■一番高いネタは魚ではなかった

 誕生したばかりの頃は、すし屋のほとんどは屋台で、1つ4文(120円)から8文(240円)だった。今一番高いネタのマグロの大トロは、当時の人々の口に合わず、捨てられたといい、
卵巻き16文(480円)が一番高いネタだった。

 江戸のすぐ近くで新鮮な魚が取れても冷蔵技術が発達していなかったため、酢で締めたコハダや、たれで煮たアナゴなど、ネタはすべて腐りにくい工夫が凝らされていた。
現在のすしの2倍から3倍くらいの大きさで、たくさん食べるのでなく、2つ3つ、つまむ程度だったらしい。

 屋台から始まったが、次第に高級な店も出現した。このため天保の改革の時には倹約令の処罰となり、手鎖の刑を受けたすし職人が200人を超えたという。
天保末期には稲荷ずしが江戸で見られるようなった。当時は油あげを切らずに長いまま中に飯を詰め、注文に応じて切り分けた。1本が16文、半分が8文、
4分の1が4文だった。飯の代わりにおからを詰めたものもあったという。

 それって車の値段?  日本近海で取れた本マグロが年の初めの初競りで1本1千万円以上の値がついたという話題がニュースになる今の時代。日本人の
マグロ好きは有名だが、このまま行くとマグロが枯渇するので、何とかならないかと養殖実験がおこなわれているほどである。

 だが、日本人がマグロ好きになったのは近年のこと。江戸の人々はさっぱりしたものが好きで、油っぽいマグロはどうも口に合わなかったようだ。
「マグロを食べた」ということは、恥ずかしくて大声ではいえなかったらしい。

 ちなみに、マグロは1本100キロ以上になる巨大な魚で、一度取れると大量に出回ることになる。だが、需要がないのだから安く買い叩かれる運命にある。
それでも売れないときには捨てられることもあったそうで、今ではとても考えられない不人気ぶりだった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/188529b74586143f5acf51599dfd42a3e6f052ce?page=3