0001砂漠のマスカレード ★2019/12/13(金) 05:49:16.38ID:2diI0UmA9
映画「仁義なき戦い」やドラマで活躍した俳優、梅宮辰夫(うめみや・たつお、本名・辰雄=たつお)さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため神奈川県内の病院で急死した。81歳だった。
6つのがんを経験したが、今年7月にはドラマ復帰。
前日11日には「(沖縄の)久米島で釣りがしてえ」と話していた。長女のタレント、梅宮アンナ(47)は夜にブログで「父の変わりゆく姿に何度も泣いた」と心境を吐露。14日に東京都内で密葬を行い、後日、お別れの会が開かれる。
こわもての悪役から人情味豊かな男まで多彩に演じ、料理、釣り好きでも知られた梅宮さんが突然、人生の幕を閉じた。
所属事務所によると、異変が起きたのは12日午前3時過ぎ。神奈川・真鶴町の自宅一軒家のベッドで就寝中、息をしていないことに気づいた妻、クラウディアさん(75)が119番。
救急車で近くの病院に運ばれ、懸命な蘇生措置が取られたが、東京からアンナや孫娘にあたる百々果さん(17)が駆けつける中、午前7時40分、眠るように息を引き取った。
家族は涙にむせび、かつて恋愛をめぐり交際を反対されたアンナも憔悴(しょうすい)。懸命に悲しみをこらえた。同席した20年来のマネジャーは「最期は穏やかな顔でした」と明かした。
晩年は闘病生活が続いていた。今年1月、6度目のがんとなる尿管がんの手術で左側の腎臓を摘出。翌2月から血液を浄化する人工透析を週3回受けてきた。
そんな中でも料理を楽しみ、今月10日には地元の釣り仲間との忘年会に出席。「今年中にもう1回やろう」と意欲をみせていた。
亡くなる前日の11日も午前9時から約4時間、透析を受けたばかり。その後、「疲れた」と1時間ほど病院で仮眠し、マネジャーの運転する車で自宅へ。
途中、初冬の太陽に照らされた眼下の相模湾を眺めながら「天気いいな。釣りがしてえ。久米島に行きてえな」とかつて友人や家族とよく行った久米島に思いをはせていたという。
現在、遺体は都内某所に安置され、付き添っているクラウディアさんは周囲に「安らかでいい顔をしてるわね」といとおしそうに漏らしている。
アンナはこの日午後11時半頃、ブログを更新。「この数年は、病との闘いでした」と振り返り、「家族皆んなで、日々最善を尽くす毎日でした。。父の変わりゆく姿に何度も泣いた。。。」(原文ママ)
と率直な思いを吐露。まだ気持ちの整理がつかないようで、「少しだけ時間を頂けると幸いです」と理解を願った。
梅宮さんは1958年、東映にニューフェイスとして入社。主演映画「不良番長シリーズ」が大ヒットし、脇役としても「仁義なき戦い」の暴力団員など、東映実録路線に欠かせない存在となった。
ドラマも「前略おふくろ様」の板前役をはじめ、多くの作品に出演。料理番組「くいしん坊!万才」や「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」でも活躍した。
今年7月、テレビ朝日系「やすらぎの刻(とき)〜道」(月〜金曜後0・30)に初の幽霊役で1年10カ月ぶりに俳優復帰。この役で10月17日に再び収録(放送日未定)したシーンがあり、同作が遺作となった。
「最近は(俳優の)松方弘樹さんとか古い友達がいなくなったことを寂しがっていました」とマネジャー。葬儀は密葬として14日、都内で営まれる。
また1人、存在感あふれる昭和のスターが友の元へ旅立った。
梅宮 辰夫(うめみや・たつお)
1938(昭和13)年3月11日、旧満州(中国東北部)生まれ。58年、東映ニューフェイス5期生に合格。
翌59年公開の「少年探偵団 敵は原子潜航艇」で映画初主演。
以後「仁義なき戦い」などの人気映画に多数出演。ドラマでは日本テレビ系「前略おふくろ様」などで存在感を発揮。
85〜87年にフジテレビ系「くいしん坊!万才」に出演。フランチャイズ店「梅宮辰夫漬物本舗」を展開するなど多岐にわたり活躍した。
68年に一般女性と結婚するも半年後に離婚。72年にクラウディアさんと再婚した。
https://news.livedoor.com/article/detail/17518679/
2019年12月13日 5時9分 サンケイスポーツ
6つのがんを経験したが、今年7月にはドラマ復帰。
前日11日には「(沖縄の)久米島で釣りがしてえ」と話していた。長女のタレント、梅宮アンナ(47)は夜にブログで「父の変わりゆく姿に何度も泣いた」と心境を吐露。14日に東京都内で密葬を行い、後日、お別れの会が開かれる。
こわもての悪役から人情味豊かな男まで多彩に演じ、料理、釣り好きでも知られた梅宮さんが突然、人生の幕を閉じた。
所属事務所によると、異変が起きたのは12日午前3時過ぎ。神奈川・真鶴町の自宅一軒家のベッドで就寝中、息をしていないことに気づいた妻、クラウディアさん(75)が119番。
救急車で近くの病院に運ばれ、懸命な蘇生措置が取られたが、東京からアンナや孫娘にあたる百々果さん(17)が駆けつける中、午前7時40分、眠るように息を引き取った。
家族は涙にむせび、かつて恋愛をめぐり交際を反対されたアンナも憔悴(しょうすい)。懸命に悲しみをこらえた。同席した20年来のマネジャーは「最期は穏やかな顔でした」と明かした。
晩年は闘病生活が続いていた。今年1月、6度目のがんとなる尿管がんの手術で左側の腎臓を摘出。翌2月から血液を浄化する人工透析を週3回受けてきた。
そんな中でも料理を楽しみ、今月10日には地元の釣り仲間との忘年会に出席。「今年中にもう1回やろう」と意欲をみせていた。
亡くなる前日の11日も午前9時から約4時間、透析を受けたばかり。その後、「疲れた」と1時間ほど病院で仮眠し、マネジャーの運転する車で自宅へ。
途中、初冬の太陽に照らされた眼下の相模湾を眺めながら「天気いいな。釣りがしてえ。久米島に行きてえな」とかつて友人や家族とよく行った久米島に思いをはせていたという。
現在、遺体は都内某所に安置され、付き添っているクラウディアさんは周囲に「安らかでいい顔をしてるわね」といとおしそうに漏らしている。
アンナはこの日午後11時半頃、ブログを更新。「この数年は、病との闘いでした」と振り返り、「家族皆んなで、日々最善を尽くす毎日でした。。父の変わりゆく姿に何度も泣いた。。。」(原文ママ)
と率直な思いを吐露。まだ気持ちの整理がつかないようで、「少しだけ時間を頂けると幸いです」と理解を願った。
梅宮さんは1958年、東映にニューフェイスとして入社。主演映画「不良番長シリーズ」が大ヒットし、脇役としても「仁義なき戦い」の暴力団員など、東映実録路線に欠かせない存在となった。
ドラマも「前略おふくろ様」の板前役をはじめ、多くの作品に出演。料理番組「くいしん坊!万才」や「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」でも活躍した。
今年7月、テレビ朝日系「やすらぎの刻(とき)〜道」(月〜金曜後0・30)に初の幽霊役で1年10カ月ぶりに俳優復帰。この役で10月17日に再び収録(放送日未定)したシーンがあり、同作が遺作となった。
「最近は(俳優の)松方弘樹さんとか古い友達がいなくなったことを寂しがっていました」とマネジャー。葬儀は密葬として14日、都内で営まれる。
また1人、存在感あふれる昭和のスターが友の元へ旅立った。
梅宮 辰夫(うめみや・たつお)
1938(昭和13)年3月11日、旧満州(中国東北部)生まれ。58年、東映ニューフェイス5期生に合格。
翌59年公開の「少年探偵団 敵は原子潜航艇」で映画初主演。
以後「仁義なき戦い」などの人気映画に多数出演。ドラマでは日本テレビ系「前略おふくろ様」などで存在感を発揮。
85〜87年にフジテレビ系「くいしん坊!万才」に出演。フランチャイズ店「梅宮辰夫漬物本舗」を展開するなど多岐にわたり活躍した。
68年に一般女性と結婚するも半年後に離婚。72年にクラウディアさんと再婚した。
https://news.livedoor.com/article/detail/17518679/
2019年12月13日 5時9分 サンケイスポーツ