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「買い占め」に走る人々を突き動かす強烈な不安
3月23日にBBCが、イギリスで買い占めによって食料が買えなくなった看護師の
涙の訴えを取り上げていたが、パンデミックへの対応で長時間の緊張にさらされる
重要な職業に従事する人たちも、同じスーパーやドラッグストアで買い物をすることすら
人々には「想像できない」のである。そして、ひたすら恐怖心に促されて脇目も振らず店先に並ぶのだ。
わたしたちが我先にとパニック買いに走る深層には、トイレットペーパー騒動でも
露わになった不安と消費の切り離せない関係性がある。
わかりやすく言えば、わたしたちに付きまとうさまざまな不安が買い物によって
「一時的に解消される」のだ。信頼できる証拠やもっともらしい注釈などはもはやどうでもよく、
いわば真っ白に光り輝くトイレットペーパーに象徴される商品だけが、
わたしたちの内部から発せられる悪臭のような不安を拭ってくれるのである。
現在も少なくない人々が「新型コロナウイルスに効く」「免疫力を上げる」といった
真偽不明の情報をうのみにして、昨日までは見向きもしなかった商品に殺到している
(そのために特定の商品が品薄状態になっている)。
まさに「溺れる者はワラをもつかむ」であり、その奥底には「消費による救済」を夢見る心境がある。
かつて社会学者のジグムント・バウマンは、「不確実性という悪魔」から
逃避する手段としての消費に着目した。「悪霊払いとしてのショッピング」である。
そこには「万人の万人に対する闘争」(トマス・ホッブズ)が立ち現れ、
「むき出しの消費者」が商品を奪い合っている。そこに被害者になり得る
「他者」の存在が入り込む余地はない。つまり、わたしたちの周りにはすでに
「荒野のような社会」が広がっているのである。
これはパンデミックが終息してもまったく変わらないものだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200326-00340184-toyo-bus_all&p=3