振り返ってからいつも気付くこと
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昨日ちょっとした出来事があった
それを機に振り返ってみると我ながら奇妙な人生を歩んでいると思う
自分の中で色々と思うところもある
書き貯めなんかはしてないが、心の中の整理みたいなものだから、長くゆっくり語らせてほしい 海から最も遠いなんて言わてる町に生まれた俺は、生まれからしてどこかおかしい。
母親はフィリピン人、親父は小さな町のヤーさんの組長。
親父が48で母親が20そこらの時の俺が生まれた。
一番古い記憶ってわけでもないが、覚えてる限りでは色んな人が毎日出入りしてたのを覚えてる。
俺の親父なのに、他の人からも「親父」とか「兄貴」って呼ばれててさ、小学校上がるまではそれが普通だと思ってたんだから何も不思議に思わなかったよ。
親父は昔、空手やってたらしくて、手がごつごつしてた。
その手で拳骨食らうとすげえ痛いの。しかもそれで泣いたらもう一発。
「男は泣いちゃいけない」って、何度も何度も言われたよ。
でも俺は昔から泣き虫だったから結局直らなかったけど。 そんなだったけど、でも他の家よりはすごく甘やかされていたと、今なら思う。
欲しがったおもちゃは何でも買ってもらえた。
ベイブレードとかさ、ビーダマンとか、後はゲームボーイなんかも。
それに家に出入りしてる親父の舎弟なんかも、ちやほやしてくるし(〇〇兄ちゃん、○○おじさんって呼んでた)正直言って調子乗ってたよね。
まあでもまだ小学校にも上がらないくらいのガキの時だし、今でも強く印象に残ってることは幾つかある。 >>3
>>4
まあ付き合ってくれよ
俺今暇なんだ そんな俺だったけど、友達は少なかった。
同世代の子供が近所にはいなかったってのもあるけど、やっぱ相手の親が心配するみたいで
「○○さんの子とは(俺の事)あまり仲良くしちゃダメって言われた」、なんて聞かされた時には、寂しかったね
保育園に行くようになって、ようやく友達も出来んだけど、その時の俺はバカとか言われたり、ちょっと小突かれただけでガン泣きするような子供だった。
決まって正義感の強い女の子に慰めてもらったりして、でも俺は男の子と遊びたかったから、そういうの怒鳴って追い払って
なんか、スネオのスネオ、みたいなズルい子供だった 主張が強い子についていって、一緒にいたずらして、たまに矛先がこっち来て、そんで泣いて、からかってた先の子に慰められて、怒鳴って。
今書いてて思うけど、相当な我儘ボーイだったわ。というか訳が分からんカンシャク玉。
そんな子供だったけど、夢は消防士だから笑っちゃうわ。
小学生の時、ここら辺から母親がスナックを再開した。
元からスナックのママをやってたらしいんだけど、俺の学費の足しにするって名目でまた始めた。
でもさ、そのせいで夜中に出てって朝帰ってくる生活になるから、飯は作らないし、家事もできない。
親父も気が長いタイプじゃないから、すぐに言うし当然喧嘩になる
なんか学校から帰ってくるたびに雰囲気でわかるんだよな、「あっ、またやってるな」って
だから俺もそのころからあんま母親が好きじゃなかった 結局飯作るのは親父、洗濯とかそういうのは俺がやって、後の雑事は事務所当番の舎弟の人。
家の前にドラム缶で作った焼却炉があってさ、生ごみとかはそこで全部焼いてたんだけど、そういうのやってもらってた。
このころになると、俺の家は2階建ての家だったんだけど、一階が俺と親父の居住地、兼ねて組の事務所
2階は母親の居住地みたいに、一戸の家で同居みたいな形になってた
今だから思うけど、だいぶキてたんだろうな、俺の家。 母親は、起伏の激しい気性の人だった
よく笑うけど、すでにカッカと怒り出す。
変に姉御肌なところがあるせいか、友達は多かったけど、子供目線でもロクな友達はいなかった。
おまけに無類のギャンブル好きで、しょっちゅうパチンコ行ってて、それで大体勝ってくるから質が悪い。
親父によく聞いてた。
なんで母ちゃんと結婚したん
俺もよくわからん、ってそれ以外言ってなかったから、本当にそんなもんなのかもしれない まあそんな家庭環境だったけど、それでも普通に中学までは上がったんだ。
ちょっと片思いの子とかできたりしてさ、部活も部長なんかやってて、勉強はダメダメのダメ子だったけど
仲がいい友達とかとダラダラ毎日過ごしててさ
んだら、14の夏、親父が死んだ そんな家に生まれたら死にたくなる
本当普通の家で良かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています