毒親?育ちの末路聞きたい? [無断転載禁止]©2ch.net
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三十路になりかけの毒親育ちです
お薬飲んで落ちるまでツラツラと うむ
ありがとぉお
そんなたいした話じゃないけど今までのカス人生をタラタラ目的なく書く
薬で誤字脱字多いけど、気にしないで
家族?構成は父、母、兄、私
私は末っ子で兄とは5歳離れて生まれた
3歳までの人生は母にひっぱたかれたりしてたけど近所のおばちゃんとか優しかったし楽しかったと思う うちは母方の祖父母が長男教で母もそんな感じだった
兄はすごく甘やかされて育った
私は成長するに従い母親、祖父から罵られるようになった
言われることをまとめると女になるなということだった 祖父は離れて住んでいたので顔を合わせれば、まずそうな顔して食うなとか
お前は父方の家の人間にそっくりになってきたな、お前は本当にバカだとか
わたしだけ祖父宅に連れて行かれれば兄はいないのかと落胆されたりしていた
一方母は父のいないところでのみ私に色々な仕打ちをした
叩くは当たり前、人の顔を見れば白くて蛆虫みたい、早く家からでていけ、
生理が来れば汚い臭いみっともないと言われた
胸が発達しだせばスポーツブラジャーも買ってはもらえず体育着から透けてる胸をみてみっともない、汚いと罵られた
私が小学生になってきていた服は全部兄のおさがり、男物を着ることしか許されなかった
髪の毛は伸ばすことは許されずおかっぱよりちょっと男の子よりの髪型しかゆるされなかった 乳首透けてる事件ふくめ、文房具とかも買ってもらえなくてすっごい短くなってる鉛筆に汚い消しゴムを兄がぶっさしたやつとか、消しゴムがないときは毎回隣の子に借りなきゃですごく惨めだった
そんな状態でも運動神経がよかったことで大きないじめとかはなかった
むしろめちゃくちゃ正義感強くてなぞの権力を誇ってた そして私は中学生になった
母の嫌がらせはもっとレベルを上げてきた
下着はすべてベージュ
あいかわらず頭はおかっぱだった
私服はやはりたいていが男物か従兄弟たちのおさがりだった
顔を合わせれば身体や顔に対しての罵声
気に食わなければ蹴る
何時間も自分の欠点を言われ続けたり
トイレも許可制、かならず親の見える範囲にいなければならなかった
文房具はまだ相変わらずな状態だった
中学生の頃ってみんなストパーかけ出したりコンバースはいてみたりみんながすごくキラキラしてみえた >>11
いろいろありすぎてなんかおかしいとこあるけど気にしないでね
ありがとう そんな同級生たちの姿を見て髪の毛を伸ばしてみたくなった
これが初めての反抗だと思う
母に髪を伸ばしたいと言ったら、媚びやがって
とか売春婦とかもう何がそんなに憎いのかと思うくらい禍々しい表情で言われた
そしてまだ短かった髪をバーバーなんたらなんて昔からある床屋に連れていかれカリメロにされた
すごくショックだった そんなこんなでメンタルがだんだんおかしくなってきて過敏性腸症候群という病気になった
中学1年のときだった
下痢がでるとかそんなんじゃなくて屁がかわりにでまくった
あの頃はまだ羞恥心があったので絶望した
不登校になった 屁だけじゃなく
まぁ、女同士のいざこざに巻き込まれたのもあって全員から無視されてる状況でのプスゥはなんともいえない気分だったし
とにかく学校に行きたくない一心だったあのころは 不登校といっても親にバレたら殺されるので学校に親のフリして連絡して休み、家にいる事ができないから不審がられながら謎の自宅にあったズラで変装し大学生を装いつつチャリで最寄り駅まで行き連絡通路をひたすら往復するという謎の行為を何日間かしてやりすごしていた そうやり過ごしているうちにだんだん学校が不思議がって夜と朝に自宅に連絡をしてくるようになった
私は事がバレたら殺されると思いかかってきそうな時間の前にバレないように電話線をぬいたり、偶然親の目が離れてたら電話に出て対応していた
そんで林間学校?の日がきた 林間学校には体のあざとかもあるしほんとなんも手入れしてないさ毛を剃ったり、飯もくわしてもらえないことおおかったから気持ち悪くてさ、そんなん見られたら余計にいじめられると思って生きたくなかった
でも二日間の林間学校
家にいることはできない
苦肉の策で暑かった時期なんだけど兄貴の部屋に天井近くに押入れのちっさいやつみたいのがあってそこに体を折るようにして隠れた 暑くて体は痺れて物音はたてられない
丁度隠れてた日が兄貴の家庭教師が来てる日で
本当に意識がなくなりそうになりながら耐えてた
誰もいなくなった昼の時間にサッと外にでて、というか足がまったく動かなくなっててドン!と下に落ちた
はやくまた隠れなきゃだから足の感覚もどらないうちから這いつくばってトイレして食料バレない程度に明後日また天袋にもどった で2日目の夕方、母親は庭にいるみたいだった
兄は帰ってきて内容だった
天袋からそっと脱出したら今帰宅しました。みたいな顔でリビングの定位置に座った 嫌味をいわれたり臭いなど言われたが林間学校に行ってないのはばれなかった
これくらいのころから母が朝から午後4時の間毎日必ずどこかに行くようになった
だから不登校も家の周りをうろつかずに母が出て行く前の時間だけ隠れて出て言ったらテレビを見るという不登校スタイルになった
いつもテレビ見せてもらえなくてちゃんて見て独り占めしたのがほんとに嬉しかった 母が外出するようになって
私は女性に憧れてたからこっそり母の化粧水をぬってみたり口紅をぬってみたり
はたまた母のブラジャーをつけてみたり母が出かけてる時間は少し女性になれているような気分でなんだかむずむずした しばらくして担任が不審がって家に来た
母はいなかった
実は喘息なんですと嘘をついた
信じた
保険関係の手続きがあるからおかあさん学校これる?という聞かれたので
忙しいから無理だと思う、大人数いて埃っぽいと発作が出るから私が保健室でかわりに手続きしますと言って学校へいった 約1ヶ月ぶりの学校だった
保健室の先生は不思議そうな顔をして
何病院にいってるの?あと入学するときに持病があったら書く用紙見たいのがあるらしく、それがなにも書いてなかったんだけど書いてねと言われた
適当な病院の名前と喘息と書いて先生に渡した
不思議なくらい大人たちがだまされてた ある日家のタンスに隠れていたら母に開けられた
すべてがバレた
ひきづられて物を投げつけられた
母は焦っていたような気がする
世間体は人一倍気にしてたから
自分の子供が不登校
学校に急いで電話して明日から行かせますって言ってた
話通り翌日から学校に行った
なぜかみんな優しかった 学校には相談室がある
相談室に呼ばれた
不登校だった理由を話した
家のことも
その日は先生が家に送ってくれた
先生は玄関先で見守ってくれてた
母はまさかいると思わずに私だけが帰ってきたと思い、いつもの調子で罵倒し始めた
母と目があうと会釈をしすぐに帰っていった 保健室登校になった
出席日数がたらなくなるからとかで毎日登校するように
保健室は中3ヤンキーの屯場になっていてヤンキーたちは可愛がってくれた
そしてしばらく保健室投稿を続けていると校長室によびだされた 校長と担任、しらないおじさんがいた
児童相談所の人だった
一時保護の話だった
大丈夫だからきてみないか?みたいに
説得された 母な方はスクールカウンセラーと相談所の人が行ってるみたいだった
母は虐待を否定していたけど担任が一部始終を見てたからしつけだと言い張ったらしい 私はなんだかとてもこわくなり行くと言ったら親に殺されるんじゃないかと思ってうんとは言えなかった
けどなぜか三日間だけ施設に行かされた
事情はよくわからないしどんな手続きだったのかも不明
施設は短かったし特になにもなかった 自宅にもどった
母が包丁もってた
刺してはこなかった
階段を登ってたら母が来て首を掴まれて引きずり落とされた
そのときブチっと自分の中でなにかが切れた音がして母親を殺そうと思った 今まで不登校やいじめがバレる前に死なないとと家の中でなんども首をつろうとした
それくらい親がこわかった
だけど死ぬくらいならこいつになにかダメージをあたえて死のうと思った 母ととっくみあって離れたすきに玄関にあった兄の野球バッドを手に取り襲いかかった
ひるむババア情けない声あげてた
そんな悪いタイミングで父が帰宅した
なんも気づいてないこともないんだろうが、父は私をみて顔をなぐり雨が降る外へ引きずり出し門扉の外に放り出した 一晩中びしょびしょの服で自宅の自転車置き場のテントの中ですごした
今までにあげた事のないような呻き声をあげながら泣いた 父は母が私にしていることはしらない
父は私を可愛がっていたと思う多分
足を舐めたり、ずっと足を触っていたり、柔道の技をかけたり、風呂に入れば上がるタイミングにかならず風呂のドアの窓にあるすりガラスに顔がうつってた だけど父と母は私に言った
父はお前がいるからお母さんとの仲が悪くなった
お前がわざとそうしむけてるんだと
母はもうひとり子供はほしくなかったのに父がどうしてもというから産んでやった
女なんかいらなかったのにと
母と兄の関係も異常だった
毎日ベタベタマッサージをしあったり
なんなのだろう こんな感じでまぁ中3になり保健室登校もやめて
過敏性腸症候群をウリにして生きていくことにした、屁をこきまくったのだ
学校が楽しくなった
屁をこけば周りがマイナスイオンだぞーと寄ってくる、そんな和やかな中3生活だった
自宅はあいかわらずだったが学校が楽しかったので耐えられた 進学する時期になった高校はあらかじめ決められた所に入った
学費は社会人になったらの返済との念書を書いた
高校にいかせてもらえたのはよかったと思う
親戚がうるさいし世間体気にするから
高校生活は楽しかった
ここでも屁を売りにしていたので人気者になれてたと思う
自分のクラスは女子しかいなくてその中で同じく屁に悩まされていた子達が何人もおり励まされたと名乗り出てきた
生まれて初めての屁仲間だった
休み時間になればみんなでこいた
音階にも挑戦した
彼氏?もできた
彼氏というよりがはお兄ちゃんだと思うが
彼も家庭環境が悪かった
そいつは私のために弁当を毎日作り必要なものは買ってくれた
校内でも有名な仲の良いカップルでお互い知らない人からもあだ名で呼ばれたりしてた
彼の誕生日には金がなかったのでヘアブラシにたまった毛を丸めて毛玉にしプレゼントした
ジョークだったのだが喜んでた ように見えた
本当にクズだったと思う 家族ということにすごいこだわりをもってて
普通に考えたらキチガイなんだけど
その彼はなぜか奴隷のように毛玉しか渡してこない私に尽くした
毎日送り迎え、弁当、購入品、なにからなにまで
一緒に帰っていて突然いなくなり町内のどこかにいるから探せと言ったり、物を壊したり
ほんとにキチガイでした 私が大事なら家族ならなにしてもいいんだ!
なんて思考になってた そして高3の時
私は家をでていけと言われ続けていたから高校時代はウィークリーマンションかりてすんでいて実家に戻らざるおえない期間があるんだけど
そのときに母親から進学の話がでた
祖父が大学もでないやつは恥だといっていて大学に行けと
適当な大学を選んだ
このころは自分も母も体格が互角だったので罵倒されるだけだった
その後、父から頼む大学には行かずに就職してくれと頼まれた
最終的に勝手に就職にした
母方の親戚のあつまりは絶対に参加しなきゃならないのだが、このことで親戚中から罵倒された 小さい頃から親戚は悪口を言って祖父の機嫌をとりみんなで笑う
そんな人たちだった
いつも私が的だった
この子は意地汚いとかお金をぬすむとか
どうしようもねぇとか空気を壊すとか
優しくしてくれていたと思っていたおばさんや仲良くしてくれていた従姉妹も嫌味を言っていた
私はバカだから庇ってくれてるとばかり思ってたんだ
色白は七難隠すっていうじゃないですかぁとかそんな感じの
従姉妹はすごく美人で私はブスだと言われ続けて育てられた
だから私は芸能人よりも誰よりも綺麗だと思っていて最近洗脳がとけるまでまじで神様かなんかみたいに思ってた
今になって思えば孫らみんな対して差がない 話がまとまらないい
断片的に嫌な事がどんどんでてくる だいぶ飛ばしちゃうけど
私は就職で寮に入り仕事についた
だが派閥があり病んでやめた、女性恐怖症になった、そして車中暮らしをすることになった
ちなみに可愛がられていた兄は引きこもりになった 自分のことなにひとつできない動物をいじめる世間をしらない引きこもりになった だいたい車中暮らしは9月半ばくらいからだったかなぁ
金はあったが保証人もいないし賃貸借りる気力もなくためた金すこしずつ使って15万で買ったボロ車の中で暮らした9月中はあつかった
その生活がおわったのが12月31日大晦日だった 車から少し離れている公園の自販機にいったすきにリアガラス、ドアガラス全部割られてた
一面ガラス車の中も外も
ワイパーはねじまげられてた
警察が誰かが呼んだのかきた
写真とかとられて、今日は31日だから年明けまで車おいとくしかないねぇとか言ってた その日は泣きながらガラスを素手となんかの冊子で掃いてまとめて掃除した
冬の車中はただでさえ寒かったのに本当に死ぬかと思った
夜が明けてドアを開け閉めするとガラスが降ってくる車を運転しホームセンターへ行った
ガムテープをかい新聞紙をもらった ガソリンスタンドへ行き事情をはなしたら店長みたいな人が工場みたいなとこを紹介してくれたので新聞ガムテカーでむかった
リアガラスがないと排気ガスが直に流れ込んできて苦しくてびっくりした
かなり目立った 工場についたら話を先に電話がなんかできいたおじさんがでてきて中古のガラスがあるから直してやると言ってくれた
私の身なりと車の中の様子から察してくれたのかわからないけどお金は出世払いでいいよと言ってなおしてくれた 泣いた
優しくされると泣くんだ
人っていいもんだなとも思った そして車での暮らしはもう危険だと思った私は戻る場所がなくしかたなく実家に帰った
お前の居場所はないよ!きたならしい!
どこの男に媚び売ってたんだ!とか言われた
会社をやめたことがなぜかばれてて
寮を出て今までどこの男に媚び売って暮らしてたんだ!いやらしい!とか発狂してた
ちなみにこのときまた化粧もベージュ以外の下着も髪を染めたこともない
不良の始まりと言われていたカラオケやボーリングだって経験したことない しばらくは家に住んでた
でもさらに病んでいく一方だった
うちの父は犬が好きなんだ飾りとして
だけど犬が病気になると治療費惜しさから見殺しにする
そんなことが3回あった
この出来事があってまた未来の自分が変わっていく 実家にいるとき引きこもりの兄(親戚間ではエリートで働き者の兄の設定)のパソコンをたまに拝借し2chを見るようになった
引きこもりとニートのスレだった その地域の引きこもりで意を決してオフをひらくというものだった
私は興味がわきいくことにきめた
ひさびさに人に会うのでオフの何日も前からしまむらとか自分が入れるお店に行き泣け無しのお金で女の子の服を買った
メイク用品もかった
ワクワクしていた
家に帰ったら隠しておいて
オフ当日、男の子の格好で家を出てトイレで着替え、下手くそなメイクをした 集合場所にいたのはみんながちな引きこもりたちだった
そしてその中に自分と同じ学校だったやつが偶然いてその出会いでまた人生が変わった
生涯の友ができた
家のことを話したらかくまってくれることになったんだ その子は男の子だったけど手を出したりとかそういうのじゃなくほんとに純粋にかくまってくれた
実家の彼の部屋に
はじめて他人の家に泊まりうちの異常さに気づいた 私がいることは彼の家族はしらない
だけどまるで他人に気を使うかのようなお互いを気遣いあいながら会話をしている
みんな自由にしていて自由なトイレに行ったりとにかく自由なんだよね
罵声がきこえることもなければ
友達とも遊んでいい 目から鱗だった
いつもご飯を内緒で早足で運んできてくれて
部屋で食べると言って一人分のご飯を半分こにして食べさせてくれた
今まであまり飯たくさん食べた事なかったから胃がおかしくなったのか高熱がでて吐いてしまった そしたらバケツをもってきてくれて気がすむまで吐かせてくれた
掃除をしてくれた
嫌な顔なんてひとつもしなかった
初めてだった看病されたの
病気になったら自分が悪いと言われて放置されてきた、針山にぎらされて手に刺さったら先っぽの折れたのが心臓に刺さって死ぬと言われたりそんなクソみたいな世界しかしらなかったか
らすごく衝撃で彼が神様に見えた 彼は引きこもりだったけど私を家から出したいと言って働き出した
私も働き出した
そして家を借りた
二人暮らしが始まった 貧しかったけど毎日が楽しかった
迷惑もたくさんかけた
たくさんよくしてもらったのに自殺未遂をしたり攻撃的になったり仕事をやめてしまったりほんとに迷惑をかけた
けど彼は今までの人生はなんにもなくてなにかおこらないと働けなかっただろうし何かたくさんおこれって願ってた、だからありがとうって逆に言われたんだ この彼は今も一番の親友で
自分を育て直してくれた親みたいなものだと思ってる
今は都会で一人がんばってる
引きこもりニートからの進化がすごすぎる 20代前半から仕事も波があって倒産を3回経験したしストーカー被害で家を引っ越ししなきゃで転居は何度もした
おかげで今も貧乏だし仕事もまた倒産しそうなの
でもさ 家にいるときに比べたら大変だけど幸せなんだと思う
まだ色々精神的なものとか引きずってるしドバーッと目の前にいるのは父親母親じゃないのに人と喧嘩すると父母にすりかわっててなんかよくわかんない被害妄想にとりつかれたり 今も鬱だったりハイだったり
昨日は自殺未遂またしちゃったんだ
でねパンツは未だに可愛い大人なパンツは買った事ない
でも女性の服買いに行ったり外出できるようになった
周りは私のことそんな過去があったとも思ってないし私がつらいと話したとして誰も信じない
がんばれるよ!っていう
でもやっぱさ一人で生きてくのは辛いよね
家族に憧れる そろそろ家族がほしいんだ
家族に憧れがさ
実際そんないいもんじゃないんだけど
男性にさ母親役も父親役も求めてしまってうまくいかない
で今も三十路で売れ残ってる
そんな末路です
なんかまとまらなくてごめんね
なに書いたかもう記憶がないレベル 私は1人だからなにがあっても潰れちゃいけない
弱音はいちゃだめ
頼っちゃダメ
そう思ってるけど
誰かに頼りたい
愛されたい
楽になりたいよ〜〜 1が幸せになりますように
毒親には不幸だけが訪れますように >>78
こんなの読んでくれてありがとう
もしかしたらこのままそこにおちてくだけかもしれないけど、やれるだけやってみるね
頑張って寝る! 壮絶すぎる…一気に読んだよ
本当に強くてかっこいい女性だ、見習いたい
きっとこれから良い出会いが沢山あるはずだよ〜 末路って言ってもまだ30だょ
たぶん普通の人と同じ恋愛や生活は難しいんだと思うけど
この先は幸せな事がいっぱい起こるといいな願うよ
文才あるんじゃない?読みやすくてドキドキしたよ 俺も似た様な環境で支配飼育されたけど
年下の彼女いて楽しいぞ とりあえず、かわいいパンツ買っちゃいなよ
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