「吉野ヶ里遺跡」石棺墓発見で“邪馬台国論争”が再びヒートアップ 結局「邪馬台国」ってどこなの? [837857943]
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「吉野ヶ里遺跡」石棺墓発見で“邪馬台国論争”が再びヒートアップ 歓喜する佐賀県民に、“畿内説”論者の反応は…
さぁ、佐賀県神埼市郡の吉野ケ里遺跡の「謎のエリア」から石棺墓がでてきたことから、邪馬台国をめぐり、色々とヒートアップしてきました!
この件を取り上げた「モーニングショー」(テレビ朝日系)では、玉川徹コメンテーターが歴史の専門家である本郷和人氏に
「邪馬台国がどこにあるかって、そんなに重要な話なの?」と頓珍漢な質問をして失笑を買いました。本郷氏は、日本の成り立ちが天皇家にあり、
その中心の大和王権がどこにあったかを知るのは大事であると意見しています。
盛り上がる5ちゃんねる
このように邪馬台国の所在地については歴史学者が大いなる関心を寄せてきましたが、それはネットでも同じです。かねてより
「畿内説」「九州説」がありバチバチとしていましたが、そこに突然、割って入ってきたのが「佐賀説」。「九州説」が、「福岡説」「佐賀説」
に分かれる形となりました。元々吉野ケ里遺跡説はあったものの、ついに私の住む佐賀県が「ドヤ!」と言えるようになったのです。
これ以来、匿名掲示板5ちゃんねるでは、邪馬台国がどこにあったかを巡っての論争がずっと続いており、玉川コメンテーターの
無関心さを嘲笑うかのように、ヒートアップしているのであります。6月8日現在、<【佐賀】邪馬台国“論争”に「一石投じる」世紀の発見?
吉野ケ里遺跡「石棺墓」開封 奈良県からは冷静な反応も>…というスレッドが登場。テレ朝newsが元ネタですが、
同記事には以下の記述があります。
〈ロマンを抱いてきた佐賀県民は…。
佐賀県民:「めっちゃうれしいなと思いました。佐賀は『魅力ない』って言われているけど、めっちゃあるし『過去に栄えてた』って言われてたら、すごくうれしい」
佐賀県民:「小学生とかに教える際に『佐賀はすごかったんだよ』と教えられたら、すごくいい」
佐賀県民:「(Q.佐賀説が有力になるのでは)ぜひあってほしい、絶対。それで見に来るとか、この辺が(経済的に)潤うとかはどうでもいい。
俺はもう大好きだから、卑弥呼がここであってほしい」〉
https://news.goo.ne.jp/article/dailyshincho/nation/dailyshincho-996498.html 纒向遺跡を目の当たりに見てきた人の見解
坂靖・著『ヤマト王権の古代学―「おおやまと」の王から倭国の王へ』(2020/2/5)
著者の坂氏は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の学芸課長を経て、現在、奈良県地域振興部文化財保存課の主幹という、
現役の奈良県の考古学者でありながら、邪馬台国北部九州説の立場をとっています。
(中略)
「ヤマト王権は、布留式期に日本列島各地に強い影響力を行使することをはじめたのであって、
初期のヤマト王権の版図は、きわめて限定されていたとみるべきである。
・・・弥生時代中期から後期の近畿地方においては、中国との直接交渉を示す資料がほとんど知られていない。
楽浪形土器は北部九州に集中し、松江市以東にはまったく認められない。
邪馬台国の時代、すなわち庄内式期においても、魏と交渉し、西日本一帯に影響力をおよぼしたような存在が、奈良盆地にはみあたらない。
邪馬台国の所在地の第一候補とされる纏向遺跡の庄内式期の遺跡の規模は貧弱であり、魏との交渉にかかわる遺物がない。
さらに女王卑弥呼の居所は、出入りするものは男子が一人いただけであり、そこに宮室・楼観・城柵が厳かに設けられ、
常に人がいて、兵が守衛するような場所であったと記されるが、纏向遺跡にはそのような場所を認めることはできない。」 九州か四国はほぼ確定してる
畿内説は今となってはロマン 佐賀でいいやん
なんも無いんだから名物の一つぐらいくれてやれよ 俺の研究では、名古屋市守山区あたりが正解だと考えてる 玉川の「日本の成り立ちなんてどうでもいいじゃん」って正直に言っていくスタイル (てんてん~♪)その姿を写したのだろうか道鏡よ
たった二千字の文字が伝える卑弥呼の伝説(てれれん♪)
(てれれれ~♪)一かじりの甘さが古代へ誘う我が心の卑弥呼の詩 佐賀だったらロマサガRSでジュエルとアイテム配られるから佐賀でよろしく >>20
石棺埋めるの大変すぎね?
神の大型重機でも現れないとw そもそもなんで奈良に都が出来たんや?って考えると
邪馬台国の起源は徳島でそこから淡路島→和歌山と渡って
紀ノ川を上って奈良に辿り着いたグループと
大阪湾沿いに北上したグループに分かれた
みたいなイメージ >>20
神社の下にあったんだろ?
神社建てる前に埋めないと メイン系は出雲スタートなんだろうけど
そもそも日本中豪族だらけだろ ルーツ的に考えると
中華→九州→四国→近畿→奈良なんだろう
嫉妬で追放された有能が国を作って次の世代でまた追放を繰り返して奈良までやってきた
その過程の何処かにあったのが邪馬台国 考古学者の松木武彦氏、曰く、楯築遺跡が帥升の国らしい
これが倭国大乱の要因でその後、帥升の子孫が近畿に進出したのだろう 原住民のヤマトが訛って中国では邪馬台国の表記になったんかね?
当時既にヤマトなら九州から近畿に移ったのか
もともと近畿だったのか
出雲の国は別にあったから九州も別の国な気もするけど 不思議なのは淡路島
邪馬台国は九州だろうけど淡路島て古代史でかなり重要なポジションだと思うけど 魏の時代は九州に大陸と交流してた中規模勢力=邪馬台国があって、その奥地の近畿にまた別の大勢力があったんじゃないかな
その後の隋の時代に近畿勢力が天下とって大陸と付き合い出した時に、邪馬台国=ヤマトを自称して朝貢相手としての正当性を主張したのかも 宇佐神宮の下にも石棺2つあるんだろ
埋葬物盗んだ奴をひっ捕らえろ 邪馬台国が見つかったとして意味あるのか?
稲作を持ち込んだ半島人ルーツだと証明するだけだろ?
卑弥呼って韓国人 >>42
ほー初めて聞いた
卑弥呼が韓国人の根拠は何? >>42
お前さチョン校出身?
そういう授業してるらしいね
DNAでルートも全部判明してます 邪馬台国あった時期って三国志の時期と同じ位でいいの? >>45
陳寿著の魏志倭人伝が書かれたのが3世紀末ぐらいの晋だけどまぁ大体同じくらいの時期 さあ卑弥呼(日の御子ヒノミコ)の邪馬台国(ヤマト国)が出てくるか >>47
陳寿の父親が蜀の陳式ではないかという説があるな >>50
陳寿なんて蜀大好きっ子だもんな
そんくらいの血縁あってもおかしくない >>16
私も
一大率だった伊都国からは三種の神器が出土してるし、北部九州から畿内に移動したんじゃないかと 漢中に居た張魯の母が鬼道(五斗米道)の巫女だと魏志張魯伝に書いてあるんやで いろいろ知識推論自慢するけど
要するに北部九州でしょ
ブレても大分宇佐、西部の筑後や熊本北部
どうやったって近畿の田舎なんてない 畿内に移った理由は
九州で魏と呉が勢力争い始め
奥に中央政府を移しただけだろ
700年続いた吉野ヶ里遺跡は
3世紀初頭には衰退したし 九州だろ
金印は江戸時代、博多湾に浮かぶ志賀島(しかのしま)で農作業中に偶然発見された >>62
伝わってる金印発見者の名前が
当時の宗門改帳に記載されてないので
定かじゃないんだよね
誰やソイツって話で 大和政権が中央政府だとかいう妄想もどこから来てるんかね
この国の中央集権は数百年あとの話
同等以上の文明文化を持つ九州を遠く離れた近畿から治められるわけないだろ 日本史板に集う有識者が900スレ以上かけて畿内説で論争してるから見てくるといいぞ
レスの3分の1くらい阿波説の人だけど >>67
山門国の巫女女王を「土蜘蛛」と呼んで滅ぼしてたよ 対馬から邪馬台国まで幾つの国が有ったのかを、知ってる人いる? >>27
もう分からんよ 福岡の都市開発の時に遺跡がわんさか出たけど報告も無く埋められてる
空港や都市高速、国道、その下に遺構の残骸が眠ってる >>9
佐賀には沢山の名所が有ります 聞きたいですか? >>69
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国 これかなりヤバイらしいな
棺桶の蓋が異様に大きい×印がある
これは何かヤバイのを封印していた可能性がある
これを開けて封印を解いてしまった
大災害が起きる 神の手ってどのくらいの遺跡であったんだろうなぁ?
邪馬台国って大和政権とは別もんじゃない?
んで、邪馬台国は自然消滅していくつかの部落に分かれた
大和政権は大きくなって奈良やら京都やら遷都した
関係ないけど、京都っていつから遠回しで嫌味言う人種になったんだろう?応仁の乱あたり? >>79
確かに、急に近畿まで飛ぶのは無理があるなw >>75
うむ、✕印にはかなり古い時代から封印の意味があるようだ
しかも蓋の表側ならともかく、こいつは蓋の「裏側」に✕印だ
こりゃもう棺の中の人の『呪力』を封じて内側から『開けさせない』ためのものだろう
こいつはもしかすると本当に卑弥呼の棺…ちょっと司馬博士のとこいってくる 邪馬台国という国は存在せず、ヨーロッパのEUみたいな統合機構みたいだったんじゃね?だから痕跡はないが、中国からしたら代表として分かりやすいから(当時の日本は小国が乱立して戦いが多発してた)認証してた。卑弥呼というマジシャンで奇跡マジックをおこして権威付けしたりして >>44
>>46
日本列島に水稲栽培をもたらした弥生系渡来人を象徴するDNAはハプログループO1b2
現在日本人男性の3割に見受けられ、縄文時代の人骨からは見つからない
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/24/O1b2_M176.jpg >>16
数代かけて少しずつ移動して、最終的に機内に腰を落ち着けた(遷都した)で良さそうだけどな 倭の使い、渡海して中国に詣でる際は常に一人を頭は櫛を通さず虱のいるまま衣服は汚れ放題、肉は食べず、婦人を近づけず、喪人のようにしておく、これの名を持衰という
倭の習俗、男子は大小と無く皆、黥面文身す、男子は皆、露紒し、木綿を以て頭に縛り、其の衣は横幅、但々結束して相連ね、略々縫うこと無し
2~3世紀の養蚕と織物から北九州のみに限定される
卑弥呼は絹織物を持参させ魏に朝貢
https://cdn.qurate.cloud/2021/03/05/09/46/39/3ca9115b-2237-46ab-9104-eacc4481ee26/----------2021-03-05-094529.jpg >>79
畿内まで行くならもっと多くのクニが出てきそうだね 邪馬台国がどこだったかはどうでもいい
倭の中心は、
2世紀までは北部九州
3世紀に拮抗
4世紀は畿内が中心となり、初の統一国家を樹立
3世紀に何が起きたかを解明することが大事 >>90
筑紫で連合体を形成した邪馬台国が本州四国を平定しようと各地に幹部祭酒を派遣して拠点をつくらせる
ところが、畿内に派遣した一族の将軍が寝返り、狗奴国と手を組んだ
狗奴国は卑弥呼の一族を王としており、連合体の大王だと主張していた
そこから再び戦乱の時代に突入
畿内の一族は、狗奴国から亡命してきた狗奴国王の息子たちを受け入れてこちらこそ正当な継承者だと主張
筑紫vs畿内で国交や大陸への航路をめぐり対立していたが、最後は畿内が筑紫の巫女女王らを滅ぼした
国交や航海を司っていた氏族は畿内政権に投降
彼らだけ歴史の片隅に名を残して、筑紫政権の存在は抹消された
とかね
個人の妄想だけどw >
>>90
最初は中心と呼べるものがなく、初めて中心らしきもの
ができたのが大和朝廷 記紀とか古事記とかを編纂した時代の有識者が九州王朝の事を知らんはずは無いからな。
大和朝廷にだいぶ都合悪いから色々ボカして書いてるんだろうな。 >>91
魏と付き合いがあって文献が残ってるのが邪馬台国だけやないんか?
近畿にも国はあったのでは
神武の樫原はどこ行ってん? 元々九州説は江戸時代のネトウヨ本居宣長が
魏志倭人伝を解読した時に
邪馬台国が奴隷貿易を行い、魏に冊封されて
倭国王になってるのが気に食わなくて
そんなの鉄砲欲しさに奴隷貿易して
秀吉に征伐された
九州の大名みたいなもん
と断定したのが始まり
奈良のヤマト王権は奴隷解放の正義
って話になった >>45
完全に同時代
卑弥呼と馬超の一騎打ちは名勝負だったそうだしな >>94
大和王権は卑弥呼邪馬台国との連続性はない、ってのは今や常識じゃないか >>1
田中英道 #44 邪馬台国は存在しなかった!神社を辿れば日本がわかる
未来ネット / 2021/04/07
https://youtu.be/U6FUG-LB4iQ
田中英道・東北大学名誉教授
「邪馬台国や卑弥呼などは、日本の何処にも、物証どころか民間伝承の一つすら存在しない。従って、魏志倭人伝自体が中国人特有の"捏造"である。」 >>1
田中英道「漢委奴国印(金印)は偽造であった」日本国史学会 令和3年7月10日 日本経済大学(2021/7/10)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/zoHCHJC11YM
「所謂『金印』は、発見された江戸時代当時の製法そのものであり、明白に『偽造品』である。」
つまり、古代日本が中国に朝貢していたとされる唯一の根拠である『金印』が偽造品だと判明した事により、日本が中国の属国で有ったと言う歴史的事実は一切無く成った。
書籍紹介:
・鈴木勉『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』(雄山閣 / 2010年)
・三浦佑之『金印偽造事件—「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎 / 2006年) >>1
田中英道「『倭の五王』は捏造(?)である」日本国史学会 連続講義 令和3年6月14日自宅代講(2021/06/14)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/jRktdf9K_PA
田中英道「『こじつけ』で考えて見ても、何とか一致性が見られるのは一人だけである。つまり捏造である。」 >>1
田中英道「秦の始皇帝はユダヤ人であった」日本国史学会 第69回連続講演会(2019/9/14)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/EV9w3zQCWg0 >>1
黄河文明はコーカソイド、つまり白人の文明だった。
夏王朝は「西方の牧畜民=コーカソイド」が築いた? - るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=243011
龍信仰を体系付けた紅山文化は五千七百年年前の寒冷化で崩壊して新たに小河文化が誕生します。
この小河文化それを担っていた人々は西方の要素が濃いとされおり、実際に発掘調査の結果、旧満州や黄河流域にはコーカソイドが住んでいたことが確認されています。
つまり現在中国と自称する国が有る地域は、白人に征服された歴史を持つ間抜けな地域であり、
間抜けな黄色い雑種のコーカソイド、それが中国人である。 昨日の成果は石棺の壁にも赤く塗られていたこと
石棺の小ささと合わせ高位の女性の墓、というところまでが判明した >>1
【世界最古の縄文文明】
1998年に世界最古となる1万6千500年前の土器が日本(青森)で発見された。
(その数ヶ月後に中国で1万7千年前の土器が発見された!と報じられたが、国際的な学術検証が為される前に「アイヤー、何者かに盗まれたアルヨ!」)
世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】
https://youtu.be/7DK8zIy2Fzg?t=1m56s
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%85%83I%E9%81%BA%E8%B7%A1
因みに、世界最古の磨製石器(3万5千年前)も日本(群馬県・岩宿遺跡)で発見されている。
更にその後の全国的な発掘調査で、日本の磨製石器は3万8千年前の物まで遡る事が判明した。
これらは勿論、断トツで日本が世界最古である。
https://youtu.be/GyLwODomZmY >>62
志賀島って金印とか古代の器?とかあっちこっちにあって
住民たちで勝手にあげあったりしてるって20年ぐらい前に噂で聞いたことがあるw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています