江戸時代84%は農民 あなたの先祖も農民?(画像あり) [144189134]
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農民でごぜーます 工業が意外と少ないのな、家を建てたり、農具作ったり・・・
農具は農民が自分で作ってたのかな? 京都の山奥の農民だと聞いた。おじいさんがばくちで田畑全部取られたらしいけど 長篠の戦いで落ち武者になって百姓の養子になったのがご先祖様 たまには家系図をみて確認してみたほうがいいよ
思わぬ発見があるし まがうかたなき農民です
今でも米とラッキョウ作ってます 母方は宗良親王の家来で墓守だったらしい
墓守って身分はなんなんだ? 300年前の先祖って
1000人以上いるだろ
この手ので男系のみって宣言するやついないしいっぱいいる、だいたい農民で終わり 城主だったけど秀吉に敗れた
城跡すらどこに有るか不明だ >>14
武田二十四将の一人やったが長篠の戦いで討ち死にしたで うちは多摩だから、農民ではあったけど武家でもあったようで親戚が刀や色々、今でもあるそうだ。
一本、くれって言ったら、もしかしたらくれるかもな。 小田原征伐で北条が滅んだ際に帰農したと聞いている。
そんな百姓の末裔です。 藩校の教師、農民、味噌醤油販売、居酒屋
父母両家の先祖で記録残ってるのはこれ。 農民だけど漁業を生業としていたみたい
一応オリジナルの血筋らしいが子孫は他の誰かが頑張ってくれるだろ(鼻ほじ) 戦争中にフィリピンとかでバナナの大農園を経営してたってよ
戦争負けてなけりゃなあ 農民なんてちゃちな職じゃねーよ
人にあらず、人の道をはずれた他人とは一味違う職だったらしい 地名になってる姓はどうなの?
大名にも居るが、正直情報無くて 知り合いが御手洗さんなんたけど、そういう意味なのかな 実家伊豆大島だからご先祖さまなんかやらかして島流しにされたと思ってるけど
家系図とかないし確かめようがない >>1
穢多、非人は差別されてないぞ。
特殊技能者だから数が少ない。
近代になって貧困街の住人が被差別部落などと名乗り穢多、非人の肩書きを利用しただけ。 昔の北海道とか人類の居住地とは言えなかったから死刑に近い開拓民だろうな
そんなに頑張っただろうに俺の代で血筋途絶えてすまんな ウチは古い酒蔵処でそれなりの富があったらしいがひいひい爺さんあたりから女癖が半端なくて散財して貧乏になったみたい 職業でしかないからね。
今の時代で公務員が大多数なら
経済が保たないのと同じ。
今なら公務員以外が農民だね。 >>1
> えた ひにん
その下にSF作家がいたはず 実家が川のそばで精肉店だったから多分穢多非人だったと思う じじいのじじいは医者って言ってるけど絶対ウソだと思ってる >>3
うちの母方の家系も元々水戸藩士だわ。結構いるのかな? 会津藩士でした
えぇ、案の定北に追いやられたのです 北海道民、そんなに卑下すんな
中には刑罰の対象者も居たかも知らんが
伊達市?だっけか?藩として開拓に乗り込んだ人達も居たのだし(半強制かも) 戦争で祖父母が疎開する前がわかんねんだがどうやって調べるんや 新潟のお百姓さんです
祖先に河野通有の家臣で元寇で大活躍した人がいるとかいないとか 多分いい加減な伝承 >>60
犯罪者使ったのは死者続出するようなきっつい環境で森を切り開くとか道路の基盤作るとかだから移民した人とは違うぞ
開拓民は相続するものがない次男とか仕事ない人とかに「開拓したらあなたの土地ですよ」「新しい土地なのでチャンスがいっぱいありますよ」とか言って勧誘してた うちの先祖は城も持ってる地方のお殿様だったわ
没落したけど
ノブヤボにも先祖様が出てる 父方は曾祖母の家系は鍛冶屋で曾祖父は漁師だったと聞いてる
母方は移住者でよくわからない うちは本当に昔からの百姓家系だったけど、とうとう俺の代で終わりにしたった 豪農だったらしい、女中が何十人もいたってじいさんが言ってた 江戸までは紛うことなき小作農だったが、日露戦争の頃には騎馬兵としてシベリアに出兵してた
https://s.kota2.net/1628861219.jpg >>90
(*・ω・人・ω・*)ナカーマ
家系もご先祖様も判らんけど、オレの代で終わり…(*´ω`*) 江戸時代は豪農 武田信玄からもらった槍や刀が保存されてる
祖父の代で分家したから我が家に大したものはない 先祖代々小作農
自分の土地を持つことすらなく地主様の土地を耕して貧困の再生産に励むこと数世代
その末裔である俺は派遣社員
まさに搾取されるためだけに生まれたサラブレッドのような存在と言えよう >>74
あんな顔した土方って今でもいるよ。
あくまで、雰囲気だけど。 富山県出身者だが俺のおやじは先祖代々14代百姓というのが何故か自慢だった
ただ残念ながらそれも俺の代で百姓は終わり
細々と家庭菜園をやっています 自分の代で家系終わりにするとか本当申し訳ないよな
でも自分じゃもうどうしようもないしな、しゃーない 神主の家系だな
だからお盆の習慣がない。
お盆休みは取らずに9月くらいに夏休み取るよ 父方のじいちゃんが静岡の鷹匠で刳物職人やってたのは知ってる
将軍のお膝元だし駿府にはいろんな工芸の職人多いんだよね
でもそれ以前は何代か遡ったら多分どん百姓だったんだろな 土方で思い出したけど、土方歳三の姉(妹だったかな?)の墓がこれだって祖父に聞いた記憶があるわ
その時は子供だったからよく分からんかったけど、大体の場所しか記憶にないわ 落ち部者から山奥の農家へ。一部は忍びとして現代でも活躍中 悪いけどニュー速民は武士の子孫と戦艦大和の乗組員の子孫で構成されてるから でもテレビで霊能者に診てもらう芸能人とか大抵武士とか学者とかばっかりよな >>104
実家の苗字を継ぐ親類はおらんのけ?
いるなら家系は絶えてない
単にお前んちという大樹の葉っぱや樹皮の部分がお前だっただけ
誰でも花になって種子残せるワケじゃねーし
葉だろうが皮だろうが根っこだろうがその大木の一部分でさえあれば生命維持の役には立ってる きっと農民
なんか江戸時代の墓残ってるけど一人一つあるからめっちゃ多い
やたら亡くなってる年があって調べたら大飢饉だった >>100
おまいのパパママは派遣じゃねぇだろ
派遣なんて辞めちまえ
いっそナマポでも良いと思うぞ >>103
ワイの先祖は菅原道真公に仕えていた渡来人だったんだが都落ちして農民になった
と言い伝えがある 日本人は農耕民族でモンゴリアンは戦闘民族だろ?
そりゃあ相撲で勝てんわ >>96
日露戦争でシベリアまで行ってないだろ
日露なのかWW1後のシベリア出兵なのかどっちなんだよ 7代前が本家から分家してお店を始める
旧街道筋でかれこれ200年続いてるわ >>122
ないないw
あの広大な地に死刑囚程度の人数送って開拓出来る訳ないだろw >>120
シベリアいったのは日中戦争時の爺さんだったわ(正確には満州最北部)
ひい爺さんが日露戦争
田舎の農家の長男でも容赦なく徴兵されてたんだから怖い時代だわ 祖父が農家の分家なのでわからんね
本家と姓が違うらしい… ジジババなんてどうしようもない嘘つきやから信用すんなよw こう言うスレは、ホラと記憶・妄想と事実が紛れているから面白い クソ馬鹿「俺の先祖は武士だった!!」
そりゃほとんどのヤツが武士“だったタイミング”もあるだろ
そんなん腐るほどいるよ嫁さんと子の数だけ繋がりデカくなっていくんだから
俺の家だって薩摩藩士→薩長同盟の最中で島流し→以降商人だぞ
一部分だけ見れば薩摩藩士だろうと、全体では農民以下だわ
そしてそんな家にも家紋はあるし、血筋を追えるだけの資料もある
こんなん何も立派なお家柄の証明なんかにゃならんよ
自分に都合の良い一部分だけを拾い上げるから周りに妙な反応される変なヤツになるんだよ家系に限らず
一部分じゃなく今に至る全体の経歴を言えよな
言えないヤツは嘘っぱちか自尊心を保つ為の妄想か、何かのタイミングで吹き込まれた勘違いだよ
そんな俺家系でも祖父までは医者含む先生一族な上に鹿児島出身の町田姓だぞ俺は中小リーマンだけど
探さなくてもこんなヤツうようよいるんだよ
ましてや日本なら俺の家系が島流しにあったおかげで家柄関係無くそれなりに成れる自由な社会なんだから、今のお前自身の価値を上げるのにお家柄なんて何の要素にもならねぇんだよ
そんな時代のこの国でテメェと関係無い大昔の階級を今この瞬間に持ち出すヤツが、家系の何を誇れるんだよ
日本がどういう経緯を持つ国か考えながら茄子に箸ぶっ刺してこいよ
表札持って先祖の墓に頭下げとけ
お盆だぞ 日本の立派な先祖に感謝
属国民の朝鮮人じゃなくてよかった つか、庶民が苗字やら家紋持ったのって明治以降と聞いたが 武士って言ってもごく一部の偉い人以外はパシリみたいなもんだろ?
人は暮らしていくには食べ物は必要不可欠 >>138
いや庶民でも持ってたんだけど公称ができなかっただけ >>139
せやな
地方公務員だな
しかもミスったら切腹でマジもんのクビ
とんでもないブラック企業だよw 昔は今ほどよそとの往来が盛んでなかったから
集落内や近隣の同じ階級同士が結婚することが多かったとはいえど
10代前の先祖だけでも1024人いることになる
その中には高貴な人や変人や変態も混ざっていただろうけど
墓誌に記されてる直近5代前までは間違いなく農家です B町人―約6%
この町人ってのは中産階級のことだからな
大工の熊さん・八っつぁん は、@百姓―約84% のカテゴリー >>139
廃藩置県とかで武士は職にあぶれたから
下級武士の多くは北海道屯田兵になったってなんかで読んだ >>140
いやいや、中には苗字帯刀許された庶民も居たかも知れんけど
でないと、佐藤、鈴木性がこんなに増えるか?w 韓国の両班という貴族で大地主だった。
おじいちゃんが散歩してるときに突然日本の兵隊に誘拐され鎖に繋がれてトラックに乗せられ強制連行されて日本に来たらしい。 先祖なんて2のべき乗で増えるんだから百姓も武士も居るだろ >>148
私称は百姓でも行われていた
佐藤鈴木はブランドみたいなもので
多いだけ 足軽だったと聞いたことがある。
明治維新で卒族→平民だろうな。 >>149
嘘つけ
ガチの両班貴族ならそもそも日本に来るわけないだろ
朝鮮人は家系を捏造する傾向にあるから注意な ファミリーヒストリー
ホントかどうかも怪しいが・・・・
なぜか、先祖は土地持ち・地主庄屋階級なんだけど、
たいてい道楽惣領息子が財産失っちゃってて笑える >>37
真ん中にいる外国人の親子、めちゃコエ―だろ。
今で言ったら、イスラム戦士の集団の中で英語を教えてるような感じだろ。
大半の生徒は真面目でも、いつ基地外が襲ってくるかわからんだろうに、
よく先生をやってくれたな。 >>156
そうか?
あの番組って結局、遺伝子ってなんの関係もありませんよって。
つまり、大したことない先祖なのに、今、すごい人ばかりでしょ。 >>153
氏素性は別に持ってたってことかな?
俺もかじった程度なので何とも言えないけど…
まぁ、ただ興味があったので反論したまでです >>1
見栄っ張りばかりのお前らニュー速連中には理解できないかもしれないが、俺は一枚目の写真みたいな格好で過ごしたい >>16
あ、それ白丁が言う奴
君の親もジジババも嘘つき
かわいそうに嘘を信じさせられたんだね >>156
ジョージの回を見たんだね。
あれは先祖代々ってほどじゃなくて、ひい爺さんが頑張ったけど、爺さんが食いつぶしたって話だ。
それでも孫のジョージがまたまたがっつり財産を築いたんだから、また返り咲いた。
こうして有力な一族が誕生していくんだろうな。 >>146
名古屋藩では秩禄処分後の救済として帰田法が制定されて士族身分のまま帰農する代わりに補助を貰うか
一律で米俵50俵もらうかを選ばせたらみんな米俵を選んでしまった
そこで旧尾張藩主徳川慶勝が私財を投入して八雲町に新しい街を作るために移住者を募ったところ家臣が応募し
最終的に1878年から1896年までの18年間で380名が小作人として移住した
しかし慶勝の手厚い保護政策に依存した者が多く自立できた者が出てこなかった
そこで1885年に手厚い保護を削減し自立に向けた支援を強化した。その結果75名が小作人から自立した
そして1912年には徳川家から自立者へ土地が無償譲渡された 某藩の下級武士だったが副業で始めた瓦製造が
当たり武士を捨て瓦屋になった 旗本から明治記は地主に
戦前曾祖父が放蕩三昧で勘当
トホホ 明治になって平民が苗字を名のっただけだよ。
おかしな読み方もそれが原因。東海林は「しょうじ」が正しいが、「とうかいりん」とか
アホみたいのもでてきた。
壬生も多様な読み方がある。 でもなんで、東海林で「しょうじ」って読むんだろうね?
普通に読めば「とうかいりん」だよな。
オレも100円のコーラを1000円で売るとかいう本を読んだときは、
やり手の女社長を「とうかいりん」って読んでたわ。 >>113
事前に調べてそういう人だけだしてるんじゃないの
だって人気芸能人が百姓小作人の子孫でしたとかシャレにならんやろ
初めて聞いたとかウソっぽい
演技するのが芸能人だから得意技だよね うちの先祖は山賊から旗本になったというレアケースだったみたい。 >>175
うちの田舎はみんな「とうかいりん」だわさ
「とうかいりん」さん何人も知ってる
田舎だからみんな遠い親戚かもしれんけどw
むしろ、「しょうじ」さんがいない >>113
アイドルに「死んだお父さんも喜んでますよ」って言って得意げに話していた
霊能力者のオッサンがいたなwww
お父さんは生きていて、死んでいたのは義理のお父さんだった。
テレビ放送後に発覚したらしいけど、やらかしたスタッフは鉄拳制裁を食らって
業界から永久追放されたんだろうな。
まあ霊能者とか占い師とかの類は、100%インチキだよ。 >>182
うひょーw
安孫子さん、奥山さんもクラスに一人は必ずいるw >>166>>177
大工は百姓階級 だと何度言えば >>180
じゃあ「とうかいりん」社長って読んでたけど、間違ってた訳じゃないのか。
良かった良かった。
田舎で同じ苗字が多いなら、昔は何らかの繋がりがあったのか、
「とうかいりん」さんっていう地元の名士がいて、明治後にみんながあやかったのかな。 武士だった曾祖父の写真が残っているけれど刀が残ってないのが残念 ぶっちゃけ先祖代々農民のやつもいれば
落ちぶれて農民や商人になった武士もいるだろうよ 先祖は島原藩の家老だったが、島原の乱の後、殿様が斬首になり併せて責任取らされて死罪になった。
その後、子孫は姓を変えて宇都宮→福山と転々とした下級武士一族。
江戸後期にお家復興が叶い、元の姓に戻る。 >>113
あとは「仲居くんはピカソの生まれかわりです(キリッ)」って言ってた霊能者もいたな。
仲居くんが生まれたとき、ピカソはまだ生きてたんだけど。 >>186
教授が少し前(30年くらい前w)までは苗字でだいたい出身地わかったけど今はもうわかんなくなってきたなーって言ってた
「望月さんなら山梨かな?
トウカイリンさんなら山形だな
黒木さんなら宮城(宮崎?)かな?」
東海林をトウカイリンって読むとこがあるのか!?と印象深くて記憶に残ってる >>193
昔の人は家系を存続させることに全力だったんだな…
…オレって奴わ…(´;ω;`) Mixiにあった「士族会」ってコミュ、選民意識丸出しだわwwww >>192
庄屋とかってなんだろな。
よく歴史では聞くけど、実際、近隣ではそういうのって聞いたことない。 今はみんな商人になることを推奨されてる社会
みんなにその才能があるわけじゃないんだから基本的に無理がある 倉から武器がゴロゴロ出てきたから武装農民だったんだろうな 江戸時代84%は農民 あなたの先祖も農民?(画像あり) [1
https://youtu.be/-2XK5HVqgxg 渋沢栄一も百姓の生まれだからね
百姓と言っても色々で、豪農とかになると収入は小作人からの年貢とか使用人使って田んぼ畑やらせてものすごいお金持ち
んでご主人は何やってるかというと村の役人やってたりする権力者 >>193
すげーな
ご先祖は美輪明宏に会ったことがあるのか 江戸時代は村単位の年貢で村の運営をするのが村三役の庄屋だしな
西日本の庄屋ならイージーモードだろけど
東北の庄屋だとベリーハード >>209
関東以西の人は勘違いするけど、東北はけっこう豊だったと思うよ
豪商酒田の本間家とかお殿様が足元にも及ばないお金持ちだったし
今でも本間家の倉庫群って遺跡があるけど
テレビとかでは貧しく描かれるから勘違いしてると思う
当時のコメは通貨として通用したけど東北は大穀倉地帯だから 歩き方で身分が解る
対面で左に抜けるやつはエッタヒニン農民
左側から抜けさせないと壁ガードするのは武士の家計
刀は左脇に刺していていたからその名残だそうな
俺は落ちぶれ貧乏武家だが手入れされた家宝の太刀と脇差し小太刀がある
山をいくつか持ったたが戦後騙されて煙草銭でもってかれた 戦に負けて三兄弟で落ち延びてきたらしいけど、それより前のことは分からんのよね。
屋号にもなったその人はデキがよかったみたいで、同じ名前が3人続いたらしい。 伊予の豪農で血の気の多いDQNで長宗我部元親の兵100数名を5人で返り討ちして生首送りつけて挑発して
さらに増えた兵を他の豪農の武装農民で返り討ちにして謝罪させたと日記にあった
飢饉のときは小作人や他の村に分け与えたりと慕われていたような話もある
江戸末期はエジプトいったりイタリアいったり外国へよく行っていたみたいで語学堪能で金もかなりあった
戦時中は志願兵で乃木希典の部下なのに顎でつかったり明治天皇と謁見したりすげぇ
先祖は凄いが末代の俺が糞すぎて40超えも童貞底辺派遣社員で手取り40しか稼げない糞ポンコツ
親戚からは父方似と言われるので実子だと思うが先祖が凄いのに末代の俺がフォミクズすぎて面目ない 津軽の地名に関わるレベルの地主の家系で、
途中、京から都落ちしてきた藤原氏の公家の血が入ってるって教えられた なんとなく、田がつく苗字は百姓だったのかなあとは思う 昔のこともいいけど、その受け継いだ血を絶やさずに子孫を残せよ。 まともな家じゃない
箱根で雲助やってたような風来坊
でも一族から衆院議員や宮廷の教授も出してるから文明開化万歳 >>210
大穀倉地帯とか仙台藩の事だろけど
米を商品作物として強制栽培させて江戸に送る藩政だっただけだよ
東北地方は数年に一度は2割減の凶作になってたし バカバカしい。
世界は広く考えるんだよ。
歴史なら長く。
えた非人?
なものは江戸時代とかだろ。
家系だの、ほんと、近視眼だよ。 黒船が遅れてきてたら母親はお武家のお姫様
父ちゃんは漁師の家系 先祖が武士
じいちゃんが戦艦大和の生き残り
ネットにはこんな人がいっぱい えた頭、ひにん頭(変換出来ないの面倒くさい)ともなれば、結構な地位だったようで。
車善七とか矢野弾左衛門とかね。
西日本での話が誇張され過ぎの気がする。
まあ、調べてみた方が良さげ。 ご先祖様は西南の役で戦死してて田原坂の石版に名前がある
もっと遡ると慶長の役まで行き着く >>37
昔の人はみんな口元が弛んでる感じなんだな 昨年死んだ父親まで専業農家。
俺今会社役員で、農地は全て人に貸している。 ひいじいさんの代まで桶屋やってたみたいだけど、田んぼはもってた。
工業は専門的にやるというより、農繁期以外に内職的にやってたんじゃないかと 地域を治めてた武将と同じ姓だけどその武将は負けて一族郎党殺されてるから血筋ではないのは確か >>1
童がぷくぷくしてるな
暮らし向きがいい時のようで何よりだ 東北の産まれだが祖父が駅前で旅館を経営していた位しか知らん。
家系を辿るのって結構お金かかるんでしょ?どうせ百姓だと思う。
ただこの姓は播磨国の○○荘が発祥らしいのよねえ。 >>240
菩提寺があるなら過去帳を見せてもらえば一発よ。
銭なんかいらん。 >>226
ネットだと農民は10%くらいしかいないだろうなw
逆にレアw っていうか多くの日本人は皇族と繋がってるはずだから心配すんなよ
まあ中世は源氏同士の殺し合いが激しかったのだがw 江戸時代に家系図の改竄が流行ったから旧武家とか名乗ってる人が多いんだよね。実際はほとんどが小作人、水呑百姓よ。 戦になると槍もって出掛けていく農民で暮らし向きは良かったみたい
父方は水飲み百姓の糞貧乏人で明治期にハワイに移民してたと知ったw 勝海舟の曾祖父が水呑百姓だったが
盲人だったんで幕府の保護政策から按摩になったが、利殖の才があったので
僅かな資金を増やして、その金の力で盲人での階級トップである検校
米山検校となり、男谷家の株を買い
息子を婿養子として送り込んで、見事武士階級になった事例があるから
才覚があれば武士にも成れたんだよね 遺伝によってハゲている俺のご先祖様は、きっとサムライだったと思う 戦国では北陸の国の重役だったらしいが江戸ぐらいでは農民だ。 伊達藩の家臣茂庭家(政宗時代は鬼庭)のそのまた家臣だった事は判っているけど、まあ百姓だな
伊達は奥羽越列藩同盟の盟主だったせいで、家臣団は士族籍も貰えなかったし 大地主で農家に土地貸して年貢貰ってたけど農地解放でほとんど土地持ってかれたらしい 父方 東北地方の百姓
母方 城の中で床屋。城なくなって博打打ち 戦前は地主
(不在だったので戦後えらい目に)
この区分だと農民かな
名字帯刀は許されてたらしい 父方 すべて農民
母方 祖父の家系が武士 祖母は農民
25%だけ武士 75%は農民だな
武士といえども下っ端の武士はまずしくて土地を持ってた農民のほうの親戚のほうが
遥かに金持ちばっか 土地成金みたいな親戚がおおい ブシドーで侍魂がとかほざく偽物の土百姓どもって笑える 農民というか小作人って奴だな。
地主様から農地を借りて働く
お前らはその末裔。
やってる事は先祖代々変わらんという 混ざりまくって農民の血引いてない奴なんて絶滅状態じゃないの? しかし5chでは神職や武士の家系が非常に多い(自称) >>138
戸籍みたけど、江戸時代には苗字がついてた ご先祖様は田舎の侍ではあるんだけど、とにかく絵が下手。
なぜ知ってるかと言ったら、先祖が書いた挿絵付き書物があるから。
「これは図解すると、こうだよ!」みたいに描いてるけど、何だか悲しくなるレベルの絵心。後の時代に読む人の為に張り切って描いた痕跡はあるものの、見ていて辛くなる。
ちなみに俺も絵が下手。 >>200
うちの田舎は、現在は代々続く地元議員だったりしてる。とりあえず、づっと金持ちのままの人たち。 >>37
みんな目が細くて吊り目だよね
侍の起源は韓国なのの証明なんだよな
今も昔も農民日本人を支配してたのは侍韓国人なんだよなぁ >>250
あれわざと剃ってるだけで禿げちゃってるわけでもないんだがなw 庄屋だったと聞いた
戦後農地ほとんど取られたそうだが 佐賀戦争に参加したらしいけど
下っ端だったんだろうな この手の話になると莫大な数いる祖先の中で一番見栄張れる人をチョイスするよね
殺人犯、コソ泥、ヘンタイ、狂人の祖先も少なからずいるはずだがw ウチは家系図が出て来て斎藤道三の家来で100石召し抱えだったな
100石というのが現在だとどの程度になるのか判らんが 農民も小作人は貧乏だが豪農は殿様に金貸すくらい裕福だった 戦国時代末期からの武士なら、所詮は成り上がり者
室町時代からの武士なら、由緒ある家系だとは思う
蜂須賀家とか野党上がりの武士が選民思想持ってても惨めだと思う 先祖農民にこき使われる気分はどうだ?
派遣も侍よw おれんちは名前の神社もあるくらいだし
日本書紀にも書かれてるし >>138
それは違うよ田舎とかいうと古い墓沢山あるだろ だいたい百姓やろ
公家の血が入ってるとひいばあちゃんは言ってたが、
全体の1%とかの場合構成要素からは除外やろと >>286
農家がダサいとか貧しいとかいうのは明治維新後の政府のステマだろ
西洋かぶれの工業マンセーだからな 都会の小作は知らんが、田舎の農家は金持ちだろ
室町の時代から、首都のある京の人間より
広くて土地と生産力のある東国の人間のほうが豊かだと認知されている 先祖が高貴っていう幻想がないと生きてられないのかwおまえら老害のホラ話真に受けすぎワロタ 日本は食料の生産力が低いからな
当時はほぼ全国民で生産にあたらないとやっていけなかった 江戸時代には武士は食いぶちがなくて
家柄を売ってたから
もはや家系図が本当かはわからんのだなよなよっぽどな文献や証拠品があるなら
別だが 当然、農家だ。
毎年、親戚から獲れたての新米送ってくれるので助かる。美味いし。 >>290
そういう有名な名前にあやかって勝手に名字を拝借する百姓がどれだけいたか >>300
檀家のお寺に行けば大体分かると言ってた
まあ浄土真宗とかはアレだけどw バグダッド5000年、ローマ2700年、北京2693年、パリ1900年、ロンドン1899年
江戸時代ってw 500年未満の話ですやん、大国日本としてのメンツが立ちまへんわ。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2561268.mp4
390年軽島豊明宮(橿原市)1631年の歴史 ※応神天皇首都
390年難波大隅宮(大阪市)1631年の歴史 ※応神天皇副首都
536年博多大津(福岡市)1485年の歴史 ※日本書記に536年初記載、首都説もあり
667年近江京(大津市)1354年の歴史 ※天智天皇首都
710年平城京(奈良市)1311年の歴史 ※聖武天皇首都
717年以降、大輪田泊(神戸港) ※建設指揮の行基没年749年
794年平安京(京都市)1227年の歴史 ※桓武天皇首都(千年の都)
―――――――――――古都の壁―――――――――――――
1180年福原京(神戸市)841年の歴史
1546年尾山御坊(金沢市)475年 一揆土民が作った首都経験ゼロ500年未満の自称古都、古都金沢カレー←あほの見本
1590年江戸(東京)431年 ← www
1859年横浜開港(神奈川県横浜市)167年3代先はカッペか漁民か三国人、神奈川なめてんじゃねーよ(笑) ばあちゃんの先祖は海苔農家
じいちゃんの先祖は籠持ちやったわ 家は樽屋だったって聞いてる
その後サンゴ屋で一財産築いたみたい 郷士=半分農民半分武士ってことは早い話が足軽かね(´・ω・`)? サラリーマン的な職種が絶対的に少なかったからな
自給自足を含めて農業で食ってくしかなかったんだろうな 農民か大工
田んぼ持ってたけど家業は大工だった
たぶん兼業で両方やってたんじゃねえかな 大坂の陣の後に越後に流れ着き、沼地を開墾して自作農になったそうな
実際どうかはよく分からん 城代家老の子孫だよ
そのせいなのか親父のいとこは時代劇を主に作っていた映画監督だった
もっと昔を辿れば清和源氏の子孫らしい 家の辺りは町の中じゃ商店街で
屋号と別に近所の人は爺婆の世代くらいまでは◯◯屋って職業で近所の家を呼んでた 甲斐の足軽の分家の分家、苗字は武家からのもらい物、江戸後期は目明しがいたからヒニン扱いかも。同時期に駕籠かき、猟師、明治は馬の鍛冶屋 そう言えばうちの遠い親戚は種田山頭火だったらしい
関係ないけどw >>4
村の鍛冶屋は歌にもなったのに(´・ω・`)
鉄の農具を作るのは野鍛冶と言った。 >>4
実は専業農家はそんなに多くなかったとも言われている
農業以外にも商売やモノ作りや作業員もやって生計立てていた家が多かった >>308
土佐藩の郷士はまさに半農半民の足軽
水戸藩の郷士は知行取りの上士レベルもいて城下の武士と身分差がない
藩によってまちまちなんだよ >>327
参考になった
ありがとう
ちなみに北関東で結構イキってたらしいからそれなりだったんだろうな(´・ω・`) 農民出身でも代官所の役人(苗字帯刀)ぐらいにはなれたから士農工商は厳密ではなかったというのが最近の研究結果 背が高いだけで藩士に登用された岡田藩小田大三郎の例もある
この場合、禄が与えられたものと考えられるがその世襲継承は出来なかった可能性もある
この人の家業は変わらなかったはず >>326
その通り
というかこういう統計で町人とされるには町に住んでなきゃいけないわけで
そもそも近世以前は正式な町が異常に少ないからな
城下やその藩の重要拠点の港町とかでもなきゃ
それっぽい町も藩や幕府から正式に町方扱いされてないケースも相当多い
逆に幕府や藩が町方と認めれば小さくてもそこは町
村に住んでりゃ商売やってても職人やってても町人ではなく地方(村方・浦方・山方)人口になる >>330
逆に下級武士はそれだけで生活出来ないので
商売や農業もしていた >>334
役職がなく家禄だけの下級武士なんてとてもそれだけじゃ食えないからな
格だけはあるから金かかるし >>303
浄土真宗は日本で一番多いからあんまり変なイメージ持たない方がいいぞ 我が家系は武士っぽいぜ。俺の代でおしまいだけどな 氷河期やし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています