0001湛然 ★2020/08/13(木) 22:31:51.24ID:CAP_USER9
NUMBER GIRL・田渕ひさ子、13歳でギターを始めて…アユニ・Dが聞く音楽体験
2020年08月13日 12:50J-WAVE NEWS
https://news.j-wave.co.jp/2020/08/post-6520.html
https://news.j-wave.co.jp/assets_c/2020/08/EetI7IqU8AcXEEY-thumb-900x600-104911.jpg
J-WAVE(81.3FM)×「MUSIC FUN !」連動企画である、深夜の音楽座談プログラム『WOW MUSIC』。“すごい”音楽をつくるクリエイターが“WOW”と思ういい音楽とは? 毎月1人のクリエイターがマンスリープレゼンターとして登場し、ゲストとトークを繰り広げる。
8月のマンスリープレゼンターは、BiSHと並行して、バンド形態のソロプロジェクト“PEDRO”としても活躍中のアユニ・Dが担当。8月7日(金)のオンエアでは、NUMBER GIRLのギターであり、PEDROのサポートメンバーでもある田渕ひさ子が登場。ここでは、田渕が音楽のルーツについて語った部分を紹介しよう。
(中略)
◆制服のままギターを弾いた日々
アユニ・Dは、田渕の音楽のルーツを掘り下げた。
アユニ・D:ギターを始めたのは?
田渕:中学1年生の冬とか。私が冬生まれなので、13歳のはじめから。
アユニ・D:きょうだいの影響で?
田渕:そう。お姉ちゃんもお兄ちゃんもいて、私が小学校低学年のころから上のお姉ちゃんはユーミン(松任谷由実)、下のお姉ちゃんはTM NETWORKをよく聴いていて、音楽には常に触れていました。ギターを始めたのは私が通っていた中学校が空前のバンドブームで、先輩もバンドをやっているし、同じ学年にも7バンドぐらい男子のバンドが存在していて。
アユニ・D:すごいですね。
田渕:たまたまそういう中学校だった。それで「なんか楽しそうだな」「そういえばうちにギターがあったな」と思って。お兄ちゃんのボロボロのクラシックギターが押し入れのなかで眠っていたので、それを引っ張り出して弾き始めました。
アユニ・D:教わったんですか?
田渕:クラスに1人すごくギターがうまい男の子がいたんです。でも、私はとても暗かったので(笑)、あまり話しかけられないんだけど、わからないことがあると「〇〇ってどうなの?」みたいに、ボソボソって訊いてました。
アユニ・D:じゃあ、始めたときはほぼ独学。コピーはしていたんですか?
田渕:雑誌の付録の歌本みたいなものがあって、歌詞の上にGマイナー、とかDってコードが書いてあるのを見て。毎月その付録がついていて、ひと月に2曲ぐらいずつ、コードの押さえ方の絵も書いてあるっていう。巻頭2ページぐらいはそういう曲があったので、それをノートに写して(笑)。CからCマイナー、Cマイナー7とか。ありあまっている時間をそこに注いでいました。
コードを覚えた田渕は、小遣いを貯めて本屋でコードブックを購入。その本を見ながら、知っている曲をとりあえず弾く、という方法で少しずつギターに慣れていった。
田渕:でも、クラシックギターだったので、音もモノもデカい。私は熱中するとそればっかりになっちゃうので、家族から「寝られない」「うるさい」「テレビが聴こえない」と言われました。学校から帰ってきたら「ごはんよ」って言われるまで、制服のままジャカジャカやる毎日。
田渕いわく「そのころは女子がバンドをやっていると言ったらミーハーかオタクと思われる。今みたいに『ギターをかついでいる女の子がかわいい』という文化は皆無だった(笑)」とのこと。
田渕:男子はバンドをやったらモテるかもしれないけど、女子はまったくない。まあそれは私個人の問題ですけどね(笑)。ひとつ上の学年に男の子が組んでるバンドが7つくらいあったけど、女の子は2つくらい。私がギターを弾いているってだけで、学年のかわいい女の子から「バンドをやろう」って言われて。「え、いいの?」「この人と話したことない」みたいな(笑)。それで女の子バンドを組んでいました。
◆「ビりながら、それでも」どんなライブでも観に行った
アユニ・Dが田渕に好きなアーティストを訊くと「中学3年生ぐらいからすごくすかんちが好き」と回答。
田渕:すかんちって曲のいたるところに60年代70年代のバンドのオマージュやフレーズがあって、それを見つけるのが楽しくて、よく聴いていました。あとはクイーンとかツェッペリンとかを聴くんだけど、中学生がそんなのを部屋で流していると「異国感」がすごい。かっこいいとかかっこわるいとかがまるでわからない感じのまま、ずっと聴いていました。70年代のバンドとかを聴き漁ってました。
2020年08月13日 12:50J-WAVE NEWS
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J-WAVE(81.3FM)×「MUSIC FUN !」連動企画である、深夜の音楽座談プログラム『WOW MUSIC』。“すごい”音楽をつくるクリエイターが“WOW”と思ういい音楽とは? 毎月1人のクリエイターがマンスリープレゼンターとして登場し、ゲストとトークを繰り広げる。
8月のマンスリープレゼンターは、BiSHと並行して、バンド形態のソロプロジェクト“PEDRO”としても活躍中のアユニ・Dが担当。8月7日(金)のオンエアでは、NUMBER GIRLのギターであり、PEDROのサポートメンバーでもある田渕ひさ子が登場。ここでは、田渕が音楽のルーツについて語った部分を紹介しよう。
(中略)
◆制服のままギターを弾いた日々
アユニ・Dは、田渕の音楽のルーツを掘り下げた。
アユニ・D:ギターを始めたのは?
田渕:中学1年生の冬とか。私が冬生まれなので、13歳のはじめから。
アユニ・D:きょうだいの影響で?
田渕:そう。お姉ちゃんもお兄ちゃんもいて、私が小学校低学年のころから上のお姉ちゃんはユーミン(松任谷由実)、下のお姉ちゃんはTM NETWORKをよく聴いていて、音楽には常に触れていました。ギターを始めたのは私が通っていた中学校が空前のバンドブームで、先輩もバンドをやっているし、同じ学年にも7バンドぐらい男子のバンドが存在していて。
アユニ・D:すごいですね。
田渕:たまたまそういう中学校だった。それで「なんか楽しそうだな」「そういえばうちにギターがあったな」と思って。お兄ちゃんのボロボロのクラシックギターが押し入れのなかで眠っていたので、それを引っ張り出して弾き始めました。
アユニ・D:教わったんですか?
田渕:クラスに1人すごくギターがうまい男の子がいたんです。でも、私はとても暗かったので(笑)、あまり話しかけられないんだけど、わからないことがあると「〇〇ってどうなの?」みたいに、ボソボソって訊いてました。
アユニ・D:じゃあ、始めたときはほぼ独学。コピーはしていたんですか?
田渕:雑誌の付録の歌本みたいなものがあって、歌詞の上にGマイナー、とかDってコードが書いてあるのを見て。毎月その付録がついていて、ひと月に2曲ぐらいずつ、コードの押さえ方の絵も書いてあるっていう。巻頭2ページぐらいはそういう曲があったので、それをノートに写して(笑)。CからCマイナー、Cマイナー7とか。ありあまっている時間をそこに注いでいました。
コードを覚えた田渕は、小遣いを貯めて本屋でコードブックを購入。その本を見ながら、知っている曲をとりあえず弾く、という方法で少しずつギターに慣れていった。
田渕:でも、クラシックギターだったので、音もモノもデカい。私は熱中するとそればっかりになっちゃうので、家族から「寝られない」「うるさい」「テレビが聴こえない」と言われました。学校から帰ってきたら「ごはんよ」って言われるまで、制服のままジャカジャカやる毎日。
田渕いわく「そのころは女子がバンドをやっていると言ったらミーハーかオタクと思われる。今みたいに『ギターをかついでいる女の子がかわいい』という文化は皆無だった(笑)」とのこと。
田渕:男子はバンドをやったらモテるかもしれないけど、女子はまったくない。まあそれは私個人の問題ですけどね(笑)。ひとつ上の学年に男の子が組んでるバンドが7つくらいあったけど、女の子は2つくらい。私がギターを弾いているってだけで、学年のかわいい女の子から「バンドをやろう」って言われて。「え、いいの?」「この人と話したことない」みたいな(笑)。それで女の子バンドを組んでいました。
◆「ビりながら、それでも」どんなライブでも観に行った
アユニ・Dが田渕に好きなアーティストを訊くと「中学3年生ぐらいからすごくすかんちが好き」と回答。
田渕:すかんちって曲のいたるところに60年代70年代のバンドのオマージュやフレーズがあって、それを見つけるのが楽しくて、よく聴いていました。あとはクイーンとかツェッペリンとかを聴くんだけど、中学生がそんなのを部屋で流していると「異国感」がすごい。かっこいいとかかっこわるいとかがまるでわからない感じのまま、ずっと聴いていました。70年代のバンドとかを聴き漁ってました。