https://news.yahoo.co.jp/articles/fe29413d2a63316a93e81f505d0f0694b26608f6
朝鮮日報(2022年1月20日)に、佐渡島の強制動員労働の被害者の娘2人(82歳と77歳)の話が載った。

2人の父が佐渡島に入ったのは1940年だった。つまり、徴用令が朝鮮人に適用される(44年9月)前のことだ。父は生まれたばかりの長女ともに佐渡島へ…。

エッ⁉ ちょっと待て。「日本の強制動員労働とは、妻子も一緒に連行したのか」と尋ねなくてはならない。高給目当ての「押しかけ応募工」だった可能性が高い。

長女は「奴隷のような待遇だった」という話を具体的に述べている。小学生前の見聞を、82歳になっても鮮明に記憶しているとはスゴーイだ。

それよりも、そうした環境にいた父親が、佐渡島で2女と3女をもうけた事実に着目せざるを得ない。やはり、「エッ⁉ 奴隷のような待遇なのに?」と尋ねたくなる。

戦時の混乱で、朝鮮人を含む労働者に月給が支払われなかった一時期があった。しかし、その金額が後に供託された証拠が日本には残っている。「強制動員労働させられた奴隷」は月給をもらっていたのだ。

日本に来たために奴隷のようなひどい目に遭ったというのに、戦後も日本に住み続け、現に娘たちも日本にいるのは、日本人の感覚からすると、どうにも不可解すぎる。