たび重なる災害、どう向きあう? 薬師寺・大谷徹奘さんが語る生き方
東日本大震災から間もなく13年。この間、熊本地震や西日本豪雨があり、今年の元日には能登半島地震が起きた。世界遺産の奈良・薬師寺の執事長、大谷徹奘(てつじょう)さん(60)は災害のたびに被災地に入る。津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった旧大川小学校(宮城県石巻市)では毎年3月11日に慰霊法要も続けている。災害に、どう向き合ったらいいのか。大谷さんに聞いた。
――なぜ被災地に入るのですか。
私が育った家は、関東大震災と東京大空襲で2回失われています。震災のときは命を亡くす者はありませんでしたが、空襲では学童疎開をしていた父だけが生き残り、戦災孤児になりました。
小学校の体育館が今でいう避難所になっていて、父の両親や兄、姉ら5人が逃げていました。そこに焼夷(しょうい)弾が落ちたんです。遺体もわかりません。父が疎開先から戻ると、五つの木箱が祭壇に並んでいました。その中に入っていたのは、名前が書かれた木札だけだったそうです。
戦争も地震も「災い」です。大切なものを失い、人生を変えてしまう。そういう人が身近にいたから意識が強いんです。
もう一つは師匠の高田好胤(こういん)和上の影響があります。
人生を変えた師匠の言葉
――1998年に亡くなった高田さんは薬師寺の管主(住職)を務め、お写経勧進で薬師寺の大伽藍(がらん)を復興させました。戦後、硫黄島やサイパンなどを巡り、慰霊法要を続けました。
高田和上は学徒動員され、国内で終戦を迎えられましたが、多くの仲間が犠牲になりました。
私は戦争が大嫌いです。戦争映画も見ません。高田和上が続けた慰霊法要にお供しましたが、戦争を意識したくないので、ふ抜けた読経でした。あるとき、高田和上がおっしゃいました。
「自分が唱えさせて頂くお経で成仏するような亡くなり方は、どなたもされていない。だけど、お経をあげずにはいられないから、あげさせて頂く。でも、本当の供養は、残されたものが、亡くなられた方々のお命を無駄にしないような生き方をすることだ」
https://www.asahi.com/articles/ASS2Q76TWS2HUCVL00H.html