イギリス
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日本
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英「3人以上の集まり禁止」、仏「私的外出は1日1時間」
いま、欧州とアメリカは、ウイルスとの戦争状態にあるといっても過言ではない。中国にも引けを取らない強硬な封鎖措置が取られている。
パブは閉じた。レストランも閉まっている。数少なく残ったスーパーも、買い物に訪れるのは必要最低限に限られる。
町中から人の姿が激減して久しい。電車などの交通機関の制限も始まっている。花の都パリのシャンゼリゼ通りも例外ではない。
欧州は、黙示録が現出したようなゴーストタウンの集合体に過ぎなくなった。
イギリスでは屋内でも家族以外の3人以上の集まりは禁止され、フランスでは私的な外出は1日1時間に限定された。
取材のために日々外を回る記者ですら、電話にしがみついて自宅で取材・編集作業にこもる。
封鎖の掟を破れば、多額の罰金と禁固刑が待っている。

その極限の「行動変容」は、自粛疲れで弱まるどころか、少女の死を経て、さらに強めることを求められている。
そして、それを咎める声もない。いま、欧州を濃厚に漂っているのはさらに悲惨な疫病と戦争の記憶だからだ。
14〜15世紀の黒死病(ペスト)、100年前のスペイン風邪。いずれも数千万人単位の死者が出た。
ペストは英仏百年戦争の最中、スペイン風邪は第一次世界大戦中のまっただ中、独仏が対峙する塹壕のなかでも広まった。
欧州において、疫病は戦争の記憶と一体で、故郷を破壊した集合的な歴史的記憶として刻まれている。
欧州各国の首脳がことあるごとに戦争の文字を持ち出して国民の結束を求めるのも無理はない。
自らも罹患したボリス・ジョンソン英首相は「我々は戦時の政府のように働き、経済を支えるためのあらゆる手段を取る」と
力強く宣言し、コロナとの闘いにすべての国民は「直接、召集されている」とも語った。仏のマクロン大統領は
「見えない、捉えどころのない敵」に対し、「戦争」を布告した。

イギリスの「コロナ戦争」は“ダンケルクの再来”

 言葉だけではない。フランスは戒厳令を敷くため、兵士数千人を投入し、消毒薬の輸出を禁じた。イギリスも、
すでに引退した医師や看護師に対し、国難に打ち勝つために復帰を要請した。ギリシャやイタリアが破綻に瀕しても
財政出動を頑なに認めなかったドイツも、国債発行の禁を破り、90兆円の財政出動を決めた。

特にこのイギリスの動きは、国家存亡の危機に立った第二次世界大戦を思い起こさせるのに十分だったに違いない。
人々が想起したのは、ダンケルクの戦いだったはずだ。
ジョンソン首相が理想と恃む当時のチャーチル首相はドイツ軍に攻め立てられ、フランスからの撤退を迫られた。
そして、数十万人をドーバー海峡を渡らせ英国に引き揚げさせるという前代未聞の作戦に取り組んだ。
その作戦を支えたのが、全国から召集した船だった。軍艦では全く足りなかったからだ。
客船から小さな漁船まで、愛国精神に燃えた船乗りがダンケルクを目指し、銃弾も恐れずに兵士を救い、
一部は命を落としながらも祖国の地まで運んだ。