ユーミンの「醜態」と評価をめぐる地殻変動<史的ルッキズム研究7>

 歌手の松任谷由実氏がラジオ放送のなかで、安倍首相の辞任会見に触れ、「見ていて泣いちゃった。切なくて」と感想を述べたことに対し、白井氏は自身のFacebookで強く非難します。「荒井由実のまま夭逝すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」と書いたのです。

 この発言については、さすがに大学の品位にかかわる問題になるので、京都精華大学が白井氏に厳重注意を行い、本人も発言を謝罪しています。「死んだほうがいい」発言についてはこれで一件落着です。
ユーミンに「醜い」と言うことの新しさ

 ところで、発言が撤回された上でも心に残るのは、松任谷由実氏が醜態をさらしているという指摘です。私の記憶が正しければ、松任谷由実氏がこれほど強く批判されたのは、おそらく初めてのことです。10年前であれば、こんなことはぜったいに起きなかったことです。彼女のファンはたくさんいましたし、ファンでない人であっても、彼女を指して「醜態」とまで言う人はいませんでした。

 ああいう歌が好きな人もたくさんいるんだから、わざわざ意地悪な指摘をすることもないだろうと、ほっておかれたのです。「多くの女性に支持されるユーミン」という構図に手を突っ込む人はいませんでした。しかし今回、白井氏はこの構図に異を唱えたのです。ユーミン醜いぞ、と。これはとても重要で画期的なことだと思います。
文化人の評価をめぐる変化

 同種の変化は他の「文化人」でも起きています。ユーミンに限らず、80年代からバブル期のあたりまで代表的だった文化人の「醜態」を、私たちは現在目にすることが多くなっています。

 たとえば、コピーライターの糸井重里氏が「つまらないやつ」という評価をされるようになったことです。かつて糸井重里氏は「おもしろい人」でした。そして彼を非難する人はほとんどいませんでした。彼には彼の商売があって、それをおもしろがっているファンの人がたくさんいるのだろうから、わざわざ横から水を差すような指摘をすることもないだろうと、ほっておかれたのです。

 しかし、糸井氏が福島復興政策にからんで桃の販売促進キャンペーンを始めたあたりから、彼への猛烈な批判が始まりました。「おまえ自分がおもしろい人のつもりか」と、公然と批判されるようになったのです。

 学術の世界では、社会学者・上野千鶴子氏の評価が一変しました。かつて10年前であれば、「フェミニズムといえばまず上野千鶴子」という世間的な了解があり、その構図に異論を唱える人はほとんどいませんでした。

つづく
https://news.yahoo.co.jp/articles/a671c538a2841bec3335a48099a83b43c902bc93