姉に「あなたは人のなかで生きる子だから、孤独でいることが辛いのかもね」ってよく言われる。じゃあ、姉は人のなかで生きる子じゃないのかな。
人と関わるのは楽しい。新しい世界が見えるような気がして、でも、その反面劣等感で押しつぶされそうになる。私にはなにもないし、私は真人間でもなければ、底辺を這う芋虫みたいなクズだから。
本当は楽しいだけじゃいけなくて、だからといって苦痛を強いられるのは嫌なんだけど、結局これって甘えなのかしら。
新しい世界を見ただけで留まるんじゃなくて、本当はもう一歩踏み出さなくてはいけなくて、でもだからといってその勇気もなければエネルギーもなくて、でもそれって言い訳なのかしら。
姉が語る「人のなかに生きる」ということは多分ただ楽しいだけの夢見がちな時間を過ごすということではなくて、きっと弾かれた社会に戻るということで、でもそれってきっと破綻寸前まで努力しなければ叶わないことで。
破綻したくないという思いで言い訳しているのかも。最後はいつも姉が助けてくれていたから、それを期待してただ杜漏でいるのかも。
いつも逃げてばかりで、そうやって溜めこんだ負債を誰かに預けてばかりで、本当は、私という存在自体が姉の負債になっていて。
姉だって、「人のなかで生きよう」と思えばそうできるんじゃないか。私という負債さえなければ、いつだってそうすることができるんじゃないか。姉はそれを許してくれるけど、その優しさにつけこんで、姉のことを消費していないか。
こんな状態で、私達が「人のなかに生きる」なんてこと、できるのか。