虐待の話を他人に打ち明けると「ひどい父さんだね」とか「親として失格」とかいう人がめちょめちょ多い
確かに俺は最初の頃こそ父さんを恨んだ事もあった
早くくたばりやがれとも思った

でもその答えを得た日から俺は父さんに期待するのをやめた
「今日は平和に過ごせるかもしれない」「今日はここで殴られないかもしれない」「今はここで話しかけても怒られないかもしれない」
そんな希望的観測を父さんに対してやめたその日から、俺には父さんの悲しみが見えるようになった
色んな辛い事があるんだろう、母さんが居なくなって寂しいんだろう、会社で上手くいってないのかもしれない……
父さんを許しはしてない
でも少なくとも、「期待しない事」は「気付く余裕」に変わり、確かにそれは「許しの足掛かり」になった

と、鼻くそほじりながら考えた7歳の秋