東大合格に「文化資本」はいらないのか。貧困の現場で考えた、目に見えない格差とは
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進学でわかった「二つの世界」

低所得世帯と高所得世帯の違いは所得だけではない。教育、習慣、文化などの環境面においてあらゆる差が存在する。

筆者自身、親や親戚に大卒者はおらず、家にも学習環境はなかった。
そういった生い立ちではあったが、東大とはレベルは違うものの関西の国公立大学に進学した。逆境をはねのけて難関大に合格する生徒も実際にみてきた。

しかし一方で、幼い頃に経験する「文化資本格差」がいかに人のその後の人生を左右するか、身をもって体験してきた。

筆者は中国地方の貧困家庭で育った。生まれ育った県営住宅の団地には低所得世帯が集まっていた。

みなお下がりのよれた服を着ていたり、家の掃除がされず部屋が荒れていたりと団地内の家庭環境はとても似ていた。しかし、進学校の高校、大学へと進学すると、周囲は高所得の家庭ばかりになった。

大学の友人は多くが親も大卒。資格や免許を取って計画的に貯金をし、社会人になると健康保険や生命保険に入る。一方、中学まで一緒だった貧困家庭の子どもたちは、多くが高卒で非正規雇用に従事する。

同時に存在する二つの世界には明らかに壁があり、違いがある。

それは単に、所得という数値化できるものだけではなかった。

教育、習慣、文化。

例えば、習い事をさせてもらえるかどうか、家に本があるか。大学に進学することを応援してくれるか、高卒で働くことを勧められるかどうかなど、そこにはあらゆる違いがあった。

低所得者には、時に自己責任論が向けられる。なぜ生涯賃金を考えて大学に行かないのか、貯金しないのか、正社員にならないのか、などだ。しかし、こうした、一見本人の意思や選択の結果に見えることにも、環境の影響があるのではないだろうか。

学習力や職業、投票行動などから投資や貯蓄などの資産形成の手法、健康状態、犯罪をするかどうかに至るまで親子で行動が似る。

豊かな人生とは経済的なものをさすだけではなく、健康や人間関係の充実も含まれる。