大韓帝国時代に皇宮として使われた徳寿宮(トクスグン)の正門、大漢門(テハンムン)前の「月台」が1世紀ぶりに復元される。

文化財庁宮陵遺跡本部は8日、「日帝強占期に失われた徳寿宮大漢門の月台を再現する設計を7月までに終え、来年までに復元を終わらせる」と明らかにした。

月台とは宮廷の正殿、廟壇、郷校など主要な建物の前に設置する広い基壇形式の台を称する。徳寿宮大漢門のほかにも景福宮(キョンボックン)の光化門(クァンファムン)、昌徳宮(チャンドックン)の敦化門(トンファムン)など
宮廷の正門と徳寿宮の中和殿(チュンファジョン)、景福宮の勤政殿(クンジョンジョン)など主要な正殿に設置された。周辺より若干高く作り建物の威厳を高める役割をした。

徳寿宮大漢門の本来の名称は「大安門(テアンムン)」だ。皇城新聞と独立新聞などの記録によると、1898年ごろから建てられ、月台工事は翌年に始まった。
1900年に月台を新しく直したという「各司謄録」「各部請議書存案」の記録から見ると、1900年以前に大安門の月台が完成したものとみられる。
1904年の徳寿宮大火災の時に大安門は燃えなかったが補修して1906年に名前を「大漢門」に直した。

大漢門前の月台は高宗(コジョン、在位1863〜1907年)が近くの圜丘壇(ファングダン)や王陵に行く際に通り過ぎた所だ。1910年に大韓帝国の命運が尽きるまであったが日帝強占期に毀損・撤去された。
現在は月台の先端部分にあった獣の形の石像の「石獣」だけ残った状態だ。

大漢門月台は復元されるが当初作られた場所ではない。1970年に太平路を拡張し大漢門が元の位置から33メートルほどずれた現在の位置に置かれたためだ。
これに伴い、元の位置と形態、大きさに対する徹底した原形考証には基づくが、周辺の歩道などの現実を考慮して復元案をまとめると文化財庁は明らかにした。

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