神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうがよい。
ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待伏せよ。
しかし、もし彼らが改悛し、礼拝の務めを果し、喜捨もよろこんで出すようなら、その時は遁がしてやるがよい。
まことにアッラーはよくお赦しになる情深い御神におわします。
実際はこう
例えば「多神教徒は」の部分を勝手に「イスラムを弾圧する異教徒」に歪める
「改悛し、礼拝の務めを果し、喜捨もよろこんで出す」を「戦いをやめたら」に歪める
このように解釈によって歪めてる
こういうことへのフラストレーションが原理主義が生まれる原因
まさに>>207が身をもって示してくれたよね