人生は何をどうしても半分以上が苦痛で有ってる?
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金持ちも貧乏人もそいつらなりの苦悩があり
人間という生物は、楽しいは馴れ、苦しいには馴れない生物
この仕組みから、人は生活が楽になってもまだまだ求めてゆき苦悩する
これだよな? 世の中の奴らって、金、容姿、肩書きetcで人を見るやつが多くて、
インスタ映えの流行からも分かるように、自分がどれだけ恵まれてるかで張り合ってる奴が多い
俺は平和主義だからこういう世俗的な価値観に疲れる時がある
世の中にはもっと人情が必要だ 辛いも幸いも気の持ちようで大分変るしな
半分ぴったになる道理が無ぇ >>7
世の中のやつらと言うかぱっと見て分かりやすい価値観って見た目だから仕方ない気もするけどな
見た目やステータス以外の価値観って時間をかけないと分からない物だからこうなるのは必然な気がする 幸せな人もいるとは思うけど、大半は苦痛に思ってる人のが多いよね。
人生で成功した人からしたら、不幸せは自分のせい、気の持ちようだとは言うのだろうけど、自分ではどうしようもないこともあるしね。 苦痛というかもー面倒だ
仕方ないから生きてるけど寝るときもう目覚めたくないやという気持ちにはよくなる 半分以上が絶対的にこれからも苦痛が多いのに、なんでみんな絶望してないん?
どれだけ頑張って苦痛から解放されようとあがいても6:4以上はならないやろ。
多くの人は8:2だったり、7:3だったりするやろ。
自殺する暇がないだけなんか。 生きてる事がそれ事態が、幸せを感じるために苦悩する。
こういう形じゃないか。
おれは幸せなんかいらんのよ。だから苦痛も努力もしたくないんや。
なにも入らないから、何も奪うな、なにも与えるなと生きてきたつもりが、なかなかそうはいかないよな。 うーん
幸せとかも考えてないな
産まれてきちゃったから生きてるみたいな
積極的に死ぬ気もないけど生きる気もあまりない 希望がなくても死ぬのは怖い
簡単に死ねるなら人生が落ちてるタイミングでほぼほぼ死ぬんじゃね 腸内環境が良くて幸せホルモンが十分に分泌されていれば世の中ハッピーに感じると思う
ああ何を食えばそうなるんだろ
何かをしてないときは苦痛とか不安でつらい 幸せよりも苦痛が多いと感じるのは苦痛と感じる時間が長いからと思う
幸せって一瞬で終わる
生きることに積極性がある人尊敬する、なぜそんなに希望いっぱいなのかと
俺全く無いわ 幸せより楽しみを考えてるな
仕事終わったら映画見るか飲むかっていう 夢も希望もなくてたまに楽しいことはある
ある程度の区切りを付けたら死にたいって思うけどいざその時が来たら怖じ気づきそう
同じような奴いるだろ?死ぬのを切り札にして人生と向き合うのを避けてる奴 苦痛かどうかはその人の思想、思考次第じゃない?
気分とかそういうのにも大きく左右されるだろうけど
どん底にいるときに、ちょっとしたことで幸せになれたり
お金があるときの出費で、それくらいならいいだろう、と思えたり >>20
そうそう、そう言うのも含めてよ。
半分以上が苦悩。
楽しいは、一瞬。しかも一瞬で忘れる。
苦悩は乗り越えても、次の苦悩はその苦悩のより上のものになって待ち構えてやがる。
生きてるだけで修行って、釈迦が言うてたのはほんまや。 そうだと思うよ
そりゃ世の中年端もいかないうちに殺されちゃうとか不幸な人もいるけど >>22
考え方を改めれば、多少は幸福度が増すんじゃない?
まぁ、苦痛が多いからこそ
人は宗教に身を投じる…のかな?
どんどん高くなる壁を乗り越えていって
一番最後にはそれより高い壁はなくなるよ 壁を乗り越えようとして苦しむのと
壁があることに苦しむのは違うくね?
今を生きるしかないでしょ
って言いつつ自分がそう出来てないわーくそー 秋刀魚と人生は苦いところがあるから旨い!
ってCMか何かで見た 腸が体を支配してるらしいから腸内環境正常化すればマシな考え浮かぶのかな >>27
壁を乗り越えようとして苦しむのと
壁があることに苦しむのは違うくね?
確かにその通りだわ。
けれどそれは、根の所で一本に繋がってる事だと思うんだよ。
壁があることに苦悩する。
ここに気付いて苦悩するのも壁を乗り越えようと悩むことの1つであって。
それに気付いていない者は悩まない。 腸内環境の話はちらほら出てるけど、セロトニンの話しでしょ?
たぶん、なきなしもあらずとは思うけど、腸内環境を良くしたところで、苦痛と快楽の比率が過半数を越える事はないと思うんだよな。
必ず苦痛が上回る。
副作用もなく常に、ポジティブになれる薬があればそれは、正解だと思うけど、そんなものはないからね。 苦しいのは愛されなかったからに過ぎないぞ
それは根本的には運で決まるが不可変の運命ではないし、「人間とは苦悩」は言い過ぎ
そうでない人間はいるし、その一点で決まる
が巷間言われる愛は愛ではないし、愛されることが困難であることは確かだけど、それは運だけでなく、人間の運用を間違ってるんだよ
スタートラインは違うが、間違わなかったものは苦悩なんてないよ 人間の記憶に残りやすいのが辛い記憶だからそう感じる人のが多いと思う。
自分に何があっても乗り越えられるもの(趣味とか逃げられるものね)があれば多少は違うと思う。
相談できる友達がいない、没頭できる趣味がないと苦痛の時間は長く続くと思う。 酔うことは苦悩の否定ではないよ
苦悩を感じないということが幸福ではない
酔うだけなら物質の話だからね
苦悩の回避としての趣味は趣味ではない
結局愛に包まれていなければ楽しいとは何かがわからない だから愛とかは一過性のものじゃん。
あー、愛されてるわーって四六時中ならないけど、
悩みごとは四六時中続く。
この1日の割合からでもわかるように、人生は苦悩が過半数を占めるじゃん?
よの中の人間はなにも苦悩してない奴が多いのかね?
なにをしてその苦悩を堪え忍んで生きてんだ。
こ 産まれたからただ、生きる
そんなの俺には耐えられないな >>7
そうか?
仕事関係とか、新たな人間関係を築く上で金容姿肩書きを見るのは間違いないが、
友達にたいしてそんなもん考えないだろう。
プライベートでそれを考える奴は、まだ友達がいない奴。 快楽と苦痛を日々の時間バランスでみたら
楽3 : 苦7 って感じはするが、
その苦を乗り越えると快楽物質がザーメンみたいにドバアーーっと出る瞬間がままあって
それがやめられない麻薬中毒者みたいな感じじゃなかろうか。
誰でも身近な例でいうと、セックスがそれで、
もっと稀なところだと、何かを達成した瞬間。 金がしこたまあって女にモテて
弱者を虐げて優越感に浸れる人生が苦痛なわけないだろ
巨万の富と権力さえあれば一生幸せに生きられるに決まってるだろ 一過性じゃないよ
愛し愛されるというのは四六時中
といか世界に愛されてるという状態
愛が一定の時間でその他が多数という感覚は残念ながら一瞬も愛されてない 愛してるとか愛されてるとかも忘れてるだけで一過性やないで 例えばマラソンなんてあんな辛いこと四時間くらいかけて走って、嬉しい瞬間はゴールした瞬間だけじゃん。
ランナーズハイだから…とかそーいうアスペみたいなこといらんからな。
目的に対して、脳が喜ぶのは一瞬の癖にその一瞬の為に努力するのが本当もう疲れるわ。 ふっふっふ。
失うものがほとんど無い。
失う友もおらんしましてやオンナも、ムスメみたいなのが何のつもりかたまに来るだけだ。
雨風しのげて水がキッチリ流れる洋式トイレがあるのだ。
宝くじでも当たるなら当たったで良いが、、、あとは健康さえ改善してくれたらそいで良いや。 >>43
山登りするが、頂上ついたとか下山しきったとかでいい感じを感じるってこってもないぞ。
適度な呼吸で体内に波紋が生成されるような感覚が良いのだよ 某玩具を作った人は権利を玩具会社に買い取ってもらい
何もしなくても莫大な金が入るようになったらしい
取材に行ったらその子供だというお爺さんが登場したんだが
父親のおかげで産まれたときからウハウハなんだろうなと思った
でもお爺さんもお爺さんの息子もちゃんと就職してたから
巨万の富と仕事は関係ないんだなとも感じた セロトニン増やせば苦痛ではなくなるよ。
だから世の中全く苦痛じゃない人もいる。
あと家庭環境にも左右されるね。幼い頃から自己肯定感が培われてれば幸せだろうなー >>8
考え方次第だね
でもむしろ俺は辛いものは辛い、楽しいものは楽しいと完全に受け入れてメリハリをつけて生活してるよ
それができる土台を自分でつくらなきゃいけないしそこは人それぞれ平等じゃないから大変だろうけどね ヘタすると、自傷他害におよんじまうから、しっかりコントロールしねぇとな。
東海道新幹線のヤツもシリアかアフガニスタン行って暴れてくれりゃ良かったのにな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています