(セ・パ交流戦、中日1−5楽天、2回戦、1勝1敗、3日、ナゴヤD)中日・荒木雅博内野手(39)が3日、楽天2回戦(ナゴヤドーム)の四回に
右前打を放ち、史上48人目となる通算2000安打を達成した。

 元中日監督で荒木を1996年のドラフトで1位指名した星野仙一氏(70)=現楽天副会長=が、2000安打を達成した教え子にエールを送った。
まな弟子の中で立浪、山本昌、岩瀬、福留に続く5人目の名球会入り。最大の思い出は95年秋のドラフト会議後に荒木の父・義博さん(66)が放った、
ひと言だった−。

 笑顔でお祝いの花束を渡したあと、荒木の頭を抱きかかえた闘将の目にはうっすらと涙がにじんでいた。

 「そりゃ、18歳のころを知っている教え子が大記録をつくったのだからウルウルくるよ」

 「ヨッシャー!」 近鉄・佐々木監督の豪快な声が会場に響いた95年秋のドラフト会議。7球団の競合の末、近鉄は福留孝介(PL学園)の指名権を
獲得。“敗者”の中に星野氏がいた。外れ1位の原俊介(東海大相模)を巡る巨人との抽選も外し、“外れの外れ”で決まったのが荒木。数日後、スカウトからの
報告に闘将は驚いた。

 「オヤジさんが、『契約金は要りません。プロに入ってから稼がせます』と言うんや。そんな親は今までおらんかったからな。こういう、しっかりとした親に
育てられたんやなと思った」

 1円でも多く…。誰でもそう思う。プロに指名されると親族が一気に増える。「後見人」を名乗る“関係者”が出現したりもする。荒木の場合は違った。
通常の契約金が支払われたが、プロで稼ぐという父子に闘将の心は揺さぶられた。

 98年には井端、翌99年には福留が入団。「この3人を徹底的にしごいた。将来のドラゴンズを背負って立つ男やからな」。中日は2000年代に入って
リーグ優勝4回(日本一1回)。黄金時代を支える1人に成長した。

 アダ名は当時活躍したタレントの荒木定虎に似ているという理由から「トラ」−。「2000安打を達成するとは思わなかった。世代交代の波に負けずに
がんばれ。これからのトラに注目したい」。中日監督時代に手塩にかけた教え子の中から5人目の名球会入りに、星野氏は喜びを隠せなかった。

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