【何処にでも宿る愛】「うちに来る?」上野駅に住んでた戦争孤児245人を連れ帰り育てた「ママ」
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うちに来る?「駅の子」育てたママの記録 びっしり245人、よみがえる戦争孤児
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/12/07/20201207k0000m040001000p/8.jpg
https://mainichi.jp/articles/20201206/k00/00m/040/196000c
終戦から間もない東京で戦争孤児を引き取る活動を始めた女性がいた。上野駅に足を運び、地下道などに寝泊まりする「駅の子」と呼ばれた孤児に声をかけた。
厳しい生活を送る子どもたちの母代わりとなり、いつしか「ママ」と慕われたという。一時期は100人以上が暮らした場所は児童養護施設となり、今も草創期の記録が残る。戦後75年の今年に一部が書籍化された資料をひもとき、関係者を訪ねた。【椋田佳代】
始まりは1945年9月下旬、自宅に戦争孤児を引き取ったことだった。「母の友人が6、7歳の男の子を連れてきたのがきっかけです。行き先がなく困っていたそうで、分かるのは自分の名前だけ。年齢も分かりませんでした」。
東京都中野区にある児童養護施設「愛児の家」で、三女の石綿裕(ひろ)さん(88)はそう振り返る。母親は孤児を育てる活動をした貞代さん(本名・さたよ、89年に92歳で死去)だ。
迎え入れた子どもたちと家族のように
貞代さんは45年11月には愛児の家の前身となる「戦災孤児救護婦人同志会」を設立。「日本中が大変なのだからできることをやりましょう」と言い、当時13歳だった裕さんらを連れて上野駅に通った。
上野駅の地下道は薄暗く、大人も子どもも地べたに座っていた。貞代さんは「うちに来る?」と声をかけ、望めば…
東京都中野区にある児童養護施設「愛児の家」で、三女の石綿裕(ひろ)さん(88)はそう振り返る。母親は孤児を育てる活動をした貞代さん(本名・さたよ、89年に92歳で死去)
>>3
今なら猫でさえ多頭飼いで通報されるからな 在日二世の方なんだよね。
こういう人もいらっしゃる。 このスレにネタでもこのような人を悪く言うやつはろくでもないな 食い物集めるだけでも苦労したろうな
今じゃそれなりに施設が有るから何とかなるけど戦後の酷い時によくやったもんだ ラサール会が運営する仙台の孤児院ラサールホームは終戦後にカナダからの援助物資が大量に送られてきてたので何不自由なかったという
チョコレートやらのお菓子はもちろんローラースケートや野球用品やら何も不足がなかった
誰か視察にきたら可哀想な子供のふりをせねばならないくらいだったと 東京中の国はガイジの家まであったか
詰め込みすぎちゃうか こういう話って育てた人ばかり注目されるけど
ここで育った子供たちがその後どうなったのか
結構気になるところ
まあ普通に働いたりしてるんだろうけどね お偉いさん関係か何か資産か良い収入があったか
流石にこの数だと衣食住は簡単に賄えないだろう
それでもやったこの人は偉いね
こういう人こそ尊ばれるべきだよ >>32
その歳にもなってそんなことしか喋れないのか! ピントも合って構図も良い暖かみのある写真。腕の有る撮影者だな。 >>33
目的の為なら、母親は手段を選ばないものだよ、そのくらいの事なら笑ってこなしたと思う
まあ
「お母さんこのお肉凄く美味しいね!なんのお肉?」
「お母さん!ゆうちゃんが見当たらないんだけど知らない?」
「ゆうちゃんは今朝、別のお父さんお母さんに引き取られていったわ…かわりに今日から別の子が来るからね」
みたいな感じで >>30
年代的に孤児だって死ぬほど馬鹿にされたり蔑まれた時代だから話したくは無いだろう
この人に育てられた人も感謝はしてるだろうけど家族にも隠していて死ぬまで黙っていたい人も多そう >>1
お母ちゃんガリガリだな
けどみんないい笑顔だ 歳とったせいか、こういう話は読んでるだけで目から鼻水が出て来る >>48
涙もろくなるのは脳が老化してるんだってね
死期が近づいてるんだよ >>18
さらっと嘘を書くな
朝鮮人は立派な人や物をすぐ自分らの物にしようとする >>18
本当に在日二世なら名誉日本人の称号を授けよう >>2
今と比べたら人命の価値は暴落してた。
でもまたそうなるんじゃない スレタイでエロい事しか思い浮かばなかったヤツは死刑で(自害 最近は写真見ても加工されてるんじゃないかとか
フェイクなんじゃないかと疑ってしまうw 状況がまるっきり違うとはいえ今なら考えられない話だな
あったとしてもワンピースのビッグマム?の話に出たシスターみたいなの想像してしまう 素晴らしいね、小さい子なんてここで助けなきゃ二日後には死んじゃってるだろ >石綿裕(ひろ)さん(88)
いやフリガナはむしろ苗字につけてくれよ、読めねえよ!
アスベストひろさんかよ? >>74
そっちは寿産院
いや、あれはシスターより酷いか 柳沢教授の生活で似たような話があったな
モデルがいたのか 普通に偉い人だわって思うけどそうでないへそ曲がりなレスが多い事に驚く 昔のアニメ業界は元孤児とか戦争経験者が居たから
孤児を励ますために孤児って設定のキャラとか
孤児院が出てくるとか多かったよな
そして手や首が木っ端微塵になる凄惨な戦闘シーンw セイタさんならワガママばっかり言うて
他の孤児からローリングソバットくらってたよ >>2
野犬狩りのように浮浪児狩りして田舎に浮浪児を放逐していた時代やぞ >>42
前Eテレで駅孤児のドキュメンタリーやってた。
施設に保護されて、家庭持って子供や孫に囲まれて死んだけど、生きてる間は差別されるから旦那や子供には話さなかったらしい。
取材を受けた娘はTV局から取材されるまで全く知らなかったそうな。 >>1
>東京都中野区にある児童養護施設「愛児の家」
「愛児の家」でぐぐったら虐待とかのきな臭いニュースが出て来たわ・・・
東京新聞なんかが記事にしているから何が正しいのかよくわからん >>2
2桁くらいまでならそうかも知れないしけど
3桁だとやっぱ問題なしになりそうだけどな 追い剥ぎかっぱらい 物乞いやらせず施設へ放り込むのは大したもんだな >>18
途端に人身売買してたんじゃないか?って疑惑が沸くな >>113
>終戦から間もない東京で戦争孤児を引き取る活動を始めた女性がいた。
この条件で在チョン2世はあり得んからな
戦後まもなくだと1世世代の話。2世だとしたら引き取られる側だわ !!
偽名使うときは
伊達直人でいいんだよな?
ちょっくら行ってくるぜ!! 戦災孤児の話は聞いていて辛い
自分の子供を見ると心が痛い どこか新宿の方で子供引き取って殺してたところもあっただろ ドラマだと、客取らせたり金持ちのおっさんと結婚させたりする展開が一般的になってしまった >>18
嘘をつくな
http://www.city.sakata.lg.jp/bunka/bunkazai/bunkazaishisetsu/siryoukan/sakatashi_shiryoukan.files/H26persons.pdf
いしわた
石綿 さたよ(社会事業家)明治30年(1897)~平成元年(1989)
松山文化伝承館提供
松嶺町(旧松山町)に生まれる。
大正初期に、仙台在住の叔父の家に行儀見習いに行き、大正7年(1 918)に仙台高等女学校(現在の仙台白百合女子大学)を卒業する。 叔父の世話で東京・駿河台の病院で看護婦見習いになる。
大正15年、石綿金太郎と結婚。夫婦で経営した石綿商店が、書籍の 装丁用の織物を扱う事業で成功を収める。
(以下略) 一方無人となった家土地に勝手に住み着いた土人たちが 凄いがここに例の連中が紛れ込んでると強盗殺人の被害者になってたんだろうな >>18
売春組織をつくろうとした&土地をパクるためにやった。
チョンならありえる 略取誘拐の常習犯じゃん
ほんっとーに嫌な世の中になったな
こんな立派な聖人は現代には現れる素養すら許されない >>18
たった在日二世の四文字だけで美談も胡散臭い話になる
不思議 >>2-3
気持ち悪い、人間の心を失くしてる
こうはなりたくないものだ 地下通路に沢山いて
チャリンコって呼ばれてたな
「ウチくる?」「イクイク」 っていうか「ママ」とか鬼畜米兵の英語を使うとか非国民だろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています