)。いまの大相撲を観て感じることとはなんでしょう。

杉山)相撲を伝承文化として、どうやって次の時代に受け継いでいってくれてるかというところをしっかり見ています。つまり、大事なのは、“抑制の美“”抑えの美しさ”。勝ってガッツポーズなんて、とんでもないと。

高嶋)というと、そのへんが最近はズレてきていると…。

杉山)そうですね。その点、白鵬、稀勢の里、高安なんかは立派です。
白鵬が63連勝、双葉山の69連勝という大記録に迫らんとしていた、6年前の九州場所二日目。当時、平幕の稀勢の里が、無敵の白鵬に勝ったんです。ところがこの時、稀勢の里は、ガッツポーズのガの字も見せませんでした。握りこぶしさえつくらなかった… これは立派ですよ。このときは白鵬のほうも、悔しさを隠し、淡々と土俵を下りました。これぞ、大相撲の神髄ですよ。