風化させない-。被災者らは誓い合った。6日、未曽有の豪雨が鹿児島市周辺を襲った「8・6水害」から30年を迎えた。
遺体が安置された寺で、浸水した中学校で、新しい時代に記憶をつなぐ決意を込めた。癒えることのない悲しみから得た重い教訓。「今に生かす」。台風6号の足音が忍び寄る中、備えの大切さを再確認した。
【写真】〈別カット〉8・6水害から30年となり本願寺鹿児島別院で営まれた追悼法要=6日、鹿児島市
鹿児島市の本願寺鹿児島別院では追悼法要が開かれた。水害発生直後、院内では土石流などに巻き込まれた約25人の遺体を安置した。床に敷かれたブルーシート、部屋から聞こえる泣き崩れる声-。
当時を知る僧侶は「急な別れ」となった遺族の悲しみを思いやり、「備えの大切さを発信したい」と語った。
1993年8月7日未明、読経所と呼ばれる15畳ほどの部屋に、布でくるまれた遺体が次々と運び込まれた。安置所となる鹿児島中央署が浸水したためという。
当時、同院にいた僧侶の本田淳誓さんは(58)は「後にも先にも8.6以外に寺が安置所になったことはないだろう」。安置部屋の前を通るたびに漏れてきた遺族の泣き声は、今も頭に残っている。
医師の検視後、遺体は遺族に引き渡されたという。「改めて命の尊さについて考えた」と当時の心境を明かす。
同院は水害発生から30年の節目に教訓を継承しようと法要を実施した。講演した山下裕二元鹿児島市消防局長は、8.6経験者が減り、記憶が薄れていると指摘。「防災意識を普段から高めてほしい」と訴えた。
法要後、本田さんは「遺族の悲痛な思いを忘れずに、一人一人が早めの避難を心掛けるよう多くの人に伝えていきたい」と力を込めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/11a24cf0beb7c2ab58b4f91e367187723020f1d0